『映画「ラストサムライ」のモデルは、誰』
『エドワード監督が言いたかったのは米国にもサムライは居た』
ウエブ情報より引用
片仮名のサムライで思い出すのは大ヒットした映画『ラストサムライ』です。 映画『ラストサムライ』のエドワード・ズウィック監督が日本を勉強するうえで、感銘をうけた本に、アイヴァン・モリス氏の『高貴なる敗北』があります。
『高貴なる敗北』のウェブ情報の引用です。
日本史の中で悲劇的な死を迎えた九人と一戦闘団を外国人の視点から書かれている本。
彼らの末路を“もののあわれ”という日本人の視点と、彼らの死に対する意味をモリスという外国人の視点で語られている処に意義があるのではないだろうか?
欧米人は勝利者を高らかに語っても、敗者の悲劇はあまり感動を呼び起こさない。 せいぜいシェークスピアの悲劇(創作物)でしかないというが、モリスの語りは彼ら日本人の敗者に対しても手を差し伸べようとしている。
・・・・『アラモの砦』もありますよ。
映画「ラストサムライ」の原案本であるが、監督のエドワード・ズウィックも本書を読んで西郷隆盛の栄光と高貴なる敗北に感銘して、いずれ映画化しようと語っていた。
映画はモリスの語る「もののあわれ」と「高貴なる敗北」を見事に描いてくれいたのが印象深い。
最後にモリスが悲劇の組織としたのが「神風特攻隊」であり、彼らの持つ死の意味を述べていた。私はモリスの言葉には共感を覚えるが。
むしろ特攻隊一号とされている関大尉の「俺は国の為に死ぬのではなくKA(カアチャンの海軍隠語、奥さんを指す)の為に行くのだ」という言葉にこそ、もののあわれと高貴なる敗北の意味があるのではないかと考えるが・・・・。
『日本は凄い、日本人は凄い』が、お世辞ではないと確信するには昨今の世情では、まだまだのようです。
余談です。 ラストサムライのランキングを調べてみました。
① 土方歳三 48%(他を圧倒)
② 西郷隆盛 13%(自分も想定)
③ 徳川慶喜 10%
④ 勝海舟 7%
⑤ 榎本武揚 7%
実際の『ラストサムライ』のモデルは、榎本武揚と言う説と、上記の『高貴なる敗北』の西郷隆盛の章が原型になったと言う説があります。 自分は西郷隆盛説に賛同です。
実は、この映画は皮肉を込めて、ほんとの『ラストサムライ』は西洋式戦術指導に来日した、米国の将校であったと、この監督は訴えているように、自分には感じました。 この将校は、榎本武揚の部隊で指導していました。
歴史と事実は、往々にして異なる場合があります。 先日(20180605)日経の文化欄に載っていました。 記事『西郷ら奄美流刑の実像』からの抜粋です。
西郷隆盛は主君、薩摩藩主・薩摩斉昭の死後、奄美大島に3年の幽閉、3年で、償還されるも、薩摩斉彬の弟、久光の命に背き、沖永良部島に流刑された。
こんな記録がある『西郷は島民を蔑み、娘たちの手の甲の入れ墨を馬鹿にした。又、「もっとまともな家に住ませろ」と訴えた。 後年、明治政府の重鎮になったとき『奄美の砂糖を困窮する鹿児島県士族の救済に使えばよい』とも説いた。 島民搾取の現状を、目のあたりに見ながら、こういう考えだった。
好対照は、『お由良騒動』で失脚した、名越佐源太は奄美大島で約5年の謹慎の身なった。 提供された一軒家も『広すぎる』と恐縮し、子供達には学問を教えた。
自分の判断の中では『西郷どん』は、ラストサムライから遠ざかるばかりです。
(記事投稿日:2018/06/06、最終更新日:2020/11/30、♯021)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます