自他共に認める“底なし飲兵衛”の私であるが、家族が同居する我が家に人を招いて酒宴を開いたり、他人様のご自宅に伺って「カンパーイ!」をすることだけは避け通したいと、30余年来の“飲んだくれ”遍歴を積み重ねてきた今、身に滲みて実感する原左都子でもある。
我が過去における独身黄金時代においては、「家飲み」は日常茶飯事だった。 恋人はもちろんのこと、親しい友人等と我が一人暮らしの部屋や相手の部屋で朝まで飲んだくれては夕方近くまで寝込むなどという“荒業”を成し遂げられたのは、若気の至り故のパラダイスでもあり失策でもあったのだろう。 それでもまあ、それは独り身故の自己責任の範囲内で片付けられる話である。
そんな私が家庭を持ってからも、幾度か友人知人を招いて我が家で酒宴を開く機会があった。
「家飲み」においても、客を“招く”立場の場合はまだしも気が楽とも言える。 “類は友を呼ぶ”とは言うが、何分飲兵衛の私であるが故にご訪問下さる友人知人も私に勝るとも劣らぬ“飲兵衛”ぶりである。“駆けつけ3杯”という訳ではないが、“飲兵衛”ペースでとにかく最初からアルコールをどんどん与えておいて、その後適当にあしらえた下手な料理を出しても、それに話題が及ばずに済んだものだ。 (何分、わが人生を一貫して料理嫌いな原左都子なもので… 詳細は本ブログバックナンバー「料理嫌いな女」をご参照下さい。)
一方、他人様のご自宅にお酒を“およばれ”する場合は、そうは問屋が卸してはくれない。 大抵のお宅では、料理担当の奥方がさほどお酒を召し上がらないのが世の常である。
例えば私がその奥方と親しい場合、私が“底なし飲兵衛”であることは既存の事実ではあるのだが、奥方以外のご家族の前でまさかその醜態は晒せない。
私がそのお宅の旦那と知り合いの場合など、台所でせっせと料理を作っている面識の浅い奥方に遠慮申し上げて、(早く酒飲ませてくれよな、とイライラしつつも)「何かお手伝いしましょうか?」などと心にもない気遣いもせねばならず、真正飲兵衛としては欲求不満ばかりが募るものである。(こういう場面で今尚男尊女卑を実感させられるのが悔しいよなあ…。)
と言う訳で、他人様のご自宅での飲み会とは“底なし飲兵衛”の女の身には欲求不満ばかりが募る“過酷”な会合以外の何でもないのだ。
今回、本ブログでこのような記事を書くに至ったのは、10月10日(土)朝日新聞“家庭欄”(?)の記事「『家飲み』友とゆるり」がきっかけである。
この記事によると、現在、費用が抑えられ時間や周囲を気にせず過ごせる気軽さが受けて、若い世代の間で「家飲み」がじわりと広がっているとのことである。
この朝日新聞記事の場合、「家飲み」を催しているのが20、30歳代とのことで、その世代の若さであればある程度気兼ねもなく他人の自宅での「飲み会」を楽しめるのであろうとも考察する。
ところが、やはり私のような“真正飲兵衛”にとって災いとなるのが、この朝日新聞記事に添えられていた“専門家”とやらの女性のコメントである。
ファッションスタイリストと称するその“専門家”女性は、そのような「家飲み」にあたってのキーポイントはやはり「料理」だと断言しているのだ! そして料理が苦手な“女性”へのメッセージとして「自分が“出来ること”で料理を作りましょう」云々と提言している。 しかも、他人のお宅に招待された女性客は、台所での準備に協力・参加することで負担を感じなくて済むとの提言である…
やっぱり女とは「お酒」の席においてさえ、今の時代に至って尚、その裏舞台で料理を作ることを強要される存在でしかないのであろうか???
そんな人生を30年前から一切歩まず、自由奔放に飲兵衛人生を徹底して楽しんで来ている私にとっては、料理作りを強要される「家飲み」など鬱陶しいだけの存在である。
実は、我が義母が家庭料理を手始めに長年すばらしい創作料理を創り続けた手腕の持ち主であられるのだ。 そんな凄腕料理の母を持つ亭主の実家へ結婚以来幾度となくお邪魔し、何日も前から下ごしらえして手塩にかけて創った義母の真心こもった料理を肴にお酒を堪能してきた私でもある。
それでも義母の加齢に配慮した私は、その料理を亭主の実家で頂く事を私の意向できっぱりと終焉して以降もう10年程の年月が経過している。 高齢にしてその凄腕料理に臨む義母の労力の負担を鑑みての配慮であった。
今では、義母との会合には外部の飲み食い処の個室等を予約して(その会計は義母が喜んで全額負担してくれるのだが、トホホ… )、飲み会の席において老若男女にかかわらず誰しもに料理や片付けの負担の偏りを無くし、皆が心置きなく飲んで楽しめる措置を採っている我が一族である。 (そんな私の合理的思考を率先して理解してくれる義母を持つ恵まれた私でもある…)
結局、現在の不況真っ只中の日本における「家飲み」の実態とは、庶民にとっては外で飲むには“金力が乏しい”故であることは多少理解も出来る。
そうかと言って家で他人も含めたメンバーが集まって飲む場面において、今の時代に至って尚“女の料理労働力”が期待されているというこの時代遅れの実態はどうしたことであろうか???
ちょっと、冗談じゃないよ!
家で飲むなら男も料理を作って飲兵衛の女に振舞ってくれよ。
それが嫌なら、皆が割り勘で金出し合って外で飲もうよ。
それも嫌だと言うならば、酒飲まなきゃいいだろが!!
我が過去における独身黄金時代においては、「家飲み」は日常茶飯事だった。 恋人はもちろんのこと、親しい友人等と我が一人暮らしの部屋や相手の部屋で朝まで飲んだくれては夕方近くまで寝込むなどという“荒業”を成し遂げられたのは、若気の至り故のパラダイスでもあり失策でもあったのだろう。 それでもまあ、それは独り身故の自己責任の範囲内で片付けられる話である。
そんな私が家庭を持ってからも、幾度か友人知人を招いて我が家で酒宴を開く機会があった。
「家飲み」においても、客を“招く”立場の場合はまだしも気が楽とも言える。 “類は友を呼ぶ”とは言うが、何分飲兵衛の私であるが故にご訪問下さる友人知人も私に勝るとも劣らぬ“飲兵衛”ぶりである。“駆けつけ3杯”という訳ではないが、“飲兵衛”ペースでとにかく最初からアルコールをどんどん与えておいて、その後適当にあしらえた下手な料理を出しても、それに話題が及ばずに済んだものだ。 (何分、わが人生を一貫して料理嫌いな原左都子なもので… 詳細は本ブログバックナンバー「料理嫌いな女」をご参照下さい。)
一方、他人様のご自宅にお酒を“およばれ”する場合は、そうは問屋が卸してはくれない。 大抵のお宅では、料理担当の奥方がさほどお酒を召し上がらないのが世の常である。
例えば私がその奥方と親しい場合、私が“底なし飲兵衛”であることは既存の事実ではあるのだが、奥方以外のご家族の前でまさかその醜態は晒せない。
私がそのお宅の旦那と知り合いの場合など、台所でせっせと料理を作っている面識の浅い奥方に遠慮申し上げて、(早く酒飲ませてくれよな、とイライラしつつも)「何かお手伝いしましょうか?」などと心にもない気遣いもせねばならず、真正飲兵衛としては欲求不満ばかりが募るものである。(こういう場面で今尚男尊女卑を実感させられるのが悔しいよなあ…。)
と言う訳で、他人様のご自宅での飲み会とは“底なし飲兵衛”の女の身には欲求不満ばかりが募る“過酷”な会合以外の何でもないのだ。
今回、本ブログでこのような記事を書くに至ったのは、10月10日(土)朝日新聞“家庭欄”(?)の記事「『家飲み』友とゆるり」がきっかけである。
この記事によると、現在、費用が抑えられ時間や周囲を気にせず過ごせる気軽さが受けて、若い世代の間で「家飲み」がじわりと広がっているとのことである。
この朝日新聞記事の場合、「家飲み」を催しているのが20、30歳代とのことで、その世代の若さであればある程度気兼ねもなく他人の自宅での「飲み会」を楽しめるのであろうとも考察する。
ところが、やはり私のような“真正飲兵衛”にとって災いとなるのが、この朝日新聞記事に添えられていた“専門家”とやらの女性のコメントである。
ファッションスタイリストと称するその“専門家”女性は、そのような「家飲み」にあたってのキーポイントはやはり「料理」だと断言しているのだ! そして料理が苦手な“女性”へのメッセージとして「自分が“出来ること”で料理を作りましょう」云々と提言している。 しかも、他人のお宅に招待された女性客は、台所での準備に協力・参加することで負担を感じなくて済むとの提言である…
やっぱり女とは「お酒」の席においてさえ、今の時代に至って尚、その裏舞台で料理を作ることを強要される存在でしかないのであろうか???
そんな人生を30年前から一切歩まず、自由奔放に飲兵衛人生を徹底して楽しんで来ている私にとっては、料理作りを強要される「家飲み」など鬱陶しいだけの存在である。
実は、我が義母が家庭料理を手始めに長年すばらしい創作料理を創り続けた手腕の持ち主であられるのだ。 そんな凄腕料理の母を持つ亭主の実家へ結婚以来幾度となくお邪魔し、何日も前から下ごしらえして手塩にかけて創った義母の真心こもった料理を肴にお酒を堪能してきた私でもある。
それでも義母の加齢に配慮した私は、その料理を亭主の実家で頂く事を私の意向できっぱりと終焉して以降もう10年程の年月が経過している。 高齢にしてその凄腕料理に臨む義母の労力の負担を鑑みての配慮であった。
今では、義母との会合には外部の飲み食い処の個室等を予約して(その会計は義母が喜んで全額負担してくれるのだが、トホホ… )、飲み会の席において老若男女にかかわらず誰しもに料理や片付けの負担の偏りを無くし、皆が心置きなく飲んで楽しめる措置を採っている我が一族である。 (そんな私の合理的思考を率先して理解してくれる義母を持つ恵まれた私でもある…)
結局、現在の不況真っ只中の日本における「家飲み」の実態とは、庶民にとっては外で飲むには“金力が乏しい”故であることは多少理解も出来る。
そうかと言って家で他人も含めたメンバーが集まって飲む場面において、今の時代に至って尚“女の料理労働力”が期待されているというこの時代遅れの実態はどうしたことであろうか???
ちょっと、冗談じゃないよ!
家で飲むなら男も料理を作って飲兵衛の女に振舞ってくれよ。
それが嫌なら、皆が割り勘で金出し合って外で飲もうよ。
それも嫌だと言うならば、酒飲まなきゃいいだろが!!