いきなり私論の結論を表題としたため、何の話なのかお分かりいただけないことであろう。
そこで順を追って説明することにしよう。
12月18日朝日新聞別刷「be」“悩みのるつぼ”の相談の題名は「小説が書きたいです」だった。
その題名だけ見て咄嗟に出た私の感想が、上記の「書きゃいいじゃん。」なのである。
ところがこの相談をよく読むと、どうやら相談者の悩みの本質が「小説が書きたい」との題名とは別のところにありそうだ。
そこで、まずは71歳年金生活者(おそらく女性)による上記相談内容を要約して紹介することにしよう。
わずかな年金をいただいて感謝しつつ暮らしている71歳だが、あれもこれも知りたい病で困っている。 起きてまず新聞を読むが出かけることも多く、新聞を読めない日がとてもつらい。 「婦人公論」も読むし、友人と詩を書いて年1度同人誌として発行している。 だが、本当は小説が書きたい。 2年前に看護師の仕事を終え、俳句、お茶、ウォーキング、老人会と役目が増えてしまった。 年を取る程に物事に興味がわいてきてしまうのは病気の一種だろうか。 子どもの図鑑も眺めるし、大学公開講座も聴きに行く。縄文文化や宇宙、動植物にも興味は尽きない。 でも本当にしたいのは小説を書くことだ。 同居人の娘も私をそそのかすばかりで何も言わない。もう少し年を取ると書けるようになるのだろうか。
いきなり私論に入ろう。
やはり私の結論は、つべこべ言ってないで本気で小説を書きたいならとっとと「書きゃいいじゃん!」 それのみである。
それはおそらく相談者の同居人である娘さんも同じ思いなのであろう。 一番の近親者である娘さんとて“そそのかすのみで何も言わない”のは、「書きゃいいじゃん」以外に答えようがなく、たとえ自分の親と言えどもそれ以上の答を要求されても鬱陶しいだけだからであろう。
で、一体この71歳年金生活者は如何なる答を欲しているのかが、この相談に応えるキーポイントとなろう。
相談者の気持ちは分からなくない。 69歳まで看護師の仕事を全うし退職して現在は年金で賄える範囲内の事象を見つけてはあれこれやってみるが、おそらく“これぞ我がライフワーク!”と納得できる程のビッグな対象に出会えないでいるのであろう。 これも違う、あれも物足りないと内心欲求不満を募らせつつ 「本当は私は小説が書きたいんだ!」 と信じ込むことで自分の今の存在を正当化したいのであろう。
ところが、実は小説を書くことにはさほど興味がないことにご本人が気付いておられないようだ。 何とか他者に後押しして欲しいとの他力本願思想に走りつつ、その思いを家族や周囲に話してみても誰一人として「いろんな物事に興味がある貴方には小説家はうってつけ!」などとまかり間違ってもおだててくれる人がいない。 周囲の反応とは結局私論のごとく、せいぜい「書きゃいいじゃん」程度なのであろう。
どうしてもそのような身近な反応が物足りなくて欲求不満状態に陥った相談者が、新聞投書に打って出たといういきさつと受け止める。
この相談者の場合医療専門職の看護師だったこともあるのだろうが、この就職難の時代に69歳までご自身の専門である仕事に恵まれ、それをやり遂げられただけでも幸せな人生に恵まれていると言えるのではないのだろうか?
私も相談者とは職種は違えども元々医学分野の国家資格を取得し専門職に付いていた。 同種の仕事に就いたかつての学生仲間も、ほとんどの人が今尚現役バリバリで医療現場で活躍している。 おそらく定年過ぎて尚仕事を続行する人も多いことであろう。 (途中で身勝手にもその専門を放り投げたとも言える私にとって、何十年もその道一筋に生きている仲間の現在の活躍談を見聞するとぶっちゃけて正直なところ羨ましくもあるのだ。)
おそらくこの相談者の場合も2年前まで現役で活躍したご自身の看護師時代と比し、現在の年金生活は大いに物足りないことであろう。 何をやってみても職業人としてあれだけ頑張り患者さん等皆に感謝された時代がプレイバックされない… そんな欲求不満を解消しようとして「小説が書きたい」と言ってみるものの、誰も後押ししてくれない…
職業人として長年頑張って来られたばかりに、退職後の現在の欲求不満が倍増する思いは原左都子も重々理解できるのである。
ここで今回の“悩みのるつぼ”回答者である作家 車谷長吉氏の回答の一部を紹介しよう。
人の頭脳は4種類に分けられる。 頭のいい人、頭の悪い人、頭の強い人、頭の弱い人。 この中で絶対に小説を書くことが出来ないのは「頭のいい人」である。 一番向いているのが「頭の強い人」だ。
(中略) 相談者の場合あれもこれもと願い、多くのことに手を出している。趣味ならいいが、作家になるには書くこと以外のすべてを捨てる必要がある。これは絶対必要条件だ。それは苦痛を伴うが苦痛を感じれば人は真剣になる。心に血がにじむからだ。
元教育者でもある原左都子の場合、人間の頭脳を単純に4分割して表現することは立場上避けたいのだが、作家であられる車谷氏の理論は分からないでもない。
余談であるが、もしかしたら原左都子は車谷氏のおっしゃるところの「頭の強い人」に分類されるのかもしれない。 なぜならば、車谷氏の理論に従うと「頭の強い人」とは偽、悪、醜について考えても頭が痛くならない人種だそうなのだが、社会でそういう対象を見つけるとこの「原左都子エッセイ集」でぶった斬ってやろうとの闘志がメラメラ湧き出るからである。
最後になるが、この“悩みのるつぼ”の71歳の相談者は車谷氏がアドバイスされているごとくの“プロの小説家”を目指しているのではなく、ご自身が納得のいくライフワークを欲しておられるのであろうと文面より受け止める。
この相談者が69歳までもの長期間看護師を貫かれたことを、職種は違えども同じ医学分野に従事した原左都子としては十分に褒め称えて差し上げたいのは、上に記した通りである。
その上で相談者が本心から小説を書きたいのであれば、今の時代、拙い「原左都子エッセイ集」のごとくのブログのような形でも、いくらでもその思いを発信できることをお伝えしたいのだ。
今さら世に名を売ることを目指さずそして一銭の収入にならずともよいのであれば、ブログとはいつからでも始めることが可能な媒体である。 公開したブログがネット上で発信力を持てば自ずとアクセスして下さる読者に恵まれ、自分にとってライフワークとも言える程の価値が付随して人生が楽しくなる事を、弱輩者である原左都子からアドバイス申し上げます!
だからこそやっぱり 「書きゃいいじゃん!」 なのですよ!!
そこで順を追って説明することにしよう。
12月18日朝日新聞別刷「be」“悩みのるつぼ”の相談の題名は「小説が書きたいです」だった。
その題名だけ見て咄嗟に出た私の感想が、上記の「書きゃいいじゃん。」なのである。
ところがこの相談をよく読むと、どうやら相談者の悩みの本質が「小説が書きたい」との題名とは別のところにありそうだ。
そこで、まずは71歳年金生活者(おそらく女性)による上記相談内容を要約して紹介することにしよう。
わずかな年金をいただいて感謝しつつ暮らしている71歳だが、あれもこれも知りたい病で困っている。 起きてまず新聞を読むが出かけることも多く、新聞を読めない日がとてもつらい。 「婦人公論」も読むし、友人と詩を書いて年1度同人誌として発行している。 だが、本当は小説が書きたい。 2年前に看護師の仕事を終え、俳句、お茶、ウォーキング、老人会と役目が増えてしまった。 年を取る程に物事に興味がわいてきてしまうのは病気の一種だろうか。 子どもの図鑑も眺めるし、大学公開講座も聴きに行く。縄文文化や宇宙、動植物にも興味は尽きない。 でも本当にしたいのは小説を書くことだ。 同居人の娘も私をそそのかすばかりで何も言わない。もう少し年を取ると書けるようになるのだろうか。
いきなり私論に入ろう。
やはり私の結論は、つべこべ言ってないで本気で小説を書きたいならとっとと「書きゃいいじゃん!」 それのみである。
それはおそらく相談者の同居人である娘さんも同じ思いなのであろう。 一番の近親者である娘さんとて“そそのかすのみで何も言わない”のは、「書きゃいいじゃん」以外に答えようがなく、たとえ自分の親と言えどもそれ以上の答を要求されても鬱陶しいだけだからであろう。
で、一体この71歳年金生活者は如何なる答を欲しているのかが、この相談に応えるキーポイントとなろう。
相談者の気持ちは分からなくない。 69歳まで看護師の仕事を全うし退職して現在は年金で賄える範囲内の事象を見つけてはあれこれやってみるが、おそらく“これぞ我がライフワーク!”と納得できる程のビッグな対象に出会えないでいるのであろう。 これも違う、あれも物足りないと内心欲求不満を募らせつつ 「本当は私は小説が書きたいんだ!」 と信じ込むことで自分の今の存在を正当化したいのであろう。
ところが、実は小説を書くことにはさほど興味がないことにご本人が気付いておられないようだ。 何とか他者に後押しして欲しいとの他力本願思想に走りつつ、その思いを家族や周囲に話してみても誰一人として「いろんな物事に興味がある貴方には小説家はうってつけ!」などとまかり間違ってもおだててくれる人がいない。 周囲の反応とは結局私論のごとく、せいぜい「書きゃいいじゃん」程度なのであろう。
どうしてもそのような身近な反応が物足りなくて欲求不満状態に陥った相談者が、新聞投書に打って出たといういきさつと受け止める。
この相談者の場合医療専門職の看護師だったこともあるのだろうが、この就職難の時代に69歳までご自身の専門である仕事に恵まれ、それをやり遂げられただけでも幸せな人生に恵まれていると言えるのではないのだろうか?
私も相談者とは職種は違えども元々医学分野の国家資格を取得し専門職に付いていた。 同種の仕事に就いたかつての学生仲間も、ほとんどの人が今尚現役バリバリで医療現場で活躍している。 おそらく定年過ぎて尚仕事を続行する人も多いことであろう。 (途中で身勝手にもその専門を放り投げたとも言える私にとって、何十年もその道一筋に生きている仲間の現在の活躍談を見聞するとぶっちゃけて正直なところ羨ましくもあるのだ。)
おそらくこの相談者の場合も2年前まで現役で活躍したご自身の看護師時代と比し、現在の年金生活は大いに物足りないことであろう。 何をやってみても職業人としてあれだけ頑張り患者さん等皆に感謝された時代がプレイバックされない… そんな欲求不満を解消しようとして「小説が書きたい」と言ってみるものの、誰も後押ししてくれない…
職業人として長年頑張って来られたばかりに、退職後の現在の欲求不満が倍増する思いは原左都子も重々理解できるのである。
ここで今回の“悩みのるつぼ”回答者である作家 車谷長吉氏の回答の一部を紹介しよう。
人の頭脳は4種類に分けられる。 頭のいい人、頭の悪い人、頭の強い人、頭の弱い人。 この中で絶対に小説を書くことが出来ないのは「頭のいい人」である。 一番向いているのが「頭の強い人」だ。
(中略) 相談者の場合あれもこれもと願い、多くのことに手を出している。趣味ならいいが、作家になるには書くこと以外のすべてを捨てる必要がある。これは絶対必要条件だ。それは苦痛を伴うが苦痛を感じれば人は真剣になる。心に血がにじむからだ。
元教育者でもある原左都子の場合、人間の頭脳を単純に4分割して表現することは立場上避けたいのだが、作家であられる車谷氏の理論は分からないでもない。
余談であるが、もしかしたら原左都子は車谷氏のおっしゃるところの「頭の強い人」に分類されるのかもしれない。 なぜならば、車谷氏の理論に従うと「頭の強い人」とは偽、悪、醜について考えても頭が痛くならない人種だそうなのだが、社会でそういう対象を見つけるとこの「原左都子エッセイ集」でぶった斬ってやろうとの闘志がメラメラ湧き出るからである。
最後になるが、この“悩みのるつぼ”の71歳の相談者は車谷氏がアドバイスされているごとくの“プロの小説家”を目指しているのではなく、ご自身が納得のいくライフワークを欲しておられるのであろうと文面より受け止める。
この相談者が69歳までもの長期間看護師を貫かれたことを、職種は違えども同じ医学分野に従事した原左都子としては十分に褒め称えて差し上げたいのは、上に記した通りである。
その上で相談者が本心から小説を書きたいのであれば、今の時代、拙い「原左都子エッセイ集」のごとくのブログのような形でも、いくらでもその思いを発信できることをお伝えしたいのだ。
今さら世に名を売ることを目指さずそして一銭の収入にならずともよいのであれば、ブログとはいつからでも始めることが可能な媒体である。 公開したブログがネット上で発信力を持てば自ずとアクセスして下さる読者に恵まれ、自分にとってライフワークとも言える程の価値が付随して人生が楽しくなる事を、弱輩者である原左都子からアドバイス申し上げます!
だからこそやっぱり 「書きゃいいじゃん!」 なのですよ!!