“大学とはあくまでも学問を伝授する学府であるべきだ”
「原左都子エッセイ集」において幾度となく訴え続けているテーマの一つに、上記のごとくの大学の本来あるべき姿についての私論がある。
例えば、先だっての学校・教育カテゴリーバックナンバー「センター試験難易度2分割案に異議申す!」においてもその趣旨のオピニオンを述べている。 独立行政法人“大学入試センター”が現在存在する大学の実態に即して大学センター試験を難易度に応じて2分割する案を提示しているのを受けて、これが学問を伝授しているとは言い難い“名のみの大学”を切り捨てる意図であるのならば容認できるが、そうでなくその種の大学を温存する趣旨だとするならば、学力の無い学生を生み出している高校教育以前まで遡って学校教育を再考するのが先決問題である、との私論を展開した。
少々古くなるが2009年6月時事論評カテゴリーバックナンバー「某実学志向大学の経営破綻」においても、同趣旨のオピニオンを展開している。 資格取得を開学の趣旨として全国で初めて設立された“株式会社立”の大学がわずか5年にして閉学に至った話題を取り上げ、大学とはあくまでも学問を伝授する学府であるべきであり、大学とは名のみの実学志向大学が経営破綻するのは当然の成り行きである旨の私論を公開しているので、ご参照いただきたい。
大学の存在命題に関する上記のポリシーが明確である原左都子にとって、何とも心が痛む現役大学生によるオピニオンを新聞の投書欄で発見した。
11月27日付朝日新聞「声」欄に掲載されていた22歳の現役大学3年生による“就活、疑問あるが悩む暇ない”を以下に要約して紹介しよう。
「大卒漂流」「内定率57,6%」 新聞には就活を始めた大学3年の私にとってネガティブな言葉が並んでいる。 これらの言葉は私たちに焦りを与え不安にさせる。 学生の本分である学業に時間を費やせず、就活が最優先にならざるを得ない。 3年生になって授業が専門的になりやっと面白くなったのに休まねばならない。 将来やりたいことのために今やりたい(学業)を犠牲にせざるを得ない…。 3年前あんなに頑張って大学に入ったのは就活をするためだったのか?と疑問だ。 だが時間は待ってくれない。このご時勢にそんなこと悩んでいる暇はない。でも学業を疎かにしたくもない…。 今はベストを尽くし行きたい会社の内定をもぎとるしかない。
私論に入ろう。
今時、大学に入学してその学業が面白くなったという現役学生の実話を聞かせていただいただけでも原左都子は大いに感激である。
このように学問に対して“骨”がある若者が3年生になって専門課程に入り学業に励みたいにもかかわらず、就活のために大学を休まねばならない過酷で歪んだ現実を作り上げたのは一体誰の責任か?! と改めて国政の責任を問い正したい思いの私だ。
だが、ここでは思い切って視点を変えてみよう。 すなわち、「大卒漂流」とまで表現されている超就職難の現状にもかかわらず数十%の大卒者が就職に“ありつけている”実態の方に目を向けて分析するという手もあろう。
一体、大卒者のうち如何なる人種が就職にありつけているのか?
もしかしたら、その第一は単に“コネ”等の人脈によるのだろうか?? そうだとすると私は当ブログのバックナンバー「人脈とは時に足かせになる」で綴った内容を思い起こすのだが、コネに頼る事とは概してその先々の成功には繋がらないものであることを年配者としては実感するのだ。 “コネ”の強力度にもよるであろうが、実力も無いのに何らかの就職をゲットしたとて、その先は知れているというものである。
次に、上記「声」欄の学生が投稿しているごとく、就活に励む頻度(就活のために費やす時間)と就職をゲットする事との間に相関関係が成り立つのかどうかに関しても、原左都子は疑問符を投げかけたい思いである。
この「声」欄投稿学生が本気で大学における専門分野の学業に励みたいのであれば、今はそれを優先してはどうかとアドバイスしたい気もするのだ。 そして専門分野における学力を高めた後に就活を再開した方が、自分自身の仕事に臨むポリシーがより明確になっているはずなのである。 その専門力や自分の将来の職業における夢等を、通り一遍のマニュアルではなく自分自身の言葉で就活時の面談等で伝えられるならば、就職先の人事担当者がよほど人を見る目を持たない馬鹿でない限り、その思いが伝わり易いのではないかと私は思うのだが…
現役大学生がこの経済不況の現実の中にあってすぐ間近の就職を控えて焦る気持ちは重々理解できるが、むしろ今は本分である学業を全うしたいとの“図太さ”のある人材こそが将来活躍する資質の持ち主ではないのかと考察する原左都子である。
社会の第一歩を“コネ”に頼った人物が早々に潰れ去る姿を私は過去において既に何回か身近に体験してきている。 (名目だけは体裁を保っていたって、実力が無い人物が上に立つ姿は端で見ていても惨めなものだよ~~)
だからこそ若者よ、大学に入学したならば就活など後回しにして是非とも学問を貫こう!!
小手先の就職マニュアルに頼るのではなく学生のうちに真の実力を身に付けられたならば、現在の大学卒業時点の就職ゲット率である50数%の一人となれることは間違いないと私が保証しよう。
「原左都子エッセイ集」において幾度となく訴え続けているテーマの一つに、上記のごとくの大学の本来あるべき姿についての私論がある。
例えば、先だっての学校・教育カテゴリーバックナンバー「センター試験難易度2分割案に異議申す!」においてもその趣旨のオピニオンを述べている。 独立行政法人“大学入試センター”が現在存在する大学の実態に即して大学センター試験を難易度に応じて2分割する案を提示しているのを受けて、これが学問を伝授しているとは言い難い“名のみの大学”を切り捨てる意図であるのならば容認できるが、そうでなくその種の大学を温存する趣旨だとするならば、学力の無い学生を生み出している高校教育以前まで遡って学校教育を再考するのが先決問題である、との私論を展開した。
少々古くなるが2009年6月時事論評カテゴリーバックナンバー「某実学志向大学の経営破綻」においても、同趣旨のオピニオンを展開している。 資格取得を開学の趣旨として全国で初めて設立された“株式会社立”の大学がわずか5年にして閉学に至った話題を取り上げ、大学とはあくまでも学問を伝授する学府であるべきであり、大学とは名のみの実学志向大学が経営破綻するのは当然の成り行きである旨の私論を公開しているので、ご参照いただきたい。
大学の存在命題に関する上記のポリシーが明確である原左都子にとって、何とも心が痛む現役大学生によるオピニオンを新聞の投書欄で発見した。
11月27日付朝日新聞「声」欄に掲載されていた22歳の現役大学3年生による“就活、疑問あるが悩む暇ない”を以下に要約して紹介しよう。
「大卒漂流」「内定率57,6%」 新聞には就活を始めた大学3年の私にとってネガティブな言葉が並んでいる。 これらの言葉は私たちに焦りを与え不安にさせる。 学生の本分である学業に時間を費やせず、就活が最優先にならざるを得ない。 3年生になって授業が専門的になりやっと面白くなったのに休まねばならない。 将来やりたいことのために今やりたい(学業)を犠牲にせざるを得ない…。 3年前あんなに頑張って大学に入ったのは就活をするためだったのか?と疑問だ。 だが時間は待ってくれない。このご時勢にそんなこと悩んでいる暇はない。でも学業を疎かにしたくもない…。 今はベストを尽くし行きたい会社の内定をもぎとるしかない。
私論に入ろう。
今時、大学に入学してその学業が面白くなったという現役学生の実話を聞かせていただいただけでも原左都子は大いに感激である。
このように学問に対して“骨”がある若者が3年生になって専門課程に入り学業に励みたいにもかかわらず、就活のために大学を休まねばならない過酷で歪んだ現実を作り上げたのは一体誰の責任か?! と改めて国政の責任を問い正したい思いの私だ。
だが、ここでは思い切って視点を変えてみよう。 すなわち、「大卒漂流」とまで表現されている超就職難の現状にもかかわらず数十%の大卒者が就職に“ありつけている”実態の方に目を向けて分析するという手もあろう。
一体、大卒者のうち如何なる人種が就職にありつけているのか?
もしかしたら、その第一は単に“コネ”等の人脈によるのだろうか?? そうだとすると私は当ブログのバックナンバー「人脈とは時に足かせになる」で綴った内容を思い起こすのだが、コネに頼る事とは概してその先々の成功には繋がらないものであることを年配者としては実感するのだ。 “コネ”の強力度にもよるであろうが、実力も無いのに何らかの就職をゲットしたとて、その先は知れているというものである。
次に、上記「声」欄の学生が投稿しているごとく、就活に励む頻度(就活のために費やす時間)と就職をゲットする事との間に相関関係が成り立つのかどうかに関しても、原左都子は疑問符を投げかけたい思いである。
この「声」欄投稿学生が本気で大学における専門分野の学業に励みたいのであれば、今はそれを優先してはどうかとアドバイスしたい気もするのだ。 そして専門分野における学力を高めた後に就活を再開した方が、自分自身の仕事に臨むポリシーがより明確になっているはずなのである。 その専門力や自分の将来の職業における夢等を、通り一遍のマニュアルではなく自分自身の言葉で就活時の面談等で伝えられるならば、就職先の人事担当者がよほど人を見る目を持たない馬鹿でない限り、その思いが伝わり易いのではないかと私は思うのだが…
現役大学生がこの経済不況の現実の中にあってすぐ間近の就職を控えて焦る気持ちは重々理解できるが、むしろ今は本分である学業を全うしたいとの“図太さ”のある人材こそが将来活躍する資質の持ち主ではないのかと考察する原左都子である。
社会の第一歩を“コネ”に頼った人物が早々に潰れ去る姿を私は過去において既に何回か身近に体験してきている。 (名目だけは体裁を保っていたって、実力が無い人物が上に立つ姿は端で見ていても惨めなものだよ~~)
だからこそ若者よ、大学に入学したならば就活など後回しにして是非とも学問を貫こう!!
小手先の就職マニュアルに頼るのではなく学生のうちに真の実力を身に付けられたならば、現在の大学卒業時点の就職ゲット率である50数%の一人となれることは間違いないと私が保証しよう。