『傘寿改め傘寿+3には「夢のまた夢」2,また完泳したい葉山のプチ遠泳!』
『昔、葉山の海でビール1ダース景品に、菜島と森戸海岸往復の対抗遠泳を』
葉山森戸海岸の岩礁の地図は、なかなか入手できませんでしたので、『釣り場案内図』を使用します。 森戸海水浴場中央部の浅瀬に監視員のやぐらがありました。 このやぐらから菜島の赤い鳥居を目指しで泳いで往復する、このプチ遠泳は、往復約3㎞です。
右側呼吸のクロールは、岩礁群を超えてきた波は後頭部にかかり、顔にはかかりませんので、楽でした。 反対に復路は顔に波がかかり結構苦労しました。
ウエブ情報から引用
森戸海岸から見た菜島と鳥居が霞んで見えます。
ウエブ情報から引用
森戸大明神の南の、真瀬海岸からの望遠撮影、葉山灯台、別名「裕次郎灯台」と富士山を望む。
ウエブ情報から引用
森戸大明神の先端の『裕次郎記念碑』後方に菜島の鳥居と『裕次郎灯台』
ウエブ情報から引用
このプチ遠泳競争に至ったいきさつです。 半世紀も昔のことですが、昔お世話になった会社の工場にボデイビルの同好会がありました。 自分の場合は、暖かい3月になると、夏に備えて筋骨の見栄えを少しでも良くするために工場の屋上にあるトレーニングコーナーで、毎年恒例のシーズン前の俄かトレーニングを再開しました。
ボデイビル同好会の中には、ミスター神奈川のコンテストの決勝にまで残るほどの猛者もいました。 自分は農家の『芋ほり』で、小さいころから、鍛えられておりましたので猛者の皆様のように、僧帽筋・広背筋の発達で逆三角形にもならず、大胸筋の段差はついてなく、腹直筋(上下)も割れてはいませんでした。
ボデイビルで筋骨隆々になっても、少しでも油断すると筋肉が落ちることも知っていましたのであまり期待はせずにトレーニングには参加しました。 そんな初夏のある日、プレス工具課のボデイビル同好会の猛者の皆様が、連休に葉山の保養所に一泊休暇になり、 同じ日に我らが生産技術部有志も行くことになりました。
猛者の皆様は、見栄えを良くするための『日光浴』が主目的でしたが、プレス工具課で実習中だった自分に、チャレンジがありました『森戸海岸から菜島往復の遠泳やろう、俺たちが「オメー」に負けたら、ビール1ダースをあげる。 もし、俺たちが勝ってもビールはとらないからな大丈夫!』と。
保養所で着替えて、森戸海水浴場の監視員のやぐら付近の砂浜に集合しました。 猛者の面々は、オイルを全身に塗りたくって、筋肉を緊張させ、隆々とさせるための準備運動も怠りなく、準備万端でした。 当方は一人の参加ですので少しは緊張をしました。
監視員のやぐら付近から、『さー、スタート』と一斉に泳ぎだしました。 暫くは数人の集団でしたが、皆、海は苦手なのか、岩礁沿いに泳ぐ猛者連は、自分からは全く見えませんでした。 500ⅿほど泳いだ後、結構エネルギーは消耗するのですが背泳ぎになって、左右・後方を見るとひとりも泳いでいませんでした。
菜島に着いた時は、浅瀬の岩礁にびっしりと着いたカラス貝で両足の裏を数ヵ所切り出血しました。 渡船の船頭から『乗って帰るか』と言って頂きましたが、浅ましくも『ビール1ダース』の景品に魅かれ、出血も治まったので泳いで帰りました。
海岸で帰ったときに、猛者連の一言『オメー、どこの出身だ?』、『九十九里海岸の飯岡です』と一言、『それを先に言え』、でも聞かれなかったからと答えました。 監視員にも補導されない『古き良き時代』でした。
(20210210纏め、#283)