島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

鞍馬街道7.

2023-12-23 | 京都へ、京都から

 比叡山を見ながらこの出雲路橋を渡って、更に鞍馬口通りを東に進みます、いよいよ洛外です。

加茂川左岸も坂になっているので、右岸の坂もお土居の残りではなく、単なる川岸の堤だったんですかね。

 100ⅿも行かずに下鴨西通りの交差点に至り、振り返って出雲路橋に別れを告げます。

ここで少し鞍馬街道のコースを外れて、下鴨西通りを南下することにしました。(上の写真では左に行きます)

 この地図は「京へと続く街道歩き」竹内康之著から無断で取ってますが、青い線の鞍馬街道の青い丸印に今はいます

私の親戚でこの辺りに住んでいた方からのメールで、出雲路橋東南角に松竹撮影所があったことを教えてもらいましたので、下鴨西通りを少し南下するのです(緑線)。

 南下してすぐ左に、私の孫の一人が小学6年生として在籍中の下鴨小学校が有りました。

今年は創立150周年の横断幕が有りますが、私の母校京都市立龍池小学校は、63年前の私が6年生の時に創立90周年なので、孫には3年ほど勝ってる気がしますが、龍池小学校はもう廃校で今は漫画ミュウージアムになってしまったので、その分は負けてますかね。

 その向かいぐらいが松竹下加茂撮影所のあった場所らしいですし、撮影所跡は一時下鴨ボウル?と言うボーリング場だったようですが、跡形全く見つかりませんでした。

二十歳ぐらいの頃、その頃はかなり高額だったボーリングが、早朝割引1ゲーム50円で投げられたので、ボーリング好きの友人B君と、朝早くから何回かこのボーリング場に来たことを突然思い出しました。

ついでに小学校の同級生で可愛くあこがれた女の子が、この辺の高級住宅地に住むカッコいい金持ちの男と結婚したので、どんな家か探しに行ったことも、思い出してしまいました。

 ついでにそのもう少し南、出町の三角州内の公園、最近やけに綺麗に整備された葵公園内に、目玉の松ちゃんこと無声映画時代の大スター尾上松之助の銅像があることが不思議でしたが、撮影所に近いからだったんですね。

 今回行ってみたら、横に案内看板も出来ていて、松竹下加茂撮影所の写真まで有りました。

 当時高校生だった親戚のお姉さんは、毎日のように通い、守衛さんに許されて、この門から中に入って見学してたんでしょうね。

NHK朝ドラの確か「オードリー」や映画「キネマの神様」の世界ですね。 

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鞍馬街道6.

2023-12-20 | 京都へ、京都から

 今回は出雲路橋周辺だけですが、ここが京の七口の一つ本来の鞍馬口なんでしょうね。

1.上善寺  2.幸福屋

3.公衆トイレ  4.養鯉場  5.志波無桜碑  6.出雲路鞍馬口碑

 出雲路橋西詰にたどり着きました。

横の通りは賀茂川右岸を北上する加茂街道にあたります。この道を進んでも、まあまた鞍馬街道に合流するのですが。

 南東角には、3.公衆トイレと大正4年に建った賀茂御祖神社へ5町の石柱が有ります。

 南西角には4.養鯉場が昔からあります。昔は大きな鯉の看板があったことで、子供心に記憶がありました。

 北東の角、賀茂川の川岸に下りる所の木の下に5.「志波無桜碑」(シハム師範)と書かれた碑がありました。

1905年(明治38年)に日露戦争戦勝を祝って、加茂川西岸に桜と楓を京都師範学校関係者が費用を出し合って植えたのを記念する碑です。

 それから100年以上、2279本の桜はもう代が変わってるのでしょうね。

 先の碑の後ろに回ると、そこには新しい6.「出雲路鞍馬口」の石柱が建っていたので、ここがお土居で囲まれた京の出口(京の七口)の一つ出雲路口・鞍馬口の場所のようです。

じゃあ今までは何だったたんだ、と突っ込まれそうですが、まあ清蔵口が出発点だと言う説もあるので、お許しを。

 では鞍馬街道に出発です。

 そして鞍馬口を出た途端渡るのが、この出雲路橋。

ここを通って島根県出雲に行くのかと思われる方もありそうですが、次回説明しますね。

  南側の欄干には鴨川と書いてあり、向こうに見えるのは大文字山です。

普通は出町で高野川と合流してからが鴨川と言われてますが、加茂川でも賀茂川でも鴨川でも、厳格な区別が無いのが、いちゃもんつけるの好きな京都人にしては珍しいですね。

(こんなん書いたら誰かがいちゃもんつけそうですが)

 現在の出雲路橋は昭和58年に出来たようですが、昔々は飛び石を渡ったり、舟橋の仮橋の時もあったようです。

 京都から出るためには、必ず川を越えねばならないので、京都の橋の歴史もちょっと興味あります。

 ややカーブのある軽い太鼓橋の出雲路橋を渡ります。

これを渡ったら「洛外かあ!」と思いながら昔の旅人は渡ったんですかね。

比叡山が大きく迎えてくれています。

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鞍馬街道5.

2023-12-18 | 京都へ、京都から

siha

 出雲路橋に近づいてくると、左手に上善寺(ジョウゼンジ)のこの立派な門が有りました。

豊臣秀吉の京都改造に伴ってこの地に移ってきた寺なので、お土居が出来た(1951)頃だと思います。

 明治の廃仏毀釈によって、深泥池畔にあった地蔵菩薩がここに移され、鞍馬口地蔵と呼ばれるようになりました。

これを祀る写真の六角堂も境内にあって、「六地蔵巡り」の一つになっています。

 本堂の周りは、秋にもかかわらず、枯れ葉一つ落ちていません。

 吉田松陰に高く評価され、久坂玄瑞・高杉晋作・吉田稔麿(トシマロ)と共に松門四天王と言われた入江九一(イリエクイチ)(私はこの人だけは知りませんでしたが)。

禁門の変(1864年元治元年)で28歳で討ち死にした長州藩士ですが、この寺に他7名と共に首塚が有ります(探したが入れないところに有るのか不明)。

 上善寺の前、鞍馬口通りの南側に、昔時々饅頭を買っていた記憶のある「幸福屋」さんを見つけました。

思わず饅頭を数個買ってしまいましたが、店番のおばあさんの示した合計金額が安すぎましたので、優しく正直な私は「間違っているようです」と伝え、更に280円足して払いました。

280円でその名の通り幸福になった私です。

 賀茂川が近づいてきて、出雲路橋西詰の交差点が見えてくると、鞍馬口通りは少し上り坂になっていました。

 この辺りにお土居があったと思われるので、その土盛りの跡が残ってるためかと推測しましたが、単なる川の堤なのかもしれません。

 やっと本当の「口」にたどり着いたのかもです。

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鞍馬街道4.

2023-12-16 | 京都へ、京都から

 昔は洛中洛外の北の境界線の通りと言われてた鞍馬口通りは、西は金閣寺の前から東は下鴨神社手前の下鴨本通りまで、約4kmのやや屈曲した通りです。(地図の青線部分)

と言うことは、京都観光で金閣寺からぶらぶら鞍馬口通りを下鴨神社まで歩く、と言うコースもなかなかのもんだと思います、結構名所も有りますし、食事や喫茶店も有ります。

 今回は地図の太い青線部を東へ400ⅿほど歩きます。

 烏丸通りの京都市営地下鉄鞍馬口駅周辺には、スーパーが有ったり居酒屋が有ったりしますが、少し東へ進むともう普通の通りです。

 以前ここには大学受験予備校として有名な関西文理学院(通称カンブリ)が有ったりしましたが、今はその跡地さえ分かりません。

 60年ほど前高校3年生の夏休み、自宅から当時はまだ走ってた京都市電(片道13円で往復25円だった気がします)に乗って、学校では教えてくれない物理・化学の夏期講習にカンブリに通いました。

市電の一番前に乗ってると、向こうから来た市電の正面に当時付き合ってた女の子が乗っていて、恥ずかしそうに眼だけで挨拶してくれたことは、今でも鮮明に瞼に焼き付いています。

 そんな昔の思い出に浸ってると、道端になんか洋風スープの自動販売機があって、始めて見たので、500円で買ってみましたが、まあまあの味くらいでした。

 中国っぽい寺院の門を北側に見つけました。

閑臥庵(カンガアン)(暇なときは寝るに限る、の意味なら同感ですね)、江戸時代に開山した黄檗宗の禅寺でしたので、いかにも黄檗宗という建物であるのもうなずけます。

第108代後水尾天皇(1596~1680)(在位1611~1629)は法皇時代にこの庭によく来られた様で、

    明けぬとて 野辺より山に入る鹿の

      あとふきおくる 萩のした風

をここで詠んでいます。

意味ははっきり理解できませんが、まあ当時この辺は鹿が出てくる田舎だったんでしょうね。

300年以上たった今、再びこの辺まで鹿が出没する世になっています。

   500ⅿほど進みましたので、また休憩です。

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太っ腹

2023-12-13 | ノンジャンル

 60円とか62円の古い記念切手を使うために、1円・2円の切手を買おうと、息子が家内の留守番してくれてる間に郵便局に行きました。

 1枚2枚では局員さんも気の毒だろうと、「1シート下さい」と言ったら、「1シートは100枚綴りです」と言われ、小心者の私は一瞬体が固まりました。

しかし太っ腹?な私は、1シート全て買ってしまいました。

 すごいですねこれ! 額縁に入れて飾りたい気がしました。

1円玉作るのには1円以上かかるそうですが、1円切手印刷するのも1円では出来ない気がしますね。

 そして前島密さん、子供の頃から1円切手はずっとこの前島密でしたよね、さすが郵便王!

 2円切手も買いましたが、いくら太っ腹でも「これも1シートください」とは、小市民の私は言えませんでしたので、2円切手は20枚だけにしました。

でもこれで払った金は140円だけ、全く太っ腹ではなかったですが、なんかすごい贅沢なのにお値打ち品を買った気がしました。

コメント (6)
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