『古事記と日本書記から古代史の不思議を(神話-邪馬台国-大和へ)』
『大国中国のように文字による記録を!と記した歴史書「記紀」』
傘寿プラスはせっかち(語源は急き勝ち)で、いつも結論を急ぎ過ぎてしまいます。 『文字記録と歴史』、『文字記録と文明・文化』とかいろいろ言われますが、縄文(文明・文化)時代が1万年以上も続いた日本です。 無文字文化とは民俗学の世界でよく言われるそうですが、当然だと思っています。 ケルトも日本(縄文)も同様に文字を持たない文化であり、かなり高度な文明を育んでいる。
専修大学 文学部 斎藤達哉教授の日本への漢字の渡来・伝播の様子が分かり易いウエブ情報ありましたので抜粋・引用させて頂きます。
日本語は,当初は文字を持っていませんでした。 文字は言語を記録するために、後から誕生するものです。 したがって,日本語に限らず,どの言語も最初から文字を伴っていたわけではありません。 現在,地球上に存在する言語の数は諸説あって,3000,5000,6500,8000とも言われています。 これは,数え方の規準の違いによるものですが,いずれにしてもかなり多くの言語があることが分かります。 一方で,文字を持っている言語は400程度と言われており,文字を持たない言語の方が圧倒的に多いことが分かります。
漢字の歴史
ウエブ情報から引用
『古事記』は、一般に現存する日本最古の歴史書であるとされる。 その序によれば、和銅5年(712年)に太安万侶が編纂し、元明天皇に献上されたことで成立する。 上・中・下の3巻。 内容は天地開闢(日本神話)から推古天皇の記事を記述する。 8年後の養老4年(720年)に編纂された『日本書記』とともに神代から上古までを記した史書として、国家の聖典としてみられ、近現代においては記紀と総称されることもあるが、『古事記』が出雲神話を重視するなど両書の内容には差異もある。
ウキぺデイア情報の引用
真福寺収蔵の『古事記』(国宝。信瑜の弟子の賢瑜による写本)
『日本書紀』は、奈良時代に成立した日本の歴史書。 養老4年(720年)に完成したと伝わる。 日本に伝存する最古の正史で、六国史の第一にあたる。 神代から持統天皇の時代までを扱い、漢文・編年体で記述されている。 全30巻。系図1巻が付属したが失われた。 同じく奈良時代に編纂されたとされる『古事記』と共に、日本のみならず東アジアの古代史、文学史、言語学における重要史料の一つであり、両者合わせて『記紀』と呼ばれる。
ウキペデイア情報から引用
巻第一(神代巻上)の写本(吉田本、2巻のうち)京都国立博物館蔵 国宝 鎌倉時代・弘安9年(1286年)卜部兼方奥書 画像は巻頭部分
六国史(りっこくし)とは、古代日本の律令国家が編纂した6つの一連の正史のことである。一部に紀伝体的要素をとりいれつつも、概ね編年体で記されている。
最初の「書かれた歴史」とみなされるのが、ギリシアのヘロドトスの『歴史』,中国の司馬遷の『史記』,日本の『古事記』などと言われます。 『歴史』と『古事記』についてはこれからの調査ですが、中國の『史記』について印象に残っていることがあります。 時のトップ武帝に書かされたものではないことです。
『史記』のような歴史書を作成する構想は、司馬遷の父の司馬談が既に持っていたが、歴史書を完成させる前に憤死した。 司馬遷は父の遺言を受けて『史記』の作成を継続する。 司馬遷は、匈奴に投降した友人の李陵を弁護したゆえに武帝の怒りを買い、宮刑に処せられる。 獄中にて、古代の偉人の生きかたを省みて、自分も歴史書を作り上げようと決意した。 出獄後は、執筆に専念し『史記』が成立した。
古事記の神話部分について、表題の『古事記と日本書記から古代史の不思議を(神話-邪馬台国-大和へ)』『大国中国のように、文字による記録をと記した歴史書「記紀」』に入ります。
先ずは、歴史書・史書と歴史小説について予習です。
歴史書、史書は事実(とその当時判断されたことも含めて)を列記する書物。 歴史小説は虚実を問わず、著者の主張を物語の形式を借りて記述した書物。 最大の違いは『著者、編纂者の首長が文章内に含まれるかどうか』。 ただし、小説という形式の書物が現れる前は史書自身の主張を紛れ込ませた史書編纂者もいるのでその境界は厳密なものではないと言われ、素人には微妙な境目の判断は難しいと思っています。
更に、最近はメデイアの、出版物でも、映像(ドラマかドキュメントを問わず)でも、センセーショナルなキャッチフレーズと内容で『歴史書・史書と歴史小説』の区別が分かり難いことがあります。
こんな時に、中田力氏の『古代史を科学する』という書物に出会いました。この本の目次に沿って、これから、古代史を調べて、備忘録に纏めてみたいと思いました。 同氏の経歴と著書も凄いです。
経歴
- 1976年東大医学部医学科 卒業。
- 1978年 渡米。カルフォルニア大、スタンフォード大にて臨床研修。
- 1982年-1992年 カリフォルニア大学デービス校 脳神経学 准教授。
- 1992年 カリフォルニア大学デービス校 脳神経学 教授。
- 1996年- 新潟大脳研究所 脳機能解析学 教授。
- 2002年- 新潟大学脳研究所 統合脳機能研究センター長(併任)。
- 2018年7月1日サンフランシスコで死去。
著書
- 『脳の方程式 いち・たす・いち』
- 『脳の方程式 ぷらす・あるふぁ』
- 『アメリカ臨床医物語―ジャングル病院での18年』
- 『天才は冬に生まれる』
- 『脳のなかの水分子―意識が創られるとき』
- 『脳脊髄MRA―基礎と臨床-流れの画像化』(共著)
- 『穆如清風(おだやかなることきよきかぜのごとし)―複雑系と医療の原点』
- 『日本古代史を科学する』
- 『科学者が読み解く日本建国史』
漢字から、ひらがな・カタカナを創り、さらにローマ字までも、表意文字の漢字に、表音文字のひらがな・カタカナ・ローマ字を持ちました、昨今話題の『キラキラネーム』や『カタカナ英語』の氾濫は、傘寿プラスは。大変混乱させられています。
(2023/04/11、#645)
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