97. 来ぬ人を 松帆の浦の 夕なぎに
焼くや藻塩の 身もこがれつつ
権中納言定家(ゴンチュウナゴンサダイエ)(1162~1241)
「約束しているのに訪ねてこない恋人をずっと待っている私は、淡路島の北の端の海岸松帆の浦で焼いている藻塩のように、身もこがれる思いでいるのですよ。」
(藻塩焼き)は昔の製塩法なんだそうで、今まで藻塩のことを知らなかった私は、(焼くやも塩の)と「藻」を単なる助動詞の「も」として詠んでいた愚か者でした。
いよいよ小倉百人一首を編んだ藤原定家(普通はテイカと呼んでいましたが)本人の出番となりましたが、他にもいい歌があるのに本人が選んだこの歌、私にはそんなに心に残りませんので、やっぱり選び方になんか裏があるのでしょうね。
「見わたせば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮」
有名なこれを選んでくれたなら、私の替え歌ももっと奈留島にふさわしい歌に替えられたのに・・・。
97. 焼く人が 上手くできない 炭の火に
焼くやも牡蠣の 身もこげれつつ
人・に・焼くやも・の・身もこ・れつつ 14字 同じ
五島では冬には「かき小屋」が出来て、外でも食べることも出来ますが、家でも買った牡蠣をガスの火で焼いて食べることもありますし、このように病院の皆さんとドラム缶の中の炭火で焼いて食べる時もあるので、牡蠣の殻をこじ開ける道具も家にはそろっています。
ただ、この替え歌自体はもひとつ心にも残らない出来栄えで、定家さんも炭火のように怒ってるでしょうね。
返事
大雪男さん:浮ュて山の奥の方へ入って行った為なのですかね。
船に乗れなかったら、そもそも五島を目指さなかったと思いますが。
花水木さん:まさに十年前五十年前に予想もしなかった人生をおくってるんでしょうね。
大学入学・結婚・奈留島赴任が私の人生の転換点だと思いますが、いずれもよき転換点だったと思ってますので、
花水木さんも今回のことがよき転換点なんですよ。
曽良は壱岐で死んでますが、芭蕉は大阪より西には行ってないと思いますよ。
和さん:後の祭り、露店がないとはちょっと寂しい気がしますね。