知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

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『同郷・同世代の千葉県旧飯岡町出身の女流詩人 高橋順子 3』 『詩人・エッセイストの「漱石の硯」と「吾輩は猫である」と』

2022-10-17 10:29:18 | 読書

『同郷・同世代の千葉県旧飯岡町出身の女流詩人 高橋順子 3』

『詩人・エッセイストの「漱石の硯」と「吾輩は猫である」と

 

先ずは、高橋順子氏のプロフィールの再掲です。

経歴

千葉県飯岡町(現旭市)生まれ。東京大学文学部フランス文学科卒業。青土社などの出版社に勤務。1998~2004年、法政大学日本文学科非常勤講師。

1993年10月、作家車谷長吉と結婚。2005年、車谷、新藤涼子と世界一周の船旅をする。2008年2~5月、車谷と四国八十八ヶ所を巡礼する。

受賞歴

  • 1987年 『花まいらせず』で現代詩女流賞
  • 1990年 『幸福な葉っぱ』で現代詩花椿賞
  • 1997年 『時の雨』で読売文学賞
  • 2000年 『貧乏な椅子』で丸山豊記念現代詩賞
  • 2014年 『海へ』で藤村記念歴程賞、三好達治賞
  • 2018年 『夫・車谷長吉』で講談社エッセイ賞

 

先日(2022/10/16)の日経新聞文化欄に、高橋順子氏のエッセイが、タイトルは『漱石の硯』でした。 このエッセイを読み始めた時の、そそっかしい勘違いが、真実であったら大発見と押っ取り刀で、エッセイを読み返し、「吾輩は猫である」をチェックしました。 残念ながら『吾輩は猫である』のお手伝いさん『御三(おさん)』は、高橋順子氏の叔母ではありませんでした。

 

「夏目漱石愛用硯」(復刻版)神奈川近代文学館蔵  ウエブ情報から引用

 

エッセイ『漱石の硯』の抜粋・引用です。

『東京新宿区の漱石山房記念館に、当時94歳だった私の叔母は、所有していた「漱石の硯」を譲り渡した。 漱石のお孫さんの一人の勧めによる。 なぜ叔母がそんな大そうな品を持っていたかというと、この人は長い間、漱石の長男・純一宅に家政婦として住み込んでいたのだが、ある時純一氏が叔母に『これを上げる」と手渡したのである。 漱石の遺品と知って驚いた叔母は「何か添え書きをいただかないと、私がくすねたように思われます。」と』、それで添え書きができたようです。

 

『「牛込区早稲田南町七番地漱石山房跡より掘り出された父生前の愛用の硯 珍しい形をしており、蓮の花の上に蛙が乗っていたのがいつの間にか飛び立って姿が見えなくなって物、記念としてあなたに差し上げたいと思います。」と欠損を詩情に変え、思いやりのある添え書きをくださった。』

 

『戦後、漱石山房があった場所の焼け跡から硯が2つ出土し、大工さんが純一氏に届けてくれたそうだ。 そのうちの1つは神奈川近代文学館に寄贈された。 蛙がいなくなった硯は完全な品とは言えないものなので、文学館には渡さなかった。 叔母は木箱に入れ自室に運んだ。』

 

『叔母に漱石の硯をいただいて、どんな気持ちがしたかと尋ねたことがある。 「重苦しい気持ちだった。 持っていろと言われたから持っていた」と答えた。 主人夫婦を看取り、叔母は78歳で夏目家を去ることになった。』

 

『私の母である千葉飯岡の故郷の姉は「こちへ来なよお」としきりに言ったが、友達も近所の人も「東京へ残ったほうがいい」というので、姪の私が用意したマンションに残った』

 

『硯は引っ越し荷物より一足先に私がカバンに入れ、自宅に運んだ。 引っ越しが完了するまでは、硯は私の部屋に置かれた。』

 

同郷・同世代の千葉県旧飯岡町出身の女流詩人 高橋順子氏と「漱石の硯」と「吾輩は猫である」とが、一瞬の錯覚ですが、かかわりがあったように思えて『ほっこり』としました。

(記事投稿日:2022/10/17、#587)


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