知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

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『苦海浄土の著者・石牟礼道子さんのこと』ー西のミチコと東のミチコが会いましたと車椅子の上でお茶目に石牟礼さんー

2022-03-30 09:07:13 | 読書

             『苦海浄土の著者・石牟礼道子さんのこと』

 『西のミチコと東のミチコが会いましたと車椅子の上でお茶目に石牟礼さん』

『ふたり 皇后美智子と石牟礼道子』著者 高山文彦氏

ウキペデイアから引用

西のミチコと東のミチコが会いましたと、車椅子の上で石牟礼さんは、お茶目な言い方をする。

本はよく読みますが、自分が覚悟して、強い意志で、やっと読み切った本のトップスリーで、トップはなんといっても『苦海浄土』です。

❶苦海浄土(くがいじょうど)(水俣病の実態) 石牟礼道子著

❷蒼穹の昴(清朝末期の宦官の自宮(宮刑でなく)実態) 浅田次郎著

❸アンデスの奇跡(冬のアンデス山中で墜落事故遭難者の一部16人が72日後に生還)生存者ナンド・バラード著 

  水俣病の世界を描いた『苦海浄土』の作家石牟礼さんの、2月10日の死去に、舞台となった熊本・水俣では、患者や支援者らが無念さをにじませた。『寄り添ってくれた』患者らは、勇気をもらい作品を通じて水俣病の実態を国内外に伝えた偉業をたたえた。 

 『水俣』を、そして文明の危うさを書き続けた作家石牟礼さんは、水俣病と、それを引き起こした企業や行政の振る舞い、がむしゃらな経済優先の時代の病巣を見つめ、そこからの思いを1本のペンに宿した人生だった。 言いようのない喪失感を覚える作家の死である と言う記事を読みました。 

 違う形で、ケタの違うスケールで作り出されている『人為的な環境破壊』に対する警鐘として、この本を『教科書で紹介すべき』と思うほどです。

  詩人で作家の石牟礼さんの、その広範囲の活動実績にも驚きました。 

先ずは、受賞歴です。

 

 石牟礼さんは文学少女として水俣に育った。10代半ばから歌を詠み、詩作に親しんだ。 結婚し、地元で家庭を持つ。 その文学好きの一主婦が、足元で起きたすさまじい公害事件と出合ったことで、常ならぬ道を歩くことになる。

 水俣病公式確認から3年後の1959年、石牟礼さんは 見舞いのため水俣市立病院の水俣病特別病棟を訪ねた。 そこで見た患者たちの姿に『水俣病事件に悶々(もんもん)たる関心とちいさな使命感を持ち、これを直視し、記録しなければならぬ』という衝動にかられる。 そして『苦海浄土』が生まれた。

 

 激しくけいれんし、苦悶(くもん)の爪痕を壁に残した初期患者の悲惨な病状。豊かな海と、漁に生きる暮らしと、地域社会を破壊した公害事件の正体。壊され失われたものへの、いとおしみ…。 それらを、類いまれな表現力で描き出した主婦作家の一冊を通して、多くの人が「水俣」を知った。

 

『ふたり 皇后美智子と石牟礼道子』 高山文彦著には、こうあります。

 西のミチコと東のミチコが会いましたと、車椅子の上で石牟礼さんは、お茶目な言い方をする。でも顔は、お能の面みたいに静かなのである。 

ここでいう西のミチコとは水俣の石牟礼道子さんで、東のミチコとは東京の美智子皇后陛下を指します。西のミチコを先に出すのは、すごいですね。『西のミチコが東のミチコにあいました』なら、この順でいいのですが。

 お会いされたのは、東京神田駿河台の山の上ホテル。鶴見和子さんをしのぶ山百合忌においてでした。 とにかくその会で石牟礼さんは皇后の隣りに席を用意され、会が終わるまで二時間ばかり親しく言葉を交わしたのだという。

 その時の、石牟礼さんが抱いた皇后陛下に対する印象は、『あんな知的な女性にお会いしたのは、はじめてです。とてもお優しくて、美しい方でした。 こぎゃんか女性をお嫁さんにもらわれた天皇さんは、偉かです」というものでした。

更に、凄さを感じた『ふたり 皇后美智子と石牟礼道子』からの関連情報・抜粋です。 

2013年10月、水俣を訪れた天皇皇后が、水俣病患者と歴史的な対話をかわされた。そのきっかけをつくったのが、『苦界浄土』をあらわした石牟礼道子。二人のミチコが文学をとおした魂の交感から、数々の秘められたドラマが生まれた。

2014年の歌会始で天皇が詠んだ一首。
慰霊碑の先に広がる水俣の 海青くして静かなりけり
 

2013年10月、「全国豊かな海づくり大会」のため水俣をはじめて訪れた天皇皇后にとり、その旅は大会への参加以上に、戦争にひきつづき果たしてきた日本の惨禍への慰霊が目的だった。水俣でおきた『奇跡』――、天皇の政治利用と非難されることを自ら覚悟のうえで、渋る宮内庁幹部を動かし、極秘のうち実現した天皇皇后と胎児性患者や語り部の会11人との面会。それは美智子皇后と作家・石牟礼道子、「ふたりのみちこ」の深い絆によりもたらされた。
作家・池澤夏樹氏が個人編集し大評判をよんだ『世界文学全集』の中で、日本作品から唯一選ばれたのが、石牟礼道子の『苦海浄土』(講談社文庫)だった。本を通して深い信頼関係を築いた「ふたりのみちこ」が、半世紀以上にわたり水俣病と向きあった人々からの「許し」を得るまで。その過程には、水俣病の原因をつくったチッソの社長が雅子皇太子妃の祖父だったという、乗り越えなければならない複雑な経緯もあった。
東京で、水俣で、深く意志を交錯させたふたり。パーキンソン氏病をわずらい闘病中の石牟礼道子は、天皇皇后に面会する患者代表にこう伝言したという。「天皇陛下に伝えてください。大会で放流したヒラメは、もう水俣病になりませんか?」
1965年に熊本の同人誌で知り合って以来、水俣病に石牟礼とともに取り組んできた作家・渡辺京二が語る、政府と公害企業との闘争史も興味深い。

  将に、今そこにある危機は『二酸化炭素排出増加』に起因する異常気象と環境破壊です。 繰り返しになりますが、個人が、70 億人が、すぐに出来ることは、最も有効な; ❶節電  ❷節水、 ❸植樹 、❹買い物用『マイバック』必携、❺出来るだけの歩行移動、でしょう。

(記事投稿日:2018/02/12、最終更新日:2022/03/26、#501)


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