知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

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『刀のこと 1 (竹刀・木刀・真剣について)』ー刀鎗で戦った「もののふ」の時代は、昔の話、今の戦いは「テロ」の時代ー

2022-02-03 08:41:00 | 兵器・戦争

『刀のこと 1 (竹刀・木刀・真剣について)』

『刀鎗で戦った「もののふ」の時代は、昔の話、今の戦いは「テロ」の時代』

 

竹刀のこと

昔、津田沼鉄道連隊の跡地に設立された男子高校時代のことです。必修科目の剣道の時間に『野試合』という変わった剣道を経験できました。 普通は『野試合』は一騎打ちですが、この時は集団戦でした。

高校のグランドは、『質実剛健』のモットーを地で行く? 砂利轢きではなく、小さな砕石轢きに雑草が生えていました。 将に『野試合』にぴったりです。

剣道防具のフル装備で、竹刀を手に、素足で戦う集団戦ですので、素足で野山を駆け回った経験のない、ひ弱な都会っ子を獲物に選んでは、次々と、田舎育ちの自分が圧倒できたのを覚えています。

この防具をつけた集団竹刀戦ですが、相手に怪我をさせる心配が殆どないので、思い切って膂力を出し切って戦えた記憶があります。 なぜか痛快でした。

江戸時代の一部の道場で始まった金儲けの道場、刀鎗の戦いが無くなった時代の実際的・合理的な訓練できる『竹刀剣法』道場の短所・長所を考え悩みます。 この道場竹刀剣法が、それまでの、必殺一段攻撃であった剣術を、二段・三段の攻撃を主流に変えたことでもありました。 『必殺第一撃』は『誘い』になりました。

余談です。桂小五郎(後の木戸孝允)は、江戸三大道場の一つ、練兵館(神道無念流)の免許皆伝で、他道場への出稽古指導は有名で、竹刀剣法の達人でしたが、真剣での実力は不明です。 いつも芸妓幾松(後の松子夫人)の機転で危機一髪の回避できて、真剣勝負はせずにすみました。

 

木刀のこと

今でも大事にしており、時々素振りなどする木刀は、湘南の某市の警察署長が愛用されていたもので、義兄経由で頂いた、115㎝と長めで、900gと中くらい重さで、荒削りのものです。 

この木刀は、香港駐在中に日本に一時帰国した時のカミさんが、香港への帰路、2歳半の娘同伴で、JALの機内に持ち込み、離陸直後に『危険物』ですので『機長預かりとします』(ユーモラスに)とされた『曰く品』でした。

約半世紀も昔でも、幼女同伴の小柄のカミさんが、ハイジャックができるわけでもないのにと思う反面、木刀は竹刀と異なり、『膂力』のない小柄の女性でも武器にできるものかと感心しました。

 

真剣のこと

日本刀の区分は、1尺(30㎝)以下は短刀、1尺以上2尺未満を脇差、2尺以上を日本刀(所謂大刀)、3尺に達するものを長刀と呼ばれ、日本刀の長さは、戦術変化の必要性からは、

①  平安期から室町中期までは2尺余から3尺弱と長く、

②  室町後期から、江戸中期かけては、2尺から2尺半と短め

であったそうです。

 

さて、佐々木小次郎の物干竿ですが真相は、記録にある刀身『3尺、一般の長刀』であったようです。 昔から、刀を腰に差さず背中に背負う習慣はあったのですが、長所、短所がありました。 小次郎の絵にある、柄が右肩に出る背負い方は右利きには、間違いで、左肩に出るよう背負うのが抜刀時に『ストローク』を長くとれるからだそうです。

講談で命名されたらしい『燕返し』は、通常は二段打ちの『虎切り』と呼ばれているようです。 

余談です。ゴルフの切り返しや手首の返しにも似て興味が湧きました。

更に、小説・講談の中で言われる『燕返し』の会得は、錦帯橋の上でとか、滝壺付近でと、言われています。 燕は時速100キロ以上で飛び、急旋回・急反転で補虫をします。 燕返しは、燕を切ったことからでなく、燕の動きから習ったものであることが、話の真相ではないでしょうか。 野鳥を撮っていると解かります。 望遠レンズの反射の光で野鳥は即、逃げます。 農作物を野鳥から護る『キラキラの防鳥リボン』が好例です。

野鳥の観測・撮影の好きな自分は、このような燕の一連の動作からのヒントで『燕返し』が誕生したのではないかと思いました。

それでは、専門の先生方の『燕返し』の推測・理屈の一つです。

小次郎の時代には、攻撃は『一段打ち』という常識があり、この常識を打ち破って『二段・三段打ち』攻撃を編み出したことが画期的であった。 一段打ちによる攻撃が常識であったいうのが重要で、対戦相手の発想は第一段の上から下への攻撃が終われば、小次郎の攻撃が終わったと思い隙が生まれる。 一方、小次郎は、予定通りの二段打ち攻撃ですから、これが成功する。という無敵の必殺技『燕返し』の成り立ちです

日本刀は、切れ味がよく、西洋のロングソードのように刀身をぶつけ合うようなコンセプトでは造られてはおらず、こんな記録があります。 完全武装した暗殺部隊と戦って壮絶に憤死した、足利義輝は、刀数本を用意して、この暗殺部隊との防戦に臨んだ。

又、これとは逆に、西洋のロングソードは刃渡り120140㎝で、重さ約2㎏で、殴る・切る・突くができる。 これが江戸時代の同心が捕縛の時、必要に応じて使った『刃引き』で殴ると似ていますが、なんといっても『東西の膂力』に雲泥の差があります。

最後に、中国の『青龍刀』のコンセプトは、日本刀に似ておりますが、三国志の『美髭公関羽雲長』で有名な、薙刀の元祖『青龍偃月刀』長さ230㎝、重さ7.2㎏は、西洋のロングソードに比較しても凄いものです。

刀鎗で戦った『もののふ』の時代は、遠い大昔の話になりました。今の戦いは大きく変わり『テロ』の時代です。

 追記

竜馬の愛刀『陸奥守吉行』が現在の科学で、本物と判定、火事で焼け、伸びて反りがなくなり、その後、研いだために波紋が消えていたが今回、X線(?)で見えた。 2018511日読売新聞37ページです。

(記事投稿日:2018/10/15、最終更新日:2020/12/04、#032)


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