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E・コッカーと戯れる浪費派リーマンのゆるい生活

置くべき軸足…の巻

2017-09-14 12:04:03 | 日記・エッセイ・コラム
ぼんやり過ごしている。

過去のいくつかのエクストリームな時代に比べれば、まさに平々凡々だ。




まあ、やるだけのことはやってきたかな。






もともと「狂犬」だの何だのとなんだのと。



社会にアジャストできた?だけでも、ありがたい話だ。

懊悩にまみれていた10代の私に、「大丈夫。お前はなんとかしのいだよ」って言ってやりたい。


ではあるが、多少の心配はある。

それはわが身のことではなくて、まあ、いろいろと。

「横丁のご隠居」ならではの気付きや心配はある。

相談されやすい体質でもあり、岡目八目というか、無責任な感覚ってのもあるんだろうけどね。




まあ、結局はハラの括り方だと思う。

世の中、絶対なんてモノはない。

ましてや「価値判断」の世界に「正解」はない。

それは光の当て方によって変わってくるのだから。




ただ、最大公約数的なものはある。

予定調和ではなく、現場での嗅覚を頼りに弾き出す…。

それが腕である。

そして、独りよがりではなくみなで導き出した答えであれば、そこは大事にすべきだ。


旧来の感覚や慣習、もっと言えば意地や面子にこだわるバカはどこにでもいる。

そんなバカは往々にして譲らず、朗々と語る。



まるでオールドファッションであり、観念論に過ぎないのに。


その場合、どう対処すべきか。

「はぁ?」

「本気で言いよってんですか?(おっしゃってるのですか?)」

かつて私が数多の悲劇を引き起こしてきた魔法の言葉である。




上位者に上記のような言葉を投げかけてはいけない。

大揉めになる。

ふだんは融通無碍な私、こだわりはほとんどない。

ただ、稀に一線を越えると、なかなかやっかいなんだよな。

そこまで事態が進行していた場合、投げかけた側(私)は絶対に退かないから、大惨事となる。

歴史が証明している。ぷぷぷ。


まあ、コレは冗談だけどね。

ただ、自己実現や、自分が抱える、あるいは所属するチームとしての「果実」を求めようとするなら、安易な妥協はいただけない。

一方で、戦略的な一時撤退はおおいにある。

衆知を容れ、面子も立て、最後に「果実」を得ればいいのだから。

実は私は、そんな調整型でもあったような気がする。


結局のところ、自分を支えるのは「なんのためにやっているのか」「何を大事にしているのか」。

そんなところだろう。

もっと言えば、今の行動は自分に恥じないものなのか。

その一点にこだわれば、おのずと道は見えてくるはずだよね。


それぞれが組織人として生活者として、たゆまぬ努力を続けてきたはず。

あえぎながらも歩を進めてきたはず。

そんな自分に自信を持ち、しかしながら思考停止には陥らないよう、ゆっくりやっていきましょう。




きっと大丈夫。