原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

15歳の出発(旅立ち)の春

2009年04月09日 | 教育・学校
 満開の桜の花びらが舞い散る春のポカポカ陽気の中、昨日、我が子の高校の入学式に参列した。

 我が子の場合高校は私立中学からの内部進学であるため、環境的には今までとさほど変わり映えがしないのであるが、法的に高校とは、中学とは一線を画した存在である。保護者の学ばせる義務が規定され、子どもの学ぶ権利が保障されている小中学校の9年間の義務教育からは、明確に区別されるのが高校である。

 進学校の高校生は、3年後に大学入学を目指すことになる。
 時はウン十年前に遡るが、私が入学した高校も生徒の100%が大学進学の実績を長年保ち続けている地方の公立のバリバリの進学校であった。入学前の3月の説明会時に高校の担当者から早くも大学進学を目指す心得についての話を聞かされ、楽しかった中学生活から一変して、心に重苦しさを引きずりつつ高校へ入学したことを今尚覚えている。

 当ブログのバックナンバーでも既に述べているが、私の高校時代は、結局上記の大学受験の重圧と不本意な親の偏った希望に翻弄された3年間であったと分析している。 進学色一色の学校へ入学したばかりに、私の人生においてあれ程つまらない時期はなかったと今尚悔やまれる私の思春期の一ページである。 (私はその後30歳目前にして再び大学受験に挑んでいるが、その時は自分自身の内面から湧き出る希望と強い意志による再チャレンジであったため、フルタイムの仕事を通常通り続けながらその合間を縫って受験勉強を楽しみつつ、難なく合格をゲットしたものである。)

 現役高校生時代に上記のごとくの不本意な思い出がある私は、我が子の思春期の貴重な成長時期である高校時代を大学受験一辺倒にすることだけは避けてやりたいという、親としての思いがあった。そのため子どもの高校でのコース選択についてはあらかじめ親子で十分に話し合い、“進学バリバリ”コースではなく、一般コースをあえて希望したことに関しても、当ブログのバックナンバーで既述している。


 さて、確固としたポリシーもなく偏差値偏重へ傾き続ける現在の揺らぐ教育行政の下、高校のランク付けが“大学合格実績”により判定されている実態は皆さんもご承知の通りである。 春先になると毎年恒例のごとく、どこの高校から東大へ何人合格した、どうしたこうしたと何ともくだらない記事を掲載する週刊誌の中吊り広告を、電車等に乗ると見たくも無いのに暴力的に突きつけられるものである。
 このような現状において進学高校が知名度を上げていくためには、一人でも多くの生徒にいわゆる“有名大学”へ入学させることを後押しするのに躍起にならざるを得ない実情なのであろう。


 昨年来の世界的経済危機の影響で、世界中に失業者が溢れている。日本においても、新卒者の就職内定取消し等、若者の就職難に追い討ちをかけている厳しい不況の社会情勢の真っ只中である。
 いわゆる“有名大学”を卒業したからと言って、先々の保証など何もない時代に既に十二分に突入している。目先の大学のブランドにこだわり一喜一憂するほど平和な時代は既に過ぎ去っている。残念ながらそんな安直な時代は当の昔に終焉している。
 今後大人になりゆく若者は、今まで以上に強く生き抜くべく自分なりの確固としたポリシーを育むことが要求される。 このように混沌とした時代に若者がやるべき事とは、この厳しい社会を生き抜ける真の力を身に付けることしかないであろう。

 高校生にしてみれば、親の希望に素直に従って目先のいわゆる“有名大学”へ合格することに躍起になるよりも、もっと優先するべき事が必ずやあるはずである。自分の人生の先を見つめ、自分なりの確固とした職業なり生きがいなりの目標を持ち、その目標に向かうための情報収集や準備作業をするべき時なのではなかろうか。 その道中に、大学進学があるという程度の話に過ぎないであろう。 大学(大学院も含めて)における学びとは、自己の成長の一過程ではあるが、決して人生の“目標”ではない。(大学、大学院において真面目に学問研究に励み、今尚その影響を堪能しつつ生きていると自負する私であるからこそ、これだけは申し上げておきたい思いである。)

 どこの大学を目指そうと基本的には個人の自由ではあるが、貴重な高校生という時期を大学受験勉強にのみ明け暮れるのではなく、その合間に、自分自身で自分の今後の人生に思いを馳せ、主体的に情報収集に励む習慣を身に付ける大事な時期でもある。たとえ、若気の至りの失敗を繰り返そうとも、そのような試行錯誤は必ずや先々訪れる人生に活きるはずである。 


 高校とは、義務教育から解放され「学ぶ権利」を自分自身で管理統制し始めることが出来る出発点である。15歳という年齢はまだまだ若く保護者の支えはもちろん不可欠ではあるが、どうか、目先の大学受験勉強の縛りと親の偏った希望のみに翻弄されることなく、自分の将来へ思いを馳せて、夢を描いて羽ばたいて欲しいものである。
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