『世界の城郭 12(チェコのプラハ城、古くて歴史のある堅城)』
「ギネスブックによると、最も古くて大きい城」
西洋の中世の城郭は、山城が多いのですが、中には古いがパレス風城塞があります。 プラハ城は、かつてボヘミア国王や神聖ローマ皇帝の居城であり、現在はチェコ共和国(元チェコスロバキア連邦共和国)の大統領府のある場所です。
ボヘミア国王の宝冠はここで保管されています。 プラハ城は世界でも最も大きい城の一つであり(「ギネスブック」によると、最も古くて大きい城)、敷地の広さは東西430m、南北70~140mで細長い形をしており、10世紀には既にこの大きさであったと考えられています。
城はフラチャヌィの丘の頂にあり、 その麓にマラー・ストラナという城下町があります。 城と麓の高低差は80メートルもあり、城まで続く坂道がネルドヴァ通りで、土産物店やレストランが並び市電も走っており賑やかで、上り詰めると城の正門に突き当たり、石畳のフランチャヌィ広場がある。 この広場は、「アマデウス」や「レ・ミゼラブル」などの映画に登場しています。
プラハ城の位置(プラハ城内)
ウエブ情報から引用
カレル橋とプラハ城の航空写真
ウエブ情報から引用
プラハ城
ウエブ情報から引用
プラハ城が巻き込まれた戦いは2度ありました。
❶1757年5月6日にプラハ城外で行われた、七年戦争におけるプロイセン軍とオースト リア軍との会戦であるが、プロイセン軍が勝利した。
1756年から1763年にかけてヨーロッパでおこなわれた戦争を「七年戦争」といいます。 きっかけは、フリードリヒ2世が率いるプロイセンと、マリア・テレジアが治めるオーストリアの、シュレージエン地方をめぐる対立。 しかし植民地を争って、プロイセン側にイギリス、オーストリア側にフランス、ロシア、スペイン、スウェーデンなどが加わったことで、オスマン帝国を除く欧州列強が軒並み参戦することになりました。 やがてヨーロッパのみならず、アメリカやアフリカ、インドなどにも広がり、「史上初めての世界大戦」と呼ばれています。
❷1945年5月5日 に始まったプラハの戦いは、第二次世界大戦末期にヨ-ロッパで行われた、ドイツ軍に対する赤軍の最後の攻勢で、ドイツが1945年5月8日に降伏したにもかかわらず、赤軍によるプラハへの攻撃は5月11日まで行われ、同時にプラハ蜂起も発生した。
美しいプラハ城とプラハはいつも歴史の交差点で翻弄されてきました。
(20210916纏め、#388)
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