『傘寿改め傘寿+3には「夢のまた夢」3、 もう一度、やりたい船底くぐり!』
『昔、銚子港で先輩にウォッチされてできた漁船の船底くぐり(潜り)』
半世紀も昔のことです。 名画『禁じられた遊び』には、年齢的には、薹(とう)が立った中学生にも、こんな危険な遊び『銚子港で漁船の船底くぐり(潜り)』がありました。
先ずは、予備知識・備忘録情報として、『喫水線』のウエブ情報です。
船が船倉一杯に荷物を積んで走り、瀬戸内海や波静かな港内で停泊中であるのに海水が甲板を洗うような状態の船を乾舷ゼロの船という。 一頃、魚を沢山捕りたい一心で甲板にまで燃料の入ったドラム缶を満載して出漁し、次々に遭難した39トン型の漁船も乾舷ゼロであった。
昔から「漁師は魚が獲れ、始めると船の沈むのを忘れる。」という諺があるが、一般商船でも船にはできるだけ沢山の荷物を積みたいのは洋の東西を問わない人情である。しかし水面から甲板までに余裕のない船ほど危険なものはない。
乾舷というのは、分かり易くいうと、船が浮かんでいるとき、水面上に出ている防水部分の高さのことで、船に浸水してもこの高さに余裕のあるうちは船は浮力を持っている。乾舷の多いほど一般に復原力がいいともいえる。船の重心の位置が高く初期復原力が少なくても十分な乾舷があれば大傾斜を起しても復原できるのである。
この防水になった部分の容積を予備浮力といっているが、これ以上積載してはならない乾舷の位置を満載喫水線といい、法令の定めるところにより満載喫水線を表示する必要なしとされる船舶を除き、遠洋区域、近海区域を航行する船舶、沿海区域を航行区域とする長さ24メートル以上の船舶、総トン数20トン以上の漁船は満載喫水線を表示しなければならないことになっている。
船の沈んでいる深さを表わすのに現在は「喫水」の文字を使うが、これは当て字であり、昔は本字である「吃水」を使用した。 中国で吃水を読むは「我看看吃水」だ。
『喫水線・吃水線』
ウエブ情報から引用
船底のハル形状による分類『ストレートV・Straight Vee』
ウエブ情報から引用
表題『アラ傘寿改め傘寿には「夢のまた夢」3、もう一度、やりたい船底くぐり!』に戻ります。 半世紀も前、故郷、九十九里海岸の旭市飯岡には、当時、港がなく、漁船の船底くぐり(潜り)という『禁じられた遊び』はできませんので、悪ガキ・少年たちは、わざわざ銚子港まで遠征しました。
銚子港には、『長さ24メートル以上の船舶、総トン数20トン以上の漁船は満載喫水線の表示がある』漁船が、港に係留されていました。 当然、ディスチャージ(魚の荷揚げ、当時はなんと言っていたかは知りません)された後でした。
当時は、喫水線の意味も知らず『ボーっと生きていました』。
目当ての大きさの漁船の船底は『ストレートV・Straight Vee』が一般的です。 潜水距離は、船首部分が短く、船尾に行くほど長くなります。 子供たちも自分の体力に応じて、船首近くから、だんだん船尾にと、グレードアップし、その後は漁船の大きさをスケールアップします。
当時の子供たちは、自己責任で、『漁船の船底くぐり(潜り)という「禁じられた遊び」』をやりますので、年上の子供が漁船の両側から新人の子供と同時に潜って、非常時(船底に張り付くとか、足がつる等)に備えます。 特に背中が張り付いた時は、強引に引き出すと、船底で背中を負傷します。
自分は、先輩の皆さんに、負けずに大きな漁船、おそらく30トン以上もやりました。 『生活の知恵』というより危険に備える本能でしょうか。 潜った瞬間に、腹は、船体側面に、更に船底付近では船底に向けます。 更に、泳ぐ潜水スピードが落ちますが、予め両手に軍手を付けていますので、船底を両手・両足で、四つん這いで這うようにして、最後に船底の端を、思い切り両足蹴って、船体側面から離れるようにします。 そうしないと浮上はスピードが付きますので、顔や腹を擦りむき、傷つけることがあります。
今の安全第一の時代の子供たちは、本当に幸せです。
(20210211纏め、#284)