写真の地図は私が産まれる10年前、昭和13年作京都都市計画書2万5千分の1(だいぶ前に寺町の古書店で1995円で買ってますので、たぶん再発行のまがい物?)です。
今回は✖から✖まで、大徳寺通り(旧大宮通り)を大徳寺から上賀茂神社まで、鞍馬街道の西街道を行きます。
85年前の京都の北部は、ほぼ田畑だったんですね。
左に大徳寺を見ながら北上し、その大徳寺が終わるとすぐの左手に、小さいですがよく整備された総神社(ソウジンジャ)が有りました。
この辺りの森が「菅宿の森(常盤の森)」と呼ばれてるのは、菅原道真が筑紫に流される時、当社巫女をしてた叔母を訪れて別離の時を過ごし、一宿されたからだそうです。
また、源義朝の別邸があって、常盤御前との子牛若丸(義経)をここで産んだとも言われています。
更に大徳寺通り(旧大宮通り)を北山通りを越えて北へ進むと、久我神社(クガジンジャ)です。
上賀茂神社の境外摂社と言うことになってます。
この付近も「大宮の森」と呼ばれていたようで、総神社と同じくこの辺り一帯は巨樹が繁茂する森だったようです。
境内を抜けると反対側はもう大宮通りで、神社の辺りでは旧大宮通りと、今はこちらの方が広く商店街にもなってる大宮通りは、かなり近づいていました。
さらに北に進むと、地図に青〇で記した三叉路の道標にぶつかりました。
左に行く道が大徳寺通り(旧大宮通り)のようですが、ここで別れて右の道を行き、大宮通りを横切って猪熊通りに出て、御園橋まで行くのがたぶん鞍馬街道の道だった感じです。
この三叉路に立つ石の道標、何とか
右 上賀茂・貴布祢・くら満道 左 にしかも・神光院・岩屋道
と読めますが、1842(天保13)年の道標です。
最初は頑張っても、だんだん写真撮るのが、邪魔くさくなるんですが…。笑
なかなか、やるな!(^^)
又取材に行ける日が解らないので、少しずつ消費してます。