手取り月収16万2千円の生活は「貧乏」なのか??
本日(10月31日)朝日新聞別刷「be」“悩みのるつぼ”の相談は、自称“貧乏OL”からの「貧乏生活で友だちもいません」だった。
それでは早速39歳独身OLの上記相談を、以下に要約して紹介しよう。
入社20年目の貧乏OLだが、辞めたい辞めたいと思いつつ勤めている会社の業績も厳しく、正社員とは言え手取り月16万2千円のボーナスなしで親元からの通勤である。貧乏なので毎日の通勤服も着たきりすずめ。伸びきったブラジャーにすり切れパンツをロッカールームで見られるのが苦痛で、人気のない時間帯を狙って着替えている。昼の弁当も粗末でおかずのない日の丸弁当。これを見られるのも嫌で休憩室でも自分の机でも食べられず、外でスズメ相手に食べ雨の日は欠食している。貧乏くさいケチケチ生活をしているからいいご縁にも恵まれず、もちろん友達もいない。 どんな境遇になっても自分を見失わず明るく元気に生きていきたいが、こんな貧乏生活を続けていると自分が壊れそうで怖い。他人になんといわれても平気な強い精神力を持つべきなのか。 やはり他人の目を気にして、もっとコミュニケーションをを取る方がいいのか。
(以上、朝日新聞“悩みのるつぼ”への、自称“貧乏OL”からの相談より抜粋)
早速、私論に入ろう。
この相談は「貧乏」であることがその趣旨ではなく、むしろ、人間関係があまりにも貧弱である現状に悩む相談者の深層心理に相談の重点があると私は見る。
そうとは言え、相談者である女性本人が自称“貧乏OL”と名乗っているため、さしあたって月収16万2千円の生活が「貧乏」であるのかどうかにつき考察してみることにしよう。
このOLの場合、現在独身で親と同居中とのことである。 もしも16万円余りの月収のうち、例えば親の扶養や介護等、家族のために幾ばくかの拠出するべき費用をこのOLが負担しているとするならば、その拠出額にもよるがかなり厳しい経済情勢ではあろう。 (この相談においてはその辺の事情の記載が一切ないため、一応ほぼ全額をOL自身が自由に出来るとみなして、以下に私論を続けることにする。)
上記のごとく、手取り月収16万2千円のほぼ全額がこの独身OLの自由になることを前提として考察していこう。
このOLの場合勤続20年の正社員であるのだが、税金や年金保険料等の社会保障料等に関しては既に差し引かれた額がこの手取り月収である。 要するにその全額をOLが自分のために自由に消費支出や投資に拠出できるという前提である。
今回の相談の回答者である社会学者の上野千鶴子氏も述べられているのだが、ケチケチ暮らして貯金でもしているのなら別だが、その気になれば使えるお金はあるはずだ、との指摘に私もまったく同感である。
16万2千円。 この金額、今の不況デフレ時代においては独身者が結構自由奔放に使える金額と私は判断する。
私事を述べると、私はかつてのあの“幻の絢爛豪華なバブル時代”に独身勤労学生をしていた。あのバブルのお陰で仕事にも収入にも恵まれたとは言えども、昼間は勉学に集中するため勤労時間の制限があって自分が満足できる程の収入は得られない。 一方で物価がとてつもなく高い時代で、自分が欲する消費活動は不可能である。そのような時代背景の下においても、自分のポリシーは曲げられない執念の下、私なりの消費活動における努力を重ねたものである。
この相談者と同じ30歳代後半までの6年間その生活を続けた私であるが、このOLの相談内容のごとくの一種の社会からの“疎外感”を抱くことなど私の場合は微塵もなく、むしろ我が独身勤労学生時代を我が人生の“華の栄光の時代”として刻んできている私である。
回答者である上野氏も述べておられるが、例えば、何も今時「日の丸弁当」にせずとて、晩のおかずを詰めることなどいくらでも可能であろう。(料理嫌いな原左都子とて、娘の毎日の弁当作りに際してそれ位の工夫はしているぞ。)
上野氏同様(少しニュアンスが異なるかもしれないが)、私もこのOLの相談から慮るのは、決して「貧乏」が辛いのではなく、40歳を目前にして実は人間関係の希薄感にいたたまれない思いを「貧乏」のせいにして、自分の心の空虚感を軽減、逃避しようと試みているような深層心理を読み取ってしまうのだ。
こじゃれた服を身に付けて人並みの弁当を作ったり買ったりすることは、誰でも少額の出費でいくらでも出来る程に、(失礼な表現をすれば)たとえ発展途上国においてさえ、消費経済社会が目まぐるしく多様的に発展し得た今の時代である。
その一方でこの国に話を戻すと、若い世代の人々にとって、他者とのコミュニケーションを取ることに高いハードルが出来てしまっている現代の、人間関係があまりにも希薄化した社会を実感させられる今回の相談内容である。
ここのところ新政権首相は“机上の空論”でしかない「友愛」ばかりアピールしておられるが、末端庶民である国民が今現在ドップリと浸かっている“人間関係の希薄化現象”を一体どれ程認識した上で「友愛」どうのこうのと主張していらっしゃるのか? 国民の目線でその実態を捉えずして、お上の立場から空虚な道徳論ばかりぶちつつ“スズメの涙”程の各種手当てを国民にバラまく政策で、この国の庶民が真の「友愛」精神を取り戻せるとでもお思いなのであろうか???
本日(10月31日)朝日新聞別刷「be」“悩みのるつぼ”の相談は、自称“貧乏OL”からの「貧乏生活で友だちもいません」だった。
それでは早速39歳独身OLの上記相談を、以下に要約して紹介しよう。
入社20年目の貧乏OLだが、辞めたい辞めたいと思いつつ勤めている会社の業績も厳しく、正社員とは言え手取り月16万2千円のボーナスなしで親元からの通勤である。貧乏なので毎日の通勤服も着たきりすずめ。伸びきったブラジャーにすり切れパンツをロッカールームで見られるのが苦痛で、人気のない時間帯を狙って着替えている。昼の弁当も粗末でおかずのない日の丸弁当。これを見られるのも嫌で休憩室でも自分の机でも食べられず、外でスズメ相手に食べ雨の日は欠食している。貧乏くさいケチケチ生活をしているからいいご縁にも恵まれず、もちろん友達もいない。 どんな境遇になっても自分を見失わず明るく元気に生きていきたいが、こんな貧乏生活を続けていると自分が壊れそうで怖い。他人になんといわれても平気な強い精神力を持つべきなのか。 やはり他人の目を気にして、もっとコミュニケーションをを取る方がいいのか。
(以上、朝日新聞“悩みのるつぼ”への、自称“貧乏OL”からの相談より抜粋)
早速、私論に入ろう。
この相談は「貧乏」であることがその趣旨ではなく、むしろ、人間関係があまりにも貧弱である現状に悩む相談者の深層心理に相談の重点があると私は見る。
そうとは言え、相談者である女性本人が自称“貧乏OL”と名乗っているため、さしあたって月収16万2千円の生活が「貧乏」であるのかどうかにつき考察してみることにしよう。
このOLの場合、現在独身で親と同居中とのことである。 もしも16万円余りの月収のうち、例えば親の扶養や介護等、家族のために幾ばくかの拠出するべき費用をこのOLが負担しているとするならば、その拠出額にもよるがかなり厳しい経済情勢ではあろう。 (この相談においてはその辺の事情の記載が一切ないため、一応ほぼ全額をOL自身が自由に出来るとみなして、以下に私論を続けることにする。)
上記のごとく、手取り月収16万2千円のほぼ全額がこの独身OLの自由になることを前提として考察していこう。
このOLの場合勤続20年の正社員であるのだが、税金や年金保険料等の社会保障料等に関しては既に差し引かれた額がこの手取り月収である。 要するにその全額をOLが自分のために自由に消費支出や投資に拠出できるという前提である。
今回の相談の回答者である社会学者の上野千鶴子氏も述べられているのだが、ケチケチ暮らして貯金でもしているのなら別だが、その気になれば使えるお金はあるはずだ、との指摘に私もまったく同感である。
16万2千円。 この金額、今の不況デフレ時代においては独身者が結構自由奔放に使える金額と私は判断する。
私事を述べると、私はかつてのあの“幻の絢爛豪華なバブル時代”に独身勤労学生をしていた。あのバブルのお陰で仕事にも収入にも恵まれたとは言えども、昼間は勉学に集中するため勤労時間の制限があって自分が満足できる程の収入は得られない。 一方で物価がとてつもなく高い時代で、自分が欲する消費活動は不可能である。そのような時代背景の下においても、自分のポリシーは曲げられない執念の下、私なりの消費活動における努力を重ねたものである。
この相談者と同じ30歳代後半までの6年間その生活を続けた私であるが、このOLの相談内容のごとくの一種の社会からの“疎外感”を抱くことなど私の場合は微塵もなく、むしろ我が独身勤労学生時代を我が人生の“華の栄光の時代”として刻んできている私である。
回答者である上野氏も述べておられるが、例えば、何も今時「日の丸弁当」にせずとて、晩のおかずを詰めることなどいくらでも可能であろう。(料理嫌いな原左都子とて、娘の毎日の弁当作りに際してそれ位の工夫はしているぞ。)
上野氏同様(少しニュアンスが異なるかもしれないが)、私もこのOLの相談から慮るのは、決して「貧乏」が辛いのではなく、40歳を目前にして実は人間関係の希薄感にいたたまれない思いを「貧乏」のせいにして、自分の心の空虚感を軽減、逃避しようと試みているような深層心理を読み取ってしまうのだ。
こじゃれた服を身に付けて人並みの弁当を作ったり買ったりすることは、誰でも少額の出費でいくらでも出来る程に、(失礼な表現をすれば)たとえ発展途上国においてさえ、消費経済社会が目まぐるしく多様的に発展し得た今の時代である。
その一方でこの国に話を戻すと、若い世代の人々にとって、他者とのコミュニケーションを取ることに高いハードルが出来てしまっている現代の、人間関係があまりにも希薄化した社会を実感させられる今回の相談内容である。
ここのところ新政権首相は“机上の空論”でしかない「友愛」ばかりアピールしておられるが、末端庶民である国民が今現在ドップリと浸かっている“人間関係の希薄化現象”を一体どれ程認識した上で「友愛」どうのこうのと主張していらっしゃるのか? 国民の目線でその実態を捉えずして、お上の立場から空虚な道徳論ばかりぶちつつ“スズメの涙”程の各種手当てを国民にバラまく政策で、この国の庶民が真の「友愛」精神を取り戻せるとでもお思いなのであろうか???