先だっての朝日新聞記事によると、居酒屋が繁盛する3大条件は「料理の質」「従業員のサービス」「店の衛生」であり、これらの要件のうち一つでも欠けると店の売り上げ不振に繋がるとのことである。
確かにこの3大条件は、心地よく飲むための周辺環境として大いに重要な要素である。
そのうち、飲兵衛の私が特に重要視するのは「従業員のサービス」であろうか。
先だっても、4名で居酒屋の暖簾をくぐった。まだ開店後まもない時間帯で、客席はガラガラに空いている。このような場合、客の好みの席の希望を叶えてもらってもよさそうなものだが、係の店員が案内したのが電車のボックス席のごとくの窮屈な席で、4名が座ると鞄や上着を置く余裕さえまったくない狭さだ。
「すみませんが、あちらの席でもいいですか?」と私が5名が座れるテーブルを指差すと、「あちらは、予約席です。」とのことで、やむを得ず案内された狭い席で飲む事となった。
その後、予約席の主(ぬし)の5名が来店し、我々同様に「狭いので違う席にして欲しい」と店員に要望している。どういう訳か今回はその要望は聞き入れられた模様で、そのグループは広々とした席へ移動した。
結局我々が飲み会をお開きにするまで、店内はガラ空きであった。
こういうサービスの“不公平感”は、何とも居心地が悪いものだ。しかも店内は空席だらけの時間帯であるのに、懐大きく臨機応変な対応が出来ないものか、と落胆させられたものである。
同様に、居酒屋に限らずレストランや喫茶店等においても、案内された“席”をめぐって不満を感じることはよくある。 どうも、客の居心地の良さよりも店員の働き易さの方を優先して席決めをしている店は多いようだ。空席が多いのに、客を店内の一部にまとめて座らせる店は多い。皆さんもご経験がおありのことと思うが。
また、店の勝手な判断で女性客のみを店の片隅にまとめてみたり、年齢や家族構成等に応じて席の場所をある程度決めている店もよく経験する。私の希望としては、むしろ異質なグループをごちゃ混ぜに配置して欲しいものだ。同類同志とは話題が接近することが多く、席の隣近所と話の内容が交錯してしまい、周囲に遠慮して思い切って話せず欲求不満な飲み会となる経験がよくある。
とにかく、居酒屋における“席”とは重要なポイントである。客の席の希望を出来る限り受け入れるのも大事なサービスなのではなかろうか。
近年、いわゆる“お篭り系”と呼ばれる半個室の居酒屋が流行っているのは、このような客の要望によるものであろう。
話は変わって20年程前のことだが、カップル客の多いラウンジバーのような店での経験だ。 彼氏と2人でブランデーのボトルをキープしたのだが、2人に出されたグラスの大きさが異なるのだ。私に用意されたグラスが彼氏のグラスの半分位の大きさしかない。 「これは明らかに男女差別だ!」と憤った私は、早速彼氏にグラスを交換してもらった。
この例に限らず、ひと昔前は“女性は飲まないのが作法”とするがごとくの価値観が飲み屋の世界に蔓延っていたものである。例えば、ママさんが牛耳っている店のカウンターなどに座ると、男性客には水割りのお替わりをどんどん作ってサービスするのに、女性客にはそのサービスが一切なかったりすることはよくあった。 もっと極端な場合、注文を取る時に女性には「ジュースですか?ウーロン茶ですか?」と決まり文句のように聞いてくる飲み屋のママさんが多かったものだ。
さすがに今の時代は、酒場における“男女差別”をすっかり経験しなくなっている。
チェーン展開の居酒屋の場合、今や店員教育が徹底的にマニュアル化されている様子で、飲んでいる最中の対応においてはさほどの失礼は経験しなくなっている。
個人経営の飲み屋が多かった一昔前の時代は、店員が酔っ払いを“馬鹿”として扱うがごとくの失礼もよく経験したものだ。 確かに酔っ払いとは“馬鹿”であることには間違いないのだが、認知症同様に頭の一部は不思議と働いているものなのだ。悲しいかな、飲んだくれている私を蔑む周囲からの“失礼”な対応を“無礼”として明瞭に認識できるのだ。これに関しては、“馬鹿”な飲兵衛とて傷つくものであり、さらなる悪酔いを招くものでもある。
現在は“酔っ払い”に対して「迷惑防止条例」等で社会が厳しく取り締まる時代でもあり、飲兵衛とはやはり世において大いに迷惑な存在であることを心して言動せねばなるまい。
市民が外で飲む機会が減少しつつあるこの時代に、よりよいサービスを提供して生き延びようと日々努力を重ねている居酒屋チェーン店をはじめとする飲み屋の存在に感謝しながら、一飲兵衛としては礼儀をわきまえつつ、品よくお酒を楽しむ時代なのである。
確かにこの3大条件は、心地よく飲むための周辺環境として大いに重要な要素である。
そのうち、飲兵衛の私が特に重要視するのは「従業員のサービス」であろうか。
先だっても、4名で居酒屋の暖簾をくぐった。まだ開店後まもない時間帯で、客席はガラガラに空いている。このような場合、客の好みの席の希望を叶えてもらってもよさそうなものだが、係の店員が案内したのが電車のボックス席のごとくの窮屈な席で、4名が座ると鞄や上着を置く余裕さえまったくない狭さだ。
「すみませんが、あちらの席でもいいですか?」と私が5名が座れるテーブルを指差すと、「あちらは、予約席です。」とのことで、やむを得ず案内された狭い席で飲む事となった。
その後、予約席の主(ぬし)の5名が来店し、我々同様に「狭いので違う席にして欲しい」と店員に要望している。どういう訳か今回はその要望は聞き入れられた模様で、そのグループは広々とした席へ移動した。
結局我々が飲み会をお開きにするまで、店内はガラ空きであった。
こういうサービスの“不公平感”は、何とも居心地が悪いものだ。しかも店内は空席だらけの時間帯であるのに、懐大きく臨機応変な対応が出来ないものか、と落胆させられたものである。
同様に、居酒屋に限らずレストランや喫茶店等においても、案内された“席”をめぐって不満を感じることはよくある。 どうも、客の居心地の良さよりも店員の働き易さの方を優先して席決めをしている店は多いようだ。空席が多いのに、客を店内の一部にまとめて座らせる店は多い。皆さんもご経験がおありのことと思うが。
また、店の勝手な判断で女性客のみを店の片隅にまとめてみたり、年齢や家族構成等に応じて席の場所をある程度決めている店もよく経験する。私の希望としては、むしろ異質なグループをごちゃ混ぜに配置して欲しいものだ。同類同志とは話題が接近することが多く、席の隣近所と話の内容が交錯してしまい、周囲に遠慮して思い切って話せず欲求不満な飲み会となる経験がよくある。
とにかく、居酒屋における“席”とは重要なポイントである。客の席の希望を出来る限り受け入れるのも大事なサービスなのではなかろうか。
近年、いわゆる“お篭り系”と呼ばれる半個室の居酒屋が流行っているのは、このような客の要望によるものであろう。
話は変わって20年程前のことだが、カップル客の多いラウンジバーのような店での経験だ。 彼氏と2人でブランデーのボトルをキープしたのだが、2人に出されたグラスの大きさが異なるのだ。私に用意されたグラスが彼氏のグラスの半分位の大きさしかない。 「これは明らかに男女差別だ!」と憤った私は、早速彼氏にグラスを交換してもらった。
この例に限らず、ひと昔前は“女性は飲まないのが作法”とするがごとくの価値観が飲み屋の世界に蔓延っていたものである。例えば、ママさんが牛耳っている店のカウンターなどに座ると、男性客には水割りのお替わりをどんどん作ってサービスするのに、女性客にはそのサービスが一切なかったりすることはよくあった。 もっと極端な場合、注文を取る時に女性には「ジュースですか?ウーロン茶ですか?」と決まり文句のように聞いてくる飲み屋のママさんが多かったものだ。
さすがに今の時代は、酒場における“男女差別”をすっかり経験しなくなっている。
チェーン展開の居酒屋の場合、今や店員教育が徹底的にマニュアル化されている様子で、飲んでいる最中の対応においてはさほどの失礼は経験しなくなっている。
個人経営の飲み屋が多かった一昔前の時代は、店員が酔っ払いを“馬鹿”として扱うがごとくの失礼もよく経験したものだ。 確かに酔っ払いとは“馬鹿”であることには間違いないのだが、認知症同様に頭の一部は不思議と働いているものなのだ。悲しいかな、飲んだくれている私を蔑む周囲からの“失礼”な対応を“無礼”として明瞭に認識できるのだ。これに関しては、“馬鹿”な飲兵衛とて傷つくものであり、さらなる悪酔いを招くものでもある。
現在は“酔っ払い”に対して「迷惑防止条例」等で社会が厳しく取り締まる時代でもあり、飲兵衛とはやはり世において大いに迷惑な存在であることを心して言動せねばなるまい。
市民が外で飲む機会が減少しつつあるこの時代に、よりよいサービスを提供して生き延びようと日々努力を重ねている居酒屋チェーン店をはじめとする飲み屋の存在に感謝しながら、一飲兵衛としては礼儀をわきまえつつ、品よくお酒を楽しむ時代なのである。