前回の記事 「『踊り子』考」 の続編版になるが、12月20日に東京国際フォーラムにて観賞したレニングラード国立バレエの「くるみ割人形」の印象は、一言で表現すると「シンプル」だった。
主役のマーシャ(「くるみ…」バレエ公演においては“クララ”の名の方が一般的であるが、原作によるとクララとは主人公が両親からプレゼントされる人形の名であり、主役の正式名称は“マーシャ”であるようだ。)には、サビーナ・ヤパーロワ氏、そして王子にはアンドレイ・ヤフニューク氏、という配役での舞台だった。 両人とも2007、8年のレニングラード国立バレエ冬公演から登場している新鋭である。
マーシャ役のヤパーロワ氏は今時珍しいとも言える小柄なソリストであるが、その小柄な体型を活かした可憐でリズミカルな動きが魅力的な女性ダンサーである。 第2幕におけるグラン・パ・ド・ドゥで王子と演じたリフト(男性ダンサーが女性ダンサーを高く持ち上げての演技)でのダイナミックさは小柄ならではの技術力であろう。
王子役のヤフニューク氏は王子にふさわしく長身でナイスバディである。 ただ、今回の演出では”風変わりなウィッグ”をつけての王子だったのが私には不自然に感じられた。 もちろんバレエ公演においても“ウィッグ”での演出も多用されるのだが、若きヤフニューク氏の爽やかで甘いマスクを活かすには、地毛での王子の方が自然体で魅力的だったのではないか… と思われ少し残念である。
今回のレニングラード公演の真の主役は、実はくるみ割人形役のデニス・トルマチョフ氏であったのかもしれない。
私が今まで観賞した限り、国内バレエ団の「くるみ割人形」公演において、“くるみ割人形”はすべて「人形」を使用している。 ところが、今回のレニングラード版は生身の男性ダンサーであるトルマチョフ氏が“くるみ割人形”を演じ切ったのである。 (このトルマチョフ氏に関しては、第一幕の見せ場とも言える「黒んぼ人形の踊り」もこなし、第二幕でも大活躍している。)
この流れは、同じロシアのボリショイバレエに源があるのかもしれない。 我が家が所有している1989年版のイワーノフ氏振付けによるボリショイバレエ公演DVDにおいても、くるみ割人形は男性ダンサーが演じ抜いている。(今回の公演後、娘にその旨指摘されて気付いたのだが) やはり“くるみ割人形”も生身の男性ダンサーが演じた方が主人公マーシャとの機微な心の触れ合いや情感が描けること間違いない。 そのためには「人形」役がこなせるべく低身長で芸達者な男性ダンサーをバレエ団が抱えている必要もあろう。
海外のバレエ団の特徴は、何と言っても男性ダンサーの層の厚さにあろう。
日本国内のバレエ団の場合、圧倒的に女性ダンサーが多く男性ダンサーが心もとないところが残念でもある。 そこでやむを得ず男性役を女性ダンサーが肩代わりしている公演が多い。
国内バレエ団がそのような事情を抱えているとは言え、何年来に渡って「くるみ割人形」を観賞してきた私が一番推奨するのは、実は国内の“松山バレエ団”による舞台である。
日本国内のバレエ団においては、上記のごとく残念ながらクラシックバレエ男性ダンサーが希薄であるため、男性役を女性が演じることが多いのが実情である。 “松山バレエ団”においてもその例外ではなく、男性役を女性が演じる場面も少なくはない。 如何に演出力でカバーして尚且つ男性らしい衣裳を調えようとも、しなやかな女性の身体が男性を表現し得るすべはないのは観ていて苦しい思いが拭えないのが事実だ。
バレエとは人間の身体を表現手段とする芸術表現であるが故に、やはり男性の役は男性の身体を駆使した踊りを堪能したいものである。
その上で、かの有名なKカンパニーの熊川哲也氏も述べておられるが、バレエとはまさに氏がおっしゃる通り「総合芸術」の世界である。
そういう意味では、日本国内のバレエ団が展開する舞台はもしかしたら先端技術力で世界でも飛び抜けているのではなかろうか。 我が国が誇る先端科学や芸術力の成せる技と推測するのだが、とにかく「踊り」「音楽」「脚本」「衣裳」「舞台装置」、それらすべてのコラボレーション力による“総合芸術”のすばらしい舞台が国内バレエ団公演において展開されるのである。 (それと対比して、今回のレニングラードバレエは“シンプル”な舞台との印象を持つのだ。)
それに加えるが、私が“松山バレエ団”を一押しするのにはもう一つ理由がある。
実は私が「くるみ割人形」において一番のお気に入りの場面は、第一幕最後の「雪の精の踊り」である。 あの研ぎ澄まされた女性コールドバレエの神髄の場面で、松山バレエ団の女性コールドは身長、手足の細さ長さがすべて揃った上での一糸乱れぬ完璧なまでの技術力、表現力なのである。しかも総勢32名! (今回のレニングラードの「雪の精」女性コールドは24名、加えて世界的バレエ団にしてコールド女性ダンサーの体型が何故に揃っていなかったのかが私にはどうも気にかかるのだ…)
女性コールドバレエダンサーを完璧に揃えられるバレエ団が国内に存在するだけでも、高度な芸術力を保てる力量がこの国内に存在する証明であることに私は感動するのである。
いや~~。芸術とは実に厳しい世界であるよねえ。
せめて体型だけでもバレリーナのごとく芸術的でありたいと思い続け、その維持への私なりの努力を今尚続けているのだけどね…
主役のマーシャ(「くるみ…」バレエ公演においては“クララ”の名の方が一般的であるが、原作によるとクララとは主人公が両親からプレゼントされる人形の名であり、主役の正式名称は“マーシャ”であるようだ。)には、サビーナ・ヤパーロワ氏、そして王子にはアンドレイ・ヤフニューク氏、という配役での舞台だった。 両人とも2007、8年のレニングラード国立バレエ冬公演から登場している新鋭である。
マーシャ役のヤパーロワ氏は今時珍しいとも言える小柄なソリストであるが、その小柄な体型を活かした可憐でリズミカルな動きが魅力的な女性ダンサーである。 第2幕におけるグラン・パ・ド・ドゥで王子と演じたリフト(男性ダンサーが女性ダンサーを高く持ち上げての演技)でのダイナミックさは小柄ならではの技術力であろう。
王子役のヤフニューク氏は王子にふさわしく長身でナイスバディである。 ただ、今回の演出では”風変わりなウィッグ”をつけての王子だったのが私には不自然に感じられた。 もちろんバレエ公演においても“ウィッグ”での演出も多用されるのだが、若きヤフニューク氏の爽やかで甘いマスクを活かすには、地毛での王子の方が自然体で魅力的だったのではないか… と思われ少し残念である。
今回のレニングラード公演の真の主役は、実はくるみ割人形役のデニス・トルマチョフ氏であったのかもしれない。
私が今まで観賞した限り、国内バレエ団の「くるみ割人形」公演において、“くるみ割人形”はすべて「人形」を使用している。 ところが、今回のレニングラード版は生身の男性ダンサーであるトルマチョフ氏が“くるみ割人形”を演じ切ったのである。 (このトルマチョフ氏に関しては、第一幕の見せ場とも言える「黒んぼ人形の踊り」もこなし、第二幕でも大活躍している。)
この流れは、同じロシアのボリショイバレエに源があるのかもしれない。 我が家が所有している1989年版のイワーノフ氏振付けによるボリショイバレエ公演DVDにおいても、くるみ割人形は男性ダンサーが演じ抜いている。(今回の公演後、娘にその旨指摘されて気付いたのだが) やはり“くるみ割人形”も生身の男性ダンサーが演じた方が主人公マーシャとの機微な心の触れ合いや情感が描けること間違いない。 そのためには「人形」役がこなせるべく低身長で芸達者な男性ダンサーをバレエ団が抱えている必要もあろう。
海外のバレエ団の特徴は、何と言っても男性ダンサーの層の厚さにあろう。
日本国内のバレエ団の場合、圧倒的に女性ダンサーが多く男性ダンサーが心もとないところが残念でもある。 そこでやむを得ず男性役を女性ダンサーが肩代わりしている公演が多い。
国内バレエ団がそのような事情を抱えているとは言え、何年来に渡って「くるみ割人形」を観賞してきた私が一番推奨するのは、実は国内の“松山バレエ団”による舞台である。
日本国内のバレエ団においては、上記のごとく残念ながらクラシックバレエ男性ダンサーが希薄であるため、男性役を女性が演じることが多いのが実情である。 “松山バレエ団”においてもその例外ではなく、男性役を女性が演じる場面も少なくはない。 如何に演出力でカバーして尚且つ男性らしい衣裳を調えようとも、しなやかな女性の身体が男性を表現し得るすべはないのは観ていて苦しい思いが拭えないのが事実だ。
バレエとは人間の身体を表現手段とする芸術表現であるが故に、やはり男性の役は男性の身体を駆使した踊りを堪能したいものである。
その上で、かの有名なKカンパニーの熊川哲也氏も述べておられるが、バレエとはまさに氏がおっしゃる通り「総合芸術」の世界である。
そういう意味では、日本国内のバレエ団が展開する舞台はもしかしたら先端技術力で世界でも飛び抜けているのではなかろうか。 我が国が誇る先端科学や芸術力の成せる技と推測するのだが、とにかく「踊り」「音楽」「脚本」「衣裳」「舞台装置」、それらすべてのコラボレーション力による“総合芸術”のすばらしい舞台が国内バレエ団公演において展開されるのである。 (それと対比して、今回のレニングラードバレエは“シンプル”な舞台との印象を持つのだ。)
それに加えるが、私が“松山バレエ団”を一押しするのにはもう一つ理由がある。
実は私が「くるみ割人形」において一番のお気に入りの場面は、第一幕最後の「雪の精の踊り」である。 あの研ぎ澄まされた女性コールドバレエの神髄の場面で、松山バレエ団の女性コールドは身長、手足の細さ長さがすべて揃った上での一糸乱れぬ完璧なまでの技術力、表現力なのである。しかも総勢32名! (今回のレニングラードの「雪の精」女性コールドは24名、加えて世界的バレエ団にしてコールド女性ダンサーの体型が何故に揃っていなかったのかが私にはどうも気にかかるのだ…)
女性コールドバレエダンサーを完璧に揃えられるバレエ団が国内に存在するだけでも、高度な芸術力を保てる力量がこの国内に存在する証明であることに私は感動するのである。
いや~~。芸術とは実に厳しい世界であるよねえ。
せめて体型だけでもバレリーナのごとく芸術的でありたいと思い続け、その維持への私なりの努力を今尚続けているのだけどね…