知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

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『滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」のモデル・安房里見一族の盛衰を、日本の悲劇についての名著「高貴なる敗北」に加えたい!』

2024-01-07 15:24:51 | 歴史。日本・中世
『滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」のモデル・安房里見一族の盛衰を、日本の悲劇についての名著「高貴なる敗北」に加えたい!』

『「高貴なる敗北」とは日本史の中で悲劇的な死を迎えた、九人と、戦闘団を外国人・アメリカ人の視点から書かれている本』

『九人と一戦闘団は日本武尊、浦島部万、有間皇子、菅原道真、源義経、楠木正成、天草四郎、大塩平八郎、西郷隆盛他、神風特攻隊

日本文化に造詣の深いアメリカ人、アイヴァン・モリス氏(三島由紀夫氏とも昵懇)による、日本史での「滅びの美学」を体現する人々から日本人が「何故、敗者を愛するのか」を考察した本です。

彼らの末路を“もののあわれ”という日本人の視点と、彼らの死に対する意味をモリスという外国人の視点で語られている処に意義があるのではないでしょうか? 欧米人は勝利者を高らかに語っても、敗者の悲劇はあまり感動を呼び起こさない。 せいぜいシェークスピアの悲劇(創作物)でしかないというが、モリスの語りは、彼ら日本人の敗者に対しても手を差し伸べようとしていますが、数少ない中で、米国には『アラモの砦』の悲劇もあります。

 
この『高貴なる敗北』日本史の悲劇の英雄たち(1981年)の『九人と一戦闘団』に加えたいと思う『里見一族』を調べてみました。

里見一族の家紋『二つ引両
家紋の一つ。 輪の中に一~三本の太い横線を引いたもの。新田氏・足利氏などの家紋。輪のないものや、縦線のものもある
 ウキペデイア情報から引用

里見氏は新田氏の庶宗家であり、「大新田」氏とも呼ばれた。 鎌倉時代には御家人として将軍に近侍し、鎌倉時代末の動乱では総領家の新田義貞と行動をともにした。 南北朝期には一族も分かれ、南朝方・北朝方に別れて戦った。
安房里見氏の家伝では、里見氏の嫡流である里見義実が安房に入国したとされるが、系譜関係は定かではない。 安房里見氏は戦国大名として成長して房総に割拠し、江戸時代初頭には安房一国を治める館山藩主となったが、1614年に里見忠義の代で改易された。

改易の理由としては、主として大久保忠隣の孫婿であるための連座であったとされる。 その他の理由としては城郭修補、牢人召し抱えが挙げられる。 同年には下野国佐野藩の佐野氏も改易されており、結果として関東地方で外様大名の勢力が縮小していくことになった。

これが江戸時代の本願びいきの、『滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」の安房里見一族』
の誕生につながったようです。

里見八犬伝のモデルになった、里見八遺臣の墓は、安房・館山城の南側、山麓と言うよりは麓に近い低いところにあります。 ここは、昔お世話になった会社の勝浦保養所へ横浜から、よく通いましたので、その往路か復路には、よく立ち寄りました館山城の散策途上で見つけました。 

館山城の模擬天守のほうから南下すると、ずっと下り、その途中、右手に開けた場所(城山公園の梅林)が望めますが右手には降りずに、そのまま左手気味に進んでいくと、崖下の窪地にあります。

ウキペデイア情報から引用

里見家八遺臣の墓
この墓は、城山公園の南麓にあり、丘陵斜面の横穴が埋没して奇妙な形をしていたため、「姥神様(うばがみさま)」とよばれて祀られ、かつて多数の人々がお参りしていたそうです。 伯耆国倉吉において、里見氏十代目にして最後の当主となった忠義の死に際して倉吉随従の家臣たち数名が殉死しました。 後日、これを伝え聞いた安房の里見の旧臣が漁師姿に身をやつして伯耆に出向き、蛸壺に分骨して持ち帰り、ここに埋めたのだといわれています。 また、江戸時代の文豪、曲亭馬琴が書いた「南総里見八犬伝」の「八犬士」のモデルにされたともいわれています。

里見八犬伝のあらすじ
南総里見八犬伝は、安房里見家の姫・伏姫と神犬八房の因縁によって結ばれた八人の若者(八犬士)を主人公とする物語です。八犬士はそれぞれ、忠義、仁義、礼節、智謀、勇気、信義、誠実、名声の八つの徳を象徴する犬の紋章を持ち、この八つの徳を守り、悪と戦うことを誓います。
八犬士は様々な困難を乗り越えながら、里見家に仕え、関東大戦では北条軍を破り、里見家を勝利に導きます。
そして最後には、伏姫と八房の魂が合体した犬神の助けを得て、悪の化身である安西景連を倒し、物語は幕を閉じます。
南総里見八犬伝は、日本文学の古典の一つに数えられており、多くの翻訳や映画化、テレビドラマ化されています。

印刷技術の発展から、江戸時代後期より数多くの本が出版されるようになり、瞬く間に娯楽小説が世に広まりました。そんな時代にベストセラーになったのが、今回ご紹介する馬琴著の『南総里見八犬伝』です。「伝奇ロマンの最高峰」と称される『南総里見八犬伝』を読んで、馬琴の不思議な世界に江戸の町民も、現代人も触れられるようになりました!
(記事投稿日:2024/01/07、#714)
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