前回は地図赤線を進みました。
今回は檜峠から続いて、地図青線に沿って分岐部からは右を選んで進みます。
檜峠を越えてすぐ左に岩倉自動車教習所が有ります。
昔、仕事や遊びや遊びや遊んだりで、夜遅くタクシーに乗り、「宝ヶ池教習所まで行って下さい」と言って寝てしまったら、この岩倉自動車教習所の前で起こされたことが有ります。
タクシーの運転手さんにとっては、この道が心霊スポットで怖いせいもあるのか、どうも岩倉自動車教習所の方が有名なようですが、ここも最近つぶれたようで、廃墟になっていますので、第二の心霊スポットにならなければ良いですが。
すぐに妙満寺にたどり着きました。
1389(康応元)年に烏丸五条辺りで開創、その後応仁の乱などで幾度かの兵火にあい、1583(天正11)年に寺町二条に移され、約400年の間寺町二条の妙満寺と親しまれてきましたが、昭和43年にここに移転したそうです。
移転したことを何となく覚えているような気がしますが、そこまで記憶力が良いとも考えられませんので・・・。
住職がやり手だったのか、しばらく見ないうちに大きなお寺になっていました。
仏舎利塔まで出来ていましたし、いろんなものを名所にしてました。
この辺には宅地乱開発で有名になった岩倉一条山(モヒカン山)があったと思うのですが、もう全く更地になったのか見つけられませんでした。
叡電鞍馬線の踏切に出てきました、昔(40年くらい前)この辺の道はもっと狭かったような気がします。
ちょっと右に寄り道すると、昔から何でこんな所にと思っていた、鰻と店の建物で有名な「松乃鰻寮(マツノマンリョウ)」がまだ有りましたが、高そうなので行ったことは有りません。
ここから叡電に沿って、右手に漫画学科などで有名な京都精華大学(家内の母校です)を見ながら進みます。
当時出来立てで女の子の多いこの大学のラグビー部と練習試合して、(私はトライしてますが)負けて、相手の選手が女の子に褒められてるのを指をくわえて見てた記憶が有ります。
さらに進むと、左からの青線の道と出会いますので、次回はその左の方の青線を進むことにします。
私の家の前は、せいぜい大きな角を持った立派な鹿ぐらいです。
テレビで、時々京都人あるあるとか紹介されますが京都の方は、いつでも行けるからと言う理由で、有名な観光地へ行ったことがない方多いとか。
先生は、各地制覇していると思いますが。
まあ一応の京都名所旧跡は行ったと思いますが、最近は全く知らないところが、京都人以外の人に発掘されて名所になっていますね。