ぼんやり過ごしている。
過去のいくつかのエクストリームな時代に比べれば、まさに平々凡々だ。
まあ、やるだけのことはやってきたかな。
もともと「狂犬」だの何だのとなんだのと。
社会にアジャストできた?だけでも、ありがたい話だ。
懊悩にまみれていた10代の私に、「大丈夫。お前はなんとかしのいだよ」って言ってやりたい。
ではあるが、多少の心配はある。
それはわが身のことではなくて、まあ、いろいろと。
「横丁のご隠居」ならではの気付きや心配はある。
相談されやすい体質でもあり、岡目八目というか、無責任な感覚ってのもあるんだろうけどね。
まあ、結局はハラの括り方だと思う。
世の中、絶対なんてモノはない。
ましてや「価値判断」の世界に「正解」はない。
それは光の当て方によって変わってくるのだから。
ただ、最大公約数的なものはある。
予定調和ではなく、現場での嗅覚を頼りに弾き出す…。
それが腕である。
そして、独りよがりではなくみなで導き出した答えであれば、そこは大事にすべきだ。
旧来の感覚や慣習、もっと言えば意地や面子にこだわるバカはどこにでもいる。
そんなバカは往々にして譲らず、朗々と語る。
まるでオールドファッションであり、観念論に過ぎないのに。
その場合、どう対処すべきか。
「はぁ?」
「本気で言いよってんですか?(おっしゃってるのですか?)」
かつて私が数多の悲劇を引き起こしてきた魔法の言葉である。
上位者に上記のような言葉を投げかけてはいけない。
大揉めになる。
ふだんは融通無碍な私、こだわりはほとんどない。
ただ、稀に一線を越えると、なかなかやっかいなんだよな。
そこまで事態が進行していた場合、投げかけた側(私)は絶対に退かないから、大惨事となる。
歴史が証明している。ぷぷぷ。
まあ、コレは冗談だけどね。
ただ、自己実現や、自分が抱える、あるいは所属するチームとしての「果実」を求めようとするなら、安易な妥協はいただけない。
一方で、戦略的な一時撤退はおおいにある。
衆知を容れ、面子も立て、最後に「果実」を得ればいいのだから。
実は私は、そんな調整型でもあったような気がする。
結局のところ、自分を支えるのは「なんのためにやっているのか」「何を大事にしているのか」。
そんなところだろう。
もっと言えば、今の行動は自分に恥じないものなのか。
その一点にこだわれば、おのずと道は見えてくるはずだよね。
それぞれが組織人として生活者として、たゆまぬ努力を続けてきたはず。
あえぎながらも歩を進めてきたはず。
そんな自分に自信を持ち、しかしながら思考停止には陥らないよう、ゆっくりやっていきましょう。
きっと大丈夫。
過去のいくつかのエクストリームな時代に比べれば、まさに平々凡々だ。
まあ、やるだけのことはやってきたかな。
もともと「狂犬」だの何だのとなんだのと。
社会にアジャストできた?だけでも、ありがたい話だ。
懊悩にまみれていた10代の私に、「大丈夫。お前はなんとかしのいだよ」って言ってやりたい。
ではあるが、多少の心配はある。
それはわが身のことではなくて、まあ、いろいろと。
「横丁のご隠居」ならではの気付きや心配はある。
相談されやすい体質でもあり、岡目八目というか、無責任な感覚ってのもあるんだろうけどね。
まあ、結局はハラの括り方だと思う。
世の中、絶対なんてモノはない。
ましてや「価値判断」の世界に「正解」はない。
それは光の当て方によって変わってくるのだから。
ただ、最大公約数的なものはある。
予定調和ではなく、現場での嗅覚を頼りに弾き出す…。
それが腕である。
そして、独りよがりではなくみなで導き出した答えであれば、そこは大事にすべきだ。
旧来の感覚や慣習、もっと言えば意地や面子にこだわるバカはどこにでもいる。
そんなバカは往々にして譲らず、朗々と語る。
まるでオールドファッションであり、観念論に過ぎないのに。
その場合、どう対処すべきか。
「はぁ?」
「本気で言いよってんですか?(おっしゃってるのですか?)」
かつて私が数多の悲劇を引き起こしてきた魔法の言葉である。
上位者に上記のような言葉を投げかけてはいけない。
大揉めになる。
ふだんは融通無碍な私、こだわりはほとんどない。
ただ、稀に一線を越えると、なかなかやっかいなんだよな。
そこまで事態が進行していた場合、投げかけた側(私)は絶対に退かないから、大惨事となる。
歴史が証明している。ぷぷぷ。
まあ、コレは冗談だけどね。
ただ、自己実現や、自分が抱える、あるいは所属するチームとしての「果実」を求めようとするなら、安易な妥協はいただけない。
一方で、戦略的な一時撤退はおおいにある。
衆知を容れ、面子も立て、最後に「果実」を得ればいいのだから。
実は私は、そんな調整型でもあったような気がする。
結局のところ、自分を支えるのは「なんのためにやっているのか」「何を大事にしているのか」。
そんなところだろう。
もっと言えば、今の行動は自分に恥じないものなのか。
その一点にこだわれば、おのずと道は見えてくるはずだよね。
それぞれが組織人として生活者として、たゆまぬ努力を続けてきたはず。
あえぎながらも歩を進めてきたはず。
そんな自分に自信を持ち、しかしながら思考停止には陥らないよう、ゆっくりやっていきましょう。
きっと大丈夫。