島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

東海道15.

2025-01-13 | 京都へ、京都から

 小川さんの地図は綺麗でよくわかるので、また利用させてもらっています。

青線の東海道はいよいよ難所と言われてた日ノ岡峠に差しかかりました。

 今は地下鉄東西線と同じ線路を通り、地下に潜った京阪電車京津線も、この東海道に沿って路面電車のように走っていたので(つい最近までです)、この峠を降りる時はキーキー言っていたような気がしてます。

 峠の九条山には、京津線の九条山駅も有りましたが、その付近にあったのが粟田口刑場です。

今はこんな看板以外何もありませんが、この地で1万五千人の人が処刑されましたし、明智光秀の遺体もここにさらされたようです。

 このまま旧東海道とは違いますが、三条通を山科側に下って行くと左側に(滋賀に行く時に信号で止まるといつも見てます)、京津国道改良工事の紀念碑(昭和8年)が建っています。

その土台の溝が入った石は、車石の転用です。

 又その横の粟田口刑場で亡くなった人達の供養の為に建てられた大名号碑は、元々は峠の粟田口刑場にあったのですが、明治の廃仏毀釈で切断放置されていたのを、ここに再建したそうで、南無阿弥陀仏の弥で切断されていたのを再接合した跡が、はっきりわかります。


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Toitenlaさんへ (島の医者になって)
2025-01-13 16:01:37
 死亡確認に夜中来て、そのまま空いたベッドで寝るのは全く苦になりませんでしたので、刑場跡もそれほど不気味だはなかったですよ。
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Unknown (Toitenlabee)
2025-01-13 15:02:45
知ってから見ると、薄気味悪いものですね。
こわっ!
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花水木さんへ (島の医者になって)
2025-01-13 13:15:33
高校日本史で学んだ廃仏毀釈は文字だけでしたが、年取って色々知ると、今の生活にかなり密接に結びついた出来事ですね。
 高校女子駅伝・大学女子駅伝・富士山駅伝と見ましたので、知ってる顔が多く面白かったですし、廣中(長崎商業時代から応援してます)と田中さんとの一騎打ちも面白かったです。
その二人よりも京都は早く区間賞取ってるので、京都圧勝ですね。
娘一家は行きも帰りも見てたそうですので、廣中さんの生写真も送ってくれました。
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Unknown (花水木)
2025-01-13 11:21:58
明治になってから、日本は風穴空いたように、色んな事が変化し過ぎましたが、廃仏毀釈も、随分酷いと思いました。
寺や仏像を焼き払ったり、やることが極端過ぎて。

その後は、神仏混交で、生まれたらお宮参り、葬儀はお寺が多いですね。

昨日の全国女子駅伝、京都が優勝しましたね。
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