携帯電話が現在のように普及する以前の時代に、移動中の通信手段のひとつとして「ポケットベル」があった。
このポケットベルを職業柄、プライベートな場面も含めて常時携帯していた人物との恋愛経験がある。当然ながら携帯電話がまだ普及していなかった、私が独身時代の話だ。
この恋愛は種々のハンディを抱えていた。
まず相手には妻子がいた。(新しい読者の方々のために再度解説するが、私は長い独身時代にさほど結婚願望がなかったため、恋愛相手に妻子がいることが私にとっては特段大きなネックではなかった。詳細はバックナンバー「恋人それとも愛人?」を参照下さい。とは言え、お相手のご家族の方々には間接的にご迷惑をお掛けしました事は重々お詫び申し上げます。
)
加えて遠距離恋愛だった。
そして、ポケットベルで職場からいつ呼び出しをくらうかもしれない“恐怖”といつも背中合わせでもあった。
今回は、こんな“三重苦”を抱えた恋愛の話を綴ってみよう。
この恋愛相手とのそもそもの出逢いは、私の医学関係の職場である。あちらはこちらにとって顧客の立場であったのだが、私の職場に免疫学関連事項の自主研修のために2日間程来ていた。
私はその人物の直接の研修担当ではなかったのだが、研修の合間に私の所へやってきて業務内容についていろいろと質問をするので、相手は当方にとって顧客でもあるため私は失礼のないようにその質問に丁寧に答えていた。時間が空くと相手は私のところへやって来る。そして、回を重ねると私のプライベートにまで質問が及ぶので、これはどうやら個人的に気に入られているぞ、という感覚はあった。
そして、2日間の研修の終了時に私のところへ最後の挨拶にやって来て帰っていった。
しばらくしてまたこの人物と再会したのは、東京での免疫学関連の学会会場でのことである。あちらが私を見つけてやって来た。 「先生、いらっしゃってたのですね!」と偶然の再会に少し驚いた私が言うと、あちらは「ここに来るとあなたに会えるような気がした。」と返してくる。
学会終了後に、一緒に食事をすることになった。ここで相手から気持ちを打ち明けられることになる。「実は研修に行った時からあなたを気に入ってしまい、もう一度会いたいとずっと思っていた。その間、申し訳ないがあなたの事をいろいろと調べさせてもらって、今日この学会会場に来た…」
実は私の方もそんな予感はあった。相手が研修から帰った後も、この出逢いは終わらないような予感が…。そして妻子の存在も遠距離も承知の上で、私はお付き合いをすることを承諾した。
(自己弁護のために一言付け加えさせていただくと、その方は、外見上の好みだけではなく専門力をきちんと磨いている私が気に入った、と言って下さった。その言葉に当時まだ20代後半の若かりし私は惹きつけられ、お付き合いを承諾するに至った。)
そんな中、ひとつだけ想定外だったのがポケットベルの存在だ。医学関係の業務に携わっていた関係上、そういうことを知らない訳では決してないのだが、実際上自分自身がこの事態に直面したのは初めての体験だった。
「僕は職業柄、いつもポケットベルを携帯していて、呼び出しがあったら極端な場合直ぐに職場に駆けつけなければならないが、それを承知しておいて欲しい。」
恋愛の初期は誰しもお互いに熱心に会いたがるものだが、早速相手が1泊の予定で東京にやってきた。
その時に彼が言う。「実は今回ポケットベルが鳴る可能性が高い。受け持ちの入院患者さんの容態があまりよくない…。」
そんな大変な時にやって来るなよ、とも言えない。私だって会いたかったのだもの。しかし何をしていても落ち着かない。ポケットベルがもう鳴るか、もう鳴るか、との心配ばかりが募る。
結局ポケットベルは鳴らなかったのだが、お互いに何とも落ち着かない再々会であった。それにしても、人命を預かる医学という仕事の責任の重大さを身をもって実感である。
その後、私があちらの住む地に行ったり、またあちらが東京へ来たりしつつ恋愛関係は続いたのであるが、いつも頭の片隅にポケットベルが鳴る恐怖を抱えての恋愛関係であった。
そんなある時、あちらが上京して二人でホテルのルームサービスの朝食をとっている時のことだ。ポケットベルならぬホテルの部屋の電話が鳴る。あちらが電話に出ると、電話の発信者はあちらの奥方であった。二人の関係が相手の家族にバレないよう細心の注意を払ってお付き合いしていたつもりなのであるが、遠恋でいつも泊りがけでのデートのため、そんなに事がうまく運ぶ訳もない。どうやらしっかりとバレていて、相当責められている様子だ。現行犯中の出来事である。
人命がかかったポケットベルの呼び出し音を待つ思いも相当の恐怖だが、この現行犯中の相手の奥方からの電話も別の意味で大きな恐怖だ…
その後、元々無理の多いこの“三重苦”のお付き合いは、間もなく終焉を迎えることとなる。
このポケットベルを職業柄、プライベートな場面も含めて常時携帯していた人物との恋愛経験がある。当然ながら携帯電話がまだ普及していなかった、私が独身時代の話だ。
この恋愛は種々のハンディを抱えていた。
まず相手には妻子がいた。(新しい読者の方々のために再度解説するが、私は長い独身時代にさほど結婚願望がなかったため、恋愛相手に妻子がいることが私にとっては特段大きなネックではなかった。詳細はバックナンバー「恋人それとも愛人?」を参照下さい。とは言え、お相手のご家族の方々には間接的にご迷惑をお掛けしました事は重々お詫び申し上げます。

加えて遠距離恋愛だった。
そして、ポケットベルで職場からいつ呼び出しをくらうかもしれない“恐怖”といつも背中合わせでもあった。
今回は、こんな“三重苦”を抱えた恋愛の話を綴ってみよう。
この恋愛相手とのそもそもの出逢いは、私の医学関係の職場である。あちらはこちらにとって顧客の立場であったのだが、私の職場に免疫学関連事項の自主研修のために2日間程来ていた。
私はその人物の直接の研修担当ではなかったのだが、研修の合間に私の所へやってきて業務内容についていろいろと質問をするので、相手は当方にとって顧客でもあるため私は失礼のないようにその質問に丁寧に答えていた。時間が空くと相手は私のところへやって来る。そして、回を重ねると私のプライベートにまで質問が及ぶので、これはどうやら個人的に気に入られているぞ、という感覚はあった。
そして、2日間の研修の終了時に私のところへ最後の挨拶にやって来て帰っていった。
しばらくしてまたこの人物と再会したのは、東京での免疫学関連の学会会場でのことである。あちらが私を見つけてやって来た。 「先生、いらっしゃってたのですね!」と偶然の再会に少し驚いた私が言うと、あちらは「ここに来るとあなたに会えるような気がした。」と返してくる。
学会終了後に、一緒に食事をすることになった。ここで相手から気持ちを打ち明けられることになる。「実は研修に行った時からあなたを気に入ってしまい、もう一度会いたいとずっと思っていた。その間、申し訳ないがあなたの事をいろいろと調べさせてもらって、今日この学会会場に来た…」
実は私の方もそんな予感はあった。相手が研修から帰った後も、この出逢いは終わらないような予感が…。そして妻子の存在も遠距離も承知の上で、私はお付き合いをすることを承諾した。
(自己弁護のために一言付け加えさせていただくと、その方は、外見上の好みだけではなく専門力をきちんと磨いている私が気に入った、と言って下さった。その言葉に当時まだ20代後半の若かりし私は惹きつけられ、お付き合いを承諾するに至った。)
そんな中、ひとつだけ想定外だったのがポケットベルの存在だ。医学関係の業務に携わっていた関係上、そういうことを知らない訳では決してないのだが、実際上自分自身がこの事態に直面したのは初めての体験だった。
「僕は職業柄、いつもポケットベルを携帯していて、呼び出しがあったら極端な場合直ぐに職場に駆けつけなければならないが、それを承知しておいて欲しい。」
恋愛の初期は誰しもお互いに熱心に会いたがるものだが、早速相手が1泊の予定で東京にやってきた。
その時に彼が言う。「実は今回ポケットベルが鳴る可能性が高い。受け持ちの入院患者さんの容態があまりよくない…。」
そんな大変な時にやって来るなよ、とも言えない。私だって会いたかったのだもの。しかし何をしていても落ち着かない。ポケットベルがもう鳴るか、もう鳴るか、との心配ばかりが募る。
結局ポケットベルは鳴らなかったのだが、お互いに何とも落ち着かない再々会であった。それにしても、人命を預かる医学という仕事の責任の重大さを身をもって実感である。
その後、私があちらの住む地に行ったり、またあちらが東京へ来たりしつつ恋愛関係は続いたのであるが、いつも頭の片隅にポケットベルが鳴る恐怖を抱えての恋愛関係であった。
そんなある時、あちらが上京して二人でホテルのルームサービスの朝食をとっている時のことだ。ポケットベルならぬホテルの部屋の電話が鳴る。あちらが電話に出ると、電話の発信者はあちらの奥方であった。二人の関係が相手の家族にバレないよう細心の注意を払ってお付き合いしていたつもりなのであるが、遠恋でいつも泊りがけでのデートのため、そんなに事がうまく運ぶ訳もない。どうやらしっかりとバレていて、相当責められている様子だ。現行犯中の出来事である。
人命がかかったポケットベルの呼び出し音を待つ思いも相当の恐怖だが、この現行犯中の相手の奥方からの電話も別の意味で大きな恐怖だ…
その後、元々無理の多いこの“三重苦”のお付き合いは、間もなく終焉を迎えることとなる。

