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E・コッカーと戯れる浪費派リーマンのゆるい生活

「今」を映すモノの巻

2017-09-28 13:09:27 | 日記・エッセイ・コラム
先日、広島市西部に賑々しくオープンした商業施設「LECT」に。


http://lect.izumi.jp/


今風の大型ショッピングセンターで、ホームセンター、蔦屋書店も併設。

グルメにもちょっと力を入れたってテイかな。


これまでも足を運んできたわけだけど、今回は平日にゆったり。

すると喧噪の中で見えなかったモノに、いろいろと気付かされたな。


とにかくだだっ広い。

であれば、品揃えも豊富。

食料品についても、ちょっとニッチな商品も揃っている。


本棚じゃないよ、これw




で、基本的にかなり安い。

私は正直、日用品の値段の高い安いはよくわからないのだが、奥さんはそう太鼓判を押す。

「コストコなんかよりも安いんじゃない?」って。

そして、安全対策というか危機管理というか、その辺りはほぼ万全であろうから、「安心」も手に入るわけだ。


冷凍食品の備えも十分だよね。



「冷凍食品を子どもに食べさせるなんて!」ってフレーズが古ドラマに横溢してたけど、もはや死語だね。



技術の粋を集めたフードであり、お母さん方、あるいは少数ながらお父さん方の自由と睡眠を担保する、夢の食材だ。

美味いしね。


大量一括仕入れの実現、消費者のライフスタイルの変化などが、こうした郊外型スーパーの進撃を後押しするんだろうなあ。

まあ、これで映画館でもあったら、一日中いられるものなあ。

実際、お年寄りもたくさん。

最近のスーパーは時間つぶしのスペースを多く取ってるから、パラダイスのはず。



ホント、手取り足取りだよね。



市民の嗜好、消費形態を凝縮させた空間とでも言うのだろう。

一方で、生産者には安価と安定供給が迫られるわけで、作る側には辛い施設でもあるんだろうけどな〜。


で、そんなことに思いを巡らせてたら、あらら、こうゆーことだ。



(これは今回の「絵」ではないけど)。

唐突感が否めない中、ムードに流される恐れさえある。

僕らは何を考え、どう選択すればいいのだろうか。


その前に、今、自分たちが立つ場所をどう認識するかが大切なのだろう。

例えば世帯年収なんてモノがある。



これって30年前とほぼ変わらないんだよね。

で、消費者物価指数もほぼ変わらない。

高くなったものもあるだろうけど、デフレや前述のスーパーなどの存在で、30年前とあんまり変化はないのさ。




じゃあ、今は30年前と同じ暮らし向きなんだろうか?

そもそも30年前っていつだ?


1987年。

総理は中曽根さん(11月から竹下さん)。

俵万智の「サラダ記念日」が大ヒットし、日参から「Be1」がデビュー。プレミア価格になったな。

国鉄が民営化され、朝日新聞神戸支局が襲撃された。

日本企業がゴッホの「ひまわり」を50億円以上で落札したってこともあったなあ。

昭和天皇の不調が伝えられ、なんだか世の中が騒々しくなってきた頃だ。


個人的に言えば、「サツ回り」とゆー不毛なミッションに足を踏み入れてしまった時期。

青春を返して欲しい(笑)


時代へのまなざしや価値観はひとそれぞれ。

この私でいうと、当時と今を比べ、やはり窮屈だと感じる。自由度が少ないというか。

チャレンジがなかなか許されない時代って感じがするし、敗者復活が実現しにくいようにも思う。


格差社会なんて言うと陳腐だけど、富の偏在は確かにあるし、昔より広がっただろう。

このグラフを見れば一目瞭然だ。



そして、富の偏在、裏返せば経済的な負の連鎖は、例えば学びの機会を奪うだろう。

そしてそこにまた連鎖が生まれる。

ここをどう断ち切るか。財政逼迫の折、どこから金を捻出するか。うーむ。


平均年収を比べるよりも、中心値こそが実質の偏差値なわけ。

それでみると「体感年収」ってのはむしろ、30年前よりも下がっているって話もある。

子育て世代のつらさはいかばかりかだよね。




ごく一握りの超富裕層の存在とメディアで喧伝されるその桁違いな消費っぷりが、うっすらした貧困から人々の目を背けさせている。

なんだか景気が上向きなような感じで。

もちろん、富の偏在についての反発や反感もあるに違いない。

ただ、高所得者側に「なんで俺たちばかりがこんな多額な税金を取られるんだ!」って思いもあるだろう。

実際、日本の住民税は高所得者たちで賄っている側面が大きいわけだから。

そんな不満はそれぞれに澱のようにたまり、さまざまな場面で「分断」が生まれつつあるような気がする。




もちろん、超高齢化という課題もある。

「今の年寄りはお金を持ってるからね」などとやっかまれることもあるけど、それはごく一部だ。

高齢者の生活苦は、若い世代の低賃金化よりもさらに世帯年収を下げる要因になっている。


これから後期高齢者に入ってくる一団の多くは、多かれ少なかれ困窮に直面するんだろうと思う。

だって、年金には頼れない。支える層が薄いんだから、自明の理だよね。

とすれば、そこに広がる光景は、この五十年、日本が経験したことのないものだろう。


広大なスーパーを歩きながら、「10年後、ここはどんな風になるんだろう」って、ふと思ったわけ。


「政権選択選挙」だなんて大仰なことになってきたけど、いまここにある危機に誰が応えてくれるのか。

そもそも自分なりの争点はなんなのか?

流されることなく、それぞれが考えることが大事なんだろうなあと思うのです。