『「天才」田中角栄元総理のこと(天才の実績の総括的検証は!)』
「批判一辺倒から一転「天才」と著した石原慎太郎氏、本の奇抜な表紙も驚き!」
ウエブ情報から引用
石原慎太郎氏は、現役時代の政界の田中角栄氏をそれ程、評価はしてなかったように見えましたが、最近は変わってきています。 石原慎太郎著『天才』を読んで解ったことです。
この本を読んでみたいと思ったのは昔、香港に駐在時に、田中角栄氏が首相になったニュースを聞いた見ず知らずの英国人に、香港と九龍を結ぶ、スターフェリーの旅客デッキ上で、突然、尋ねられました『今度の日本の首相は、Secondary School(高等小学校)卒ですね』と、何故か、この後、会話が続きませんでした。 (戦後日本で唯一の『非大卒』『高等小学卒』の総理大臣として知られる田中角栄氏ですが実際には専修学校である中央工学校を卒業しているので最終学歴は『専修学校卒』になります。)
この会話が途切れた理由ですが、世界中、特に日本・韓国が学歴偏重になっていますが、日本の田中角栄氏が、これからどれだけの活躍をされるか、大いに期待していた時だけに、話かけてきた英国人の真意が読めず、後に、自分の心の隅にしこりが残りました。 『一国の宰相の評価は歴史になってからでないと分らない』と自分に言い聞かせてはいました。
著名な実績は、
1⃣議員時代に33件もの議員立法を実現、国土開発や電源開発、道路整備等押し進めた。
「道路特定財源制度」1953年 関連
「鉄道建設公団」1964年 関連
「地震保険制度」 1966年 関連
これらが、次の日本列島改造論』に結実します。 やはり『天才』です。
2⃣1972年『日本列島改造論』を引っ提げて総理大臣に就任。
1972年田中内閣によって打出された構想。 日本の産業構造と地域構造を積極的に 改革して,過密と過疎の弊害を同時に解消し,産業と文化と自然とが融和した地域社会を全国土に広めることを目的とした。 その骨子は,
❶ 太平洋ベルト地帯に集中しすぎた工業の地方分散、
❷ 都市改造と新地方都市の整備、
❸ これらを結ぶ全国的な総合ネットワークの整備、の3点である。
当時は一方では雄大な構想として評価されたが,他方で公害を全国に拡散するものであるなどという激しい批判も浴びた。 地価対策を講じる前に列島改造論を打出したことは土地の投機を招き,おりからの過剰流動性と相まって狂乱的な地価の暴騰を引起すことになった。
経済・産業が成長期の『右肩上がり』から成熟期・衰退期『横這い・下降期』に入ることを見据えて、関係官庁は民間でやっている、予算管理や複式簿記的発想の補修・再建造時への備えはあったのか、万事が万事ですが、事後でも結構、定量化した総括的検証が十分されたか考えさせられます。
3⃣1972年比類なき決断力と実行力で大計の日中国交正常化を実現。
同年9月25日 に、田中角栄 内閣総理大臣が現職の総理大臣として中華人民共和国の北京を初めて訪問して、北京空港で出迎えの 周恩来 国務院総理と握手した後、人民大会堂で数回に渡って首脳会談を行い、 9月29日 に「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」(日中共同声明)の調印式において、 田中角栄 、 周恩来 両首相が署名したことにより成立した。
周恩来首相の存在が大きかったとは思いますが、文句なしに歴史的偉業です。
石原氏は、この本の中で、こう言っています。 『実名で書いていますが、フィクションです』と。 さらに、役人天国を支えている、およそ不合理きわまる単式簿記などと言う会計制度は、国家全体として是正し、一般の企業並みに、発生主義複式簿記に直して、大改革が成し遂げられたのではないかと、田中氏の行動から感じていたようです。
主人公は内閣総理大臣をつとめた田中角栄氏であり、氏を「俺」という一人称で記した自伝風小説です。 石原氏は国会議員時代には田中批判の急先鋒であったが、田中の業績を見直した内容にもなっており、当時の「角栄ブーム」も手伝い90万部以上の売り上げを記録した。 2013年に脳梗塞を患い、ひらがなも思い出せなくなるぐらいの後遺症を残した後の作品だが、本人はワードプロセッサや口述で執筆したとしている。
ここで、また余談です。
以前に、俳優の美木良介氏の考案の呼吸法『ロングブレスダイエット』が特集されました。 いま高齢者の間でも効果的なトレーニングとして注目を集めています。 歩くのが難しかった石原慎太郎氏も、ロングブレスをエクササイズに取り入れることで、激変。 ほぼ小走りで歩けるまでに回復しました。
(記事投稿日:2021/08/08、#367)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます