島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

石の小屋

2014-07-04 | 富江
 
 富江をブラブラと自転車で散策すると、そもそもが富江のほとんどは溶岩流の上に出来た町なので、溶岩(火山礫)?を使った石垣がどこにでも見られました。
 農家のちょっと古い立派な家は、マチュピチュかと思うぐらい、こんな立派な石垣を持っています。
 
 石造りの納屋やかんころ棚も見られますし、今もなんとかこのように使われている物や、
 
 畑の中に、石の小屋跡の三角形の側壁の片方だけがャcンと残っているのも、なんか絵になりますね。
 使われている石は、どれも玄武岩?、あちこちに転がっている溶岩の石(火山礫)?ですが、富江に採石場があるのかどうかまだ知りません。
 
 さんさん富江のキャンプ場には、移築再現されたのか立派な石の小屋が残されています。
屋根はさすがに石造りではありませんが、窒ニ木で編んだ屋根の梁に板か藁を敷いて使ってたのでしょうね。
 
 トタンで覆って、現役の納屋として使用されている、立派な石の小屋も見かけました。
 
 道端にあったこの小屋の三角形の側壁は「100人乗っても大丈夫!」の様に、整然と組まれています。
 家の石垣や畑の石垣なども含めて、富江全体の石組の能力は、なかなか相当なものですね!

      返事
和さん:詳細は不明ですが、七夕の頃に66歳になるおじいさんが書いていたのは見ました。
    地元ネタですが、
     天保はアマヤスと読むことを、丁度そこから来ている患者さんに教えてもらったところです。
     タクシーの運ちゃんも知らないので、盈進小学校の辺りと教えるそうです。
      調べると、天保年間に富江病院辺りの次男三男を移住させたので、こう書いてこう読ませるようですよ。
コメント (5)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 七夕飾り | トップ | 陣屋石倉 »
最新の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (和み)
2014-07-05 01:23:30
母の実家が天保で盈進小学校の横なのに…知らんかった…
勉強になりました(^-^✿)
返信する
Unknown ()
2014-07-05 19:01:04
この場をお借りして 和みさん初めまして。 お母さんが天保?年齢的に?と思うのですが私は1953年生まれです。案外つながりがあるかも?

かんころ棚我が家は窒gい作ってました。 作業がしやすいように畑のすぐそばに。 

このようにして写真を見せていただきますと 世界遺産級(?)立派ですよね~。
返信する
Unknown (大雪男)
2014-07-05 21:14:33
この石組み技術の伝播については私も非常に興味あります。
おそらく村々の手先の器用な人間が、他村の技術修得者に聞いて広まったのだと思います。
畑の石垣も見事ですが、富江のは素晴らしいですね。
返信する
Unknown (和み)
2014-07-06 01:28:39
私もこの場をお借りして…和サン はじめまして! 
1953年生まれならば…
盈進小学校の横にあった文具&駄菓子屋サンを覚えてませんか?
そこが母の実家で、和サンよりずっ~と歳上の1937年生まれです。
管理人を無視したローカル話題ですみません(・ิ▽・ิ。)
返信する
Unknown (花水木)
2014-07-07 06:02:40
今日は七夕ですが、全国的に雨みたいですね。

私は、人生初の出先での誕生日となりました。

この石垣、世界遺産までは無理でも、観光の目玉になりそうなおもしろさです。
返信する

コメントを投稿

富江」カテゴリの最新記事