『島国日本にも世界三大墳墓の一つ、仁徳天皇陵古墳があった』
ー日本の皇族の陵墓は、歴代天皇112、皇后など62など188、他に552―
大きさの比較には、いつでも、引用させていただきますのが、本川達雄著の『ゾウの時間・ネズミの時間』には、『動物は大陸では大型化が進み、島では小型化が進む』とあります。 超大型建造物にも言えます。 超大型建造物の構築には大きな労働力の動員が出来る人口と、それを養う十分な食料調達が出来る広大な領土が必要になります。
日本は島国で、大陸の『縁・ヘリ』に位置するが、『大陸では大型化する』という原則からは、外れ、『世界三大古墳の一つ』がありました。 大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)または大山古墳(だいせんこふん)は、大阪府堺市堺区大仙町にある古墳・天皇陵。 形状は前方後円墳。 百舌鳥古墳群を構成する古墳の1つで、日本最大の古墳である。この古墳の三重の堀は、日本に5ヵ所のみと言う珍しいもので、外堀は、江戸時代に開墾されていたが痕跡があり、明治時代に掘り直された記録があります。
外国人がよく言う『日本は凄い、日本人は凄い』は、世辞か実力かどうか、の調査が、今後の課題です。 昨今は、ロマンのない世情ですので余計に調べたくなります。 この超格差社会の中で、超大国のリーダー達が『弱肉強食、強いものだけが生き延びればよい、石器時代』に逆戻りさせていますので。
先ずは、ウエブ情報です。
百舌鳥古墳群にある仁徳天皇陵古墳は、エジプトのクフ王のピラミッド、秦の始皇帝陵と、ともに世界三大墳墓の一つに数えられます。 三大墳墓の大きさを比べると、仁徳天皇陵古墳の巨大さがわかります。
全長(m) 高さ(m) 体積(万立米)
仁徳天皇陵古墳 486 36 140
始皇帝陵 350 76 300
クフ王ピラミッド 230 146 260
最近の宮内庁の発表では、5世紀の築造当時は、全長525m。
周濠に水がある古墳の全長を、どこで測るかは学術的な定義がなく公式の全長を変更する予定はないという。
始皇帝陵は兵馬俑坑(副葬坑)を含めたら、世界最大級規模になる。 兵馬俑坑はこの陵を取り巻くように配置されており、面積は25万m2余りに及ぶ、きわめて大きなもので、3つの俑坑には、戦車が100余台、陶馬が600体、武士俑は成人男性の等身大で、8,000体ちかくあり、兵士の俑にはどれ一つとして同じ顔をしたものはないことが『ネオフェイス』と言う世界で高い評価を受けている顔認識のソフトで立証されている。
不思議で且つ驚異の技術です。
大ピラミッドには、自重で潰れないように『重量軽減の間』採用、その技術と長期間の建設作業『期間二十数年余、2分強間隔で、重量2トン超の石材230万個余りを』を分業・流れ作業で積み上げた。
『クフ王の大ピラミッドについて1978年に大林組が「現代の技術を用いるなら、どのように建設するか」を研究する企画を実行した。それによれば総工費 1,250億円、工期5年、最盛期の従業者人数3500人という数字が弾き出された。』 当時のあらゆる建設重機と、この建設のための新規設計の専用重機使用です。
さて、仁徳天皇陵古墳ですが、埋葬されている埴輪の調査や議論の結果、そこに眠るのは仁徳天皇とは断定できない。ということで教科書での呼び名も「仁徳天皇陵」から『大山古墳』へと変更されたので、今では『大山古墳』と呼ばれています。 世界最大級の墳墓で、5世紀中頃に築造されたと考えられており、
全長486mの前方後円墳で、周囲の三重の濠を含めると面積は46万m2余りで、
世界最大です。 島国日本に名実ともに世界最大の墳墓がありました。
大山古墳について、ここに侵入したことがあるという、昔の少年達の冒険談を、聞いたことがあります。 少年時代に見た、有名なアメリカの冒険ホラー映画『スタンド・バイ・ミイ』を地で行く如く冒険で、この大山古墳に入って探検遊びが出来たと、そこでは魚釣りさえもできたと。 自分達の少年時代の冒険と言えば、かなりローカルな話題で恐縮ですが、千葉県旭市飯岡の屏風ヶ浦『東洋のドーバー』の崖下を、干潮時(満潮時には、狭い砂浜は、荒波に水没し危険)に、命懸けで、通蓮洞(陰陽師・安倍晴明の伝説の場所)までの約3㎞を突っ走ったことがあります。 夢があり、少年達が生き生きとしていた時代です。 (20180519纏め 20201126追補 ♯017)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます