島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

95-1花園天皇

2021-08-11 | 天皇陵巡り
 
 第92代伏見天皇(1265~1317)の第4皇子で、母は左大臣洞院実雄(サネオ)の娘洞院季子(スエコ・キシ)(1265~1336)の富仁親王(トミヒトシンノウ)ですが、兄第93代後伏見天皇(1288~1336)(在位1298~1301)の猶子になり、1301年大覚寺統の第94代後二条天皇の皇太子にたちました。
  粟田口の大きな楠木で有名な青蓮院(ショウレンイン)の南側に、花園天皇陵への門があります(平日のみ9~16開門)
 
 富仁親王は後二条天皇が急病で亡くなったので、12才で第95代花園天皇(ハナゾノ)(1297~1348)(在位1308~1318)として即位、その皇太子には大覚寺統の考えで、花園天皇より9才も年上の尊治親王(タカハル)(後の第96代後醍醐天皇)が立ちました。
  十楽院が元々あって、そこに青蓮院が移ったので、花園天皇陵はそのまま十楽院上陵(ジュウラクインウエノミササギ)(東山区粟田口三条坊町)になってますし、南隣は知恩院です
 
 花園天皇の在位中の前半は父伏見の、後半は兄後伏見の院政が行われました。
大覚寺統と持明院統の対立も激化し、その統内でもまた対立が生れ、これに各寺々の寺領争いもあって、生真面目な花園天皇は苦しんだようです。
天皇位に嫌気がさしていたのか、父伏見も死んだこともあってか、花園天皇はあっさり譲位しています。
  塀越しに青蓮院を見ながら、緑一杯の参道を少し上りました
 
 花園天皇の後宮には正親町実子(オオギマチジツシ)(1297~1310)が入り、第1皇女寿子内親王(ジュシ)(1318~1358)(光厳天皇の後宮に入るも子は無し)や第3皇子直仁親王(ナオヒト)(1335~1398)(光厳天皇の皇太子)など6人の子をもうけてます。
花園天皇はそれ以外にも、数人の妃に数人の皇子女ももうけました。
  新緑の季節に訪問したので、緑緑でした
 
 花園は上皇になってからも30年以上生きましたが、歌道・学問・書道に励み、第96代後醍醐天皇の皇太子になった兄後伏見の皇子量仁親王(カズヒト)(後の(第97代)北朝初代光厳天皇(コウゴン))の養育や、禅宗信仰にも力を注ぎ、妙心寺を創建し、52歳で亡くなっています。
  普段なら観光客が多い場所ですが、一歩入った陵周囲は別世界です
 
 花園天皇に養育され、その娘寿子内親王を妻にした光厳天皇ですが、後日叔父になる花園天皇の息子直仁親王は自分の子供だと自ら告白しています。
可愛がってた甥に、妻とその妻が産んだ娘の親子丼をやられた花園天皇は、どう思ったのですかね。
  
        返事
Toitenlabeeさん:愛に溺れる!
    映画「髪結いの亭主」はまあ私の理想でもありますが、
    主人公を私が演じた記憶はありませんよ。
元商家のよめさん:えらいメダカに詳しいんですね!
    私はいい加減にほとんど自然体で飼ってるので、
    それで死んだら、まあそれも私に飼われたメダカの人生ですよね。
花水木さん:ご苦労様です。
    メダカは手間がかかりませんよ。
    気軽にキノコ友から貰って買ってください。
    死んでも犬猫程ダメージありません、可愛いですよ。

コメント (2)
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