『塔(継承と改革・息づく匠の精神) 3(奇数の層塔は耐震構造?)』
『著書「塔」は、哲学者・梅原猛氏の日本学黎明期のエッセイ集』
梅原猛氏の『塔』への興味を、まだまだ追いかけます。 仏塔の源流は仏舎利を納めるインドのストゥーパ。 大陸や朝鮮半島には、古い木造仏塔が現存せず来歴がはっきりしない、大切なのは相輪であり、塔の木造部分は単なる土台だと表現される。
鍵を握るのは、心柱の存在かもしれない。 大陸の塔は内部空間を、確保するため心柱はない。 一方日本の塔は、中軸を心柱が貫き、建築構造とは無関係に、独立して立ち、天辺の相輪を支える。
奈良県には世界最古の木造建築が三つあります。 奈良の薬師寺東塔(730年建立)と、それに先立つこと半世紀余、世界最古の木造建築である斑鳩の法隆寺五重塔(金堂と同時の660年頃建立)と法起寺三重塔(706年建立、三重塔では最古)です。 これらの三つの塔は、建立時代はほぼ同じです。
法隆寺五重塔
現存する木造建築の五重塔としては世界最古のものである法隆寺五重塔は、初重から五重までの屋根の逓減率(大きさの減少する率)が高く設計されていることが大きな特色です。 五重目の屋根の一辺は、初重の屋根のおよそ半分のサイズです。 塔身もまた、下層から上層へ行くにつれ、細くなっています。
ウエブ情報から引用
法起寺三重塔
聖徳太子の実在を裏付ける寺、聖徳太子が実在しなかったとすると、聖徳太子が山背大兄王に遺言として法起寺(岡本宮の寺への改編)の創建を託したことも事実では無かったことになり、法起寺が誰によって創建されたのかも謎になってしまいます。 聖徳太子のシンパは聖徳太子複数人説の方が信じられます。
ウエブ情報から引用
『塔』は、唯一実用性のない建築物だ。 時計台や鐘楼に利用するのは二次的なもので、あくまで非現実的、精神的目標の表れともいわれる。 梅原猛氏は、西洋の塔は『生』だという。 頂上に権力者がいる。 上へ、上へ無限に己を越えて進行する、生への意志の表現。
ドイツ ケルン大聖堂:世界最大のゴシック建築
ウエブ情報から引用
それに対し、日本の塔は「死」のしるし。 塔の始まりである仏塔には、下に釈迦の舎利が埋まっている。 この死の思想が西洋と違うところで、キリストは復活するから。 果て無く上を目指す限り塔は未完。 けれど日本では、完結しないものは美しくない。 終の美学がある。死の哲学が存在する。
実は仏教が来る前から、日本にも塔はある。 それが古墳。 権力の象徴、かつ死の記念塔。 その割に古墳は高くない。 古墳制作者には明確な意図があるという。 それは『円部の高さと直径を等しく』することで、目指したのは三輪山の形。 権力者は神になることを目指したのか。
三輪山=御神体
ウエブ情報から引用
だから、高くするには直径が必要になる。 故に古墳は世界一大きいが、高くはならなかった。 そして円部が埋葬場所なら、方部は、死者との交渉の場ではないか。 時代と共に方部先端は広がる。 権力者が強大化すると、支配される人も増え参拝や祭祀を行う場所も広がっていったのではないか。
前方後円墳
ウエブ情報から引用
円と方のバランスは変化する。
大仙陵古墳は世界一大きなお墓
ウエブ情報から引用
『隠された十字架』を読んだときは、法隆寺が聖徳太子の怨霊封じ込めだ、というのが印象的だったけれど、ここでは聖徳太子伝説の作成に『景教』が影響していることを考察していてそれがとても興味深かった。
談山神社の十三重塔は唯一現存する十三重塔
ウエブ情報から引用
『「塔」は、唯一実用性のない建築物だ。』という方もおるようです。 『十三重塔』は当初、白鳳7年(678年)に定恵(藤原鎌足の長男で、遣隋使と共に唐に留学)が父の供養のために建立していました。 現存する重要文化財の美しい『十三重塔』は享録5年(1532年)に再建されたものです。 木造の十三重塔としては日本で唯一であり、そして世界最古。
やはり、日本の塔は、神秘と夢があり、これからも楽しみが残りました。
(記事投稿日:2022/08/25、#565〙
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