知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

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『文学者と医学者と科学者が見た、縄文・弥生・古墳・奈良時代 1』『文字がなかった縄文時代は、最近まで教科書の歴史にも載らなかった文化』

2023-05-18 09:35:10 | 日本・歴史・先史-古代

『文学者と医学者と科学者が見た、縄文・弥生・古墳・奈良時代 1』

『文字がなかった縄文時代は、最近まで教科書の歴史にも載らなかった文化』

 

古代史は難しい、何故なら『卑弥呼・邪馬台国は神秘的で、その真実を知ることが困難』とか『邪馬台国はどこ?北九州か畿内か、そんなに古くて遠い話か』などといろいろ言われています。 

 

日本古代史の『邪馬台国』と『出雲王朝』はまだまだ発掘による発見の夢があるのではないでしょうか。 卑弥呼でおなじみ『邪馬台国』はどこにあった?古代史ミステリーは、なんでも自分の脳の中で、勝手に、自由に想像できる素人にとっても永遠のテーマです。 明治時代に、東京と京都の帝大で勃発した『距離かそれとも方角か・・・』の邪馬台国論争がいまだに決着つかずに続いています。

最近、決着つきそうな発見が、畿内説と北九州説の両方にありました。 

❶「畿内説」(奈良盆地説)が近年急激に巻き返したのは、奈良盆地の「纏向(まきむく)遺跡」の中の「箸墓(はしはか)の古墳」が卑弥呼の墓という説。 

❷「北九州説」が根強いのは北部九州には、吉野ケ里遺跡や平塚川添遺跡などの環濠集落の遺跡があり、神武の東征神話、さらに漢から贈られた金印が出土していることから、九州説を唱える学者も多い。

 

「畿内説」❶に、ずーっと、自分も傾いていましたが、最近、副島隆彦氏の著書『歴史再発掘』のタイトルに魅かれ読み始めました。

 ウエブ情報の引用

 

特に圧巻は『邪馬台国はどこにあったのか、最近の話題』でした。 最近では、下記理由で「北九州説」に傾いています。

  • 西暦57年の邪馬台国・『倭奴国』「漢倭奴国王」の金印は、福岡県福岡市東区志賀島で、1784年4月12日に発見された。
  • 西暦57年の『魏志倭人伝の道程』の中に、『南至邪馬壹國女王之所都 水行十日陸行一月 官有伊支馬次曰彌馬升次曰彌馬獲支次曰奴佳鞮 可七萬餘戸』と記録がある。
  • 邪馬台国の卑弥呼の後継者・臺與(「とよ」あるいは「いよ」、生没年不詳)は、日本の弥生時代3世紀に『三国志 (歴史書)』、魏志倭人伝中の邪馬台国を都とした倭の女王卑弥呼の宗女にして、卑弥呼の跡を13歳で継いだとされる女性である。 魏志倭人伝中では「壹與」であるが、後代の書である『梁書倭国伝』『北史倭国伝』では「臺與」と記述されている。
  • この邪馬台国が、熊襲(九州南部)に攻められ、西暦247年、卑弥呼は「狗奴国が攻めてくるので助けてください」と魏の皇帝に使いを出している。 当時、小国分立の中で畿内の邪馬台国が九州南部の熊襲に攻められたとは考えられない。
  • 上記の二件のエポックからも、200余年続いた王朝が、途中で、福岡から奈良に遷都したとは考えられない。 こんな『遠距離遷都』は、遷都頻繁の奈良・平安時代にない。
  • 後述の弥生時代の鉄器の出土数1は熊本(2018年現在)、鉄器こそが権力の象徴ととらえる学者もおり、やはり『九州北部の邪馬台国』が南部の熊襲に攻められた客観的事実が重い。

 

傘寿プラスには、体力的にも精神的にも実地踏査はタフな課題ですので、『歴史再発掘』抜粋させて頂き、今後の国会図書館通いで自分なりの理解をしたいと思っています。  

ここから先は、今後の調査のための備忘録です。 お時間と興味がありましたら、ご覧いただければ幸いです。

昔の話ですが、1964/07/06~1971/04/12に7年余も、週刊文春に連載された松本清張氏の『昭和史発掘』が、装丁版・8巻で刊行されたとき、香港駐在中で、新聞の半ページ記事(パブリシティ)で知りました。 『昭和史発掘』の発掘に強い印象を受けた記憶がありました。 

この記事の中に、まだ歴史にはなってない昭和史を書くので『昭和史発掘』としたのではということも言われていたと同時に『歴史』と『歴史小説』との違い等にも触れていたような記憶があります。 最近のテレビのドキュメンタリー番組もドラマも、自信満々で、これが史実、と言っているような面が多々あり、勉強になります。 

北九州北部の邪馬台国の旅は、国土地理院地図とグーグルマップで我慢して、コロナ禍後の奈良明日香・飛鳥路の旅が楽しみになりました。      

(記事投稿日:2023/04/15、最終更新日:2023/05/18 #647)


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