第82代後鳥羽天皇の第3皇女禮子内親王(レイシナイシンノウ)(1200~1273)の母は坊門信清の娘なので、道助親王は同母兄、頼仁親王は同母弟になります。
異母兄の土御門・順徳両天皇朝に賀茂斎院に入ってますが、承久の乱の混乱で賀茂斎院は廃絶したので、禮子内親王は最後の斎院となってしまいました。
御墓は太秦映画村にも近い、少しは畑も残る住宅地の中に、かなり広々と存在していました
禮子内親王は病気の為に13歳で斎院を退下し、七条院殖子の元で養育されたこともあってか、嘉陽門院の院号を宣下され、承久の乱前には出家していました。
御墓の中央には、ャcンと石塔が立っていました
七条院領を相続したためか、墓は単なる内親王にしては広目です。
宅地開発された農地の中に、宮内庁治定になった為に、こんな空き地が残るのは良いことかもしれません。
後鳥羽天皇皇女禮子内親王墓(右京区太秦安井池田町)
後鳥羽天皇の皇子女6人の墓参りをしましたし、この後天皇になった2人の親王の陵も廻りますので、後鳥羽だけで10回分ぐらいを使わなくてはならないようです。
少しスピードを上げたいような、終わりを長引かせたいような気分です。
返事
花水木さん:善峯寺の山門は、
白い部分があるので、余計立派に見えます。
75点以上ですか!
63点でなんとか世の中を渡ってきた私は、
追加の2000円を払います。