今回の記事は12月18日付朝日新聞 別刷 「be」 “beランキング” の記事 「あなたが選ぶレコ大受賞曲No.1」 の形式をそのままパクらせていただいていることを、あらかじめお断りしておきます。
日本歌謡界における最もメジャーな賞が1959年に発足した“レコード大賞”であるとも言える歌謡曲全盛の昭和の時代もあった。
レコードがCD等のメディア媒体に移り替わり、国民の音楽嗜好が多様化し始めた後現在に至るまで“レコード大賞”の名は不滅である。 だが、さすがに平成(1990年代)に入った頃よりこの賞の存在価値そのものが低下の一途を辿っているとも考察できよう。
まず最初に、上記朝日新聞“beランキング”読者調査による“レコ大受賞曲”トップ10を、原左都子が選ぶ“レコ大トップ10”に先立って以下に紹介してみることにしよう。
1位 ルビーの指環 (寺尾聰)
2位 喝采 (ちあきなおみ)
3位 また逢う日まで (尾崎き紀世彦)
4位 シクラメンのかほり (布施明)
5位 TSUNAMI (サザンオールスターズ)
6位 勝手にしやがれ (沢田研二)
7位 魅せられて (ジュディ・オング)
8位 黒い花びら (水原弘)
9位 ブルー・シャトウ (ブルー・コメッツ)
10位 北の宿から (都はるみ)
元々大の音楽ファンである原左都子だが、歌謡曲とてその例外ではない。 それが証拠に今尚カラオケファンでもあり、マイクを握らせてもらえると往年の名曲を何曲でも披露できる。
それ故に、1980年代頃までは毎年年末になると民放による“レコード大賞”の発表を心待ちにしていたものだ。
いよいよ、そんな原左都子が選ぶ“レコ大受賞曲トップ10”を以下に発表することにしよう。
選抜基準として、その5割は自ずと個人的好みによることをご了承願いたい。 その他5割は楽曲の完成度や歌手の歌唱力を含めた大賞にふさわしいスケールの大きさ、そしてその時々の時代の世相の反映度合や当時の世間の反応も思い起こしつつの我が“トップ10”決定である。
(申し訳ないのですが、子育て等の事情により90年代以降は日本歌謡・ポップス界とは自ずと疎遠となっておりまして、それ以前の受賞曲に偏っていることをあらかじめお詫び致します。)
1位 喝采 (ちあきなおみ)
1972年当時私は高校生だった。 思春期も終わりに近い頃、歌手のちあきなおみ氏が舞台俳優のごとくの演技力と歌唱力をもって歌い上げたこの楽曲をその後忘れることはない。 これ程スケールの大きい歌謡曲には未だかつて出会っていないとも言える程の存在観を誇っている名曲であると、私は分析する。
2位 また逢う日まで (尾崎紀世彦)
71年の名曲であるが、やはり楽曲のスケールの大きさに今尚唸る思いである。尾崎紀世彦氏は新人にしての大賞受賞だったと記憶している。 カラオケで男性達がこれをハモってくれると聴き入ってしまう私である。
3位 愛は勝つ (KAN)
これは原左都子としては珍しく1990年代のヒット曲からの抜粋である。 歌手のKAN氏にとって“一発ヒット”の楽曲だったことであろうが、その完成度の高さとスケールの大きさを私は十分評価している。 今尚カラオケで皆で合唱したい名曲である。
4位 こんにちは赤ちゃん (梓みちよ)
63年、私が小学校低学年の頃のヒット曲である。 ママが産んだ子どもに語りかけるこの曲で“もはや戦後は終わった”時代に高度経済成長を目指そうと当時の国政から尻を叩かれ続けた国民は、この歌が表現した“母の優しさ”にどれ程癒されたことであろう。
5位 黒い花びら (水原弘)
59年、まさに“レコード大賞”発足初年度の大賞受賞曲である。 まだ幼稚園児であった私だが、水原弘氏のニヒルな雰囲気そして洋風の楽曲をよく憶えている。
6位 CAN YOU CELEBRATE? (安室奈美恵)
詐欺事件で有罪判決を受けて今尚謹慎中の小室哲也氏による97年の楽曲である。特別両人のファンという訳ではないのだが、この楽曲のスケールの大きさを好む私である。 カラオケで熱唱しようとして歌唱力不足故にどうしても歌いこなせないでいるのだが…
7位 ブルー・シャトウ (ジャッキー吉川とブルー・コメッツ)
67年当時中学生になったばかりの原左都子はまさに“グループサウンズ”適齢期だった。 当時一番人気のタイガースの楽曲もすばらしかったが、レコ大の大賞に選ばれたのは国民の幅広い年齢層から支持を得たこの楽曲だった。
8位 勝手にしやがれ (沢田研二)
上記のグループサウンズ全盛期より後にソロ歌手の第一人者として生き残ったのは、やはりタイガースメインボーカルの沢田研二氏であった。 ジュリーはその後も多くのヒット曲を残しているが原左都子がジュリーのヒット曲の中で一番好むのは、この大賞受賞曲よりも実は “ボーギー、ボーギー、あんたの時代はよかった♪” と劇場バージョンのごとく歌って演じた“カサブランカ・ダンディ”である。
9位 いつでも夢を (橋幸夫・吉永小百合)
この楽曲も今尚スタンダードとして歌い継がれている名曲ではなかろうか。
10位 DESIRE (中森明菜)
スミマセン。 これは原左都子のカラオケのバリバリ持ち歌です! 今でも踊りながら歌えるのですが、ここで歌ってさしあげましょうか??
皆さんは如何でしょう? どんな楽曲に思い入れがありますか??
ミーハー音楽好きな原左都子にとって、往年の名曲が聴ける年末は楽しいひと時でもありますよ。
日本歌謡界における最もメジャーな賞が1959年に発足した“レコード大賞”であるとも言える歌謡曲全盛の昭和の時代もあった。
レコードがCD等のメディア媒体に移り替わり、国民の音楽嗜好が多様化し始めた後現在に至るまで“レコード大賞”の名は不滅である。 だが、さすがに平成(1990年代)に入った頃よりこの賞の存在価値そのものが低下の一途を辿っているとも考察できよう。
まず最初に、上記朝日新聞“beランキング”読者調査による“レコ大受賞曲”トップ10を、原左都子が選ぶ“レコ大トップ10”に先立って以下に紹介してみることにしよう。
1位 ルビーの指環 (寺尾聰)
2位 喝采 (ちあきなおみ)
3位 また逢う日まで (尾崎き紀世彦)
4位 シクラメンのかほり (布施明)
5位 TSUNAMI (サザンオールスターズ)
6位 勝手にしやがれ (沢田研二)
7位 魅せられて (ジュディ・オング)
8位 黒い花びら (水原弘)
9位 ブルー・シャトウ (ブルー・コメッツ)
10位 北の宿から (都はるみ)
元々大の音楽ファンである原左都子だが、歌謡曲とてその例外ではない。 それが証拠に今尚カラオケファンでもあり、マイクを握らせてもらえると往年の名曲を何曲でも披露できる。
それ故に、1980年代頃までは毎年年末になると民放による“レコード大賞”の発表を心待ちにしていたものだ。
いよいよ、そんな原左都子が選ぶ“レコ大受賞曲トップ10”を以下に発表することにしよう。
選抜基準として、その5割は自ずと個人的好みによることをご了承願いたい。 その他5割は楽曲の完成度や歌手の歌唱力を含めた大賞にふさわしいスケールの大きさ、そしてその時々の時代の世相の反映度合や当時の世間の反応も思い起こしつつの我が“トップ10”決定である。
(申し訳ないのですが、子育て等の事情により90年代以降は日本歌謡・ポップス界とは自ずと疎遠となっておりまして、それ以前の受賞曲に偏っていることをあらかじめお詫び致します。)
1位 喝采 (ちあきなおみ)
1972年当時私は高校生だった。 思春期も終わりに近い頃、歌手のちあきなおみ氏が舞台俳優のごとくの演技力と歌唱力をもって歌い上げたこの楽曲をその後忘れることはない。 これ程スケールの大きい歌謡曲には未だかつて出会っていないとも言える程の存在観を誇っている名曲であると、私は分析する。
2位 また逢う日まで (尾崎紀世彦)
71年の名曲であるが、やはり楽曲のスケールの大きさに今尚唸る思いである。尾崎紀世彦氏は新人にしての大賞受賞だったと記憶している。 カラオケで男性達がこれをハモってくれると聴き入ってしまう私である。
3位 愛は勝つ (KAN)
これは原左都子としては珍しく1990年代のヒット曲からの抜粋である。 歌手のKAN氏にとって“一発ヒット”の楽曲だったことであろうが、その完成度の高さとスケールの大きさを私は十分評価している。 今尚カラオケで皆で合唱したい名曲である。
4位 こんにちは赤ちゃん (梓みちよ)
63年、私が小学校低学年の頃のヒット曲である。 ママが産んだ子どもに語りかけるこの曲で“もはや戦後は終わった”時代に高度経済成長を目指そうと当時の国政から尻を叩かれ続けた国民は、この歌が表現した“母の優しさ”にどれ程癒されたことであろう。
5位 黒い花びら (水原弘)
59年、まさに“レコード大賞”発足初年度の大賞受賞曲である。 まだ幼稚園児であった私だが、水原弘氏のニヒルな雰囲気そして洋風の楽曲をよく憶えている。
6位 CAN YOU CELEBRATE? (安室奈美恵)
詐欺事件で有罪判決を受けて今尚謹慎中の小室哲也氏による97年の楽曲である。特別両人のファンという訳ではないのだが、この楽曲のスケールの大きさを好む私である。 カラオケで熱唱しようとして歌唱力不足故にどうしても歌いこなせないでいるのだが…
7位 ブルー・シャトウ (ジャッキー吉川とブルー・コメッツ)
67年当時中学生になったばかりの原左都子はまさに“グループサウンズ”適齢期だった。 当時一番人気のタイガースの楽曲もすばらしかったが、レコ大の大賞に選ばれたのは国民の幅広い年齢層から支持を得たこの楽曲だった。
8位 勝手にしやがれ (沢田研二)
上記のグループサウンズ全盛期より後にソロ歌手の第一人者として生き残ったのは、やはりタイガースメインボーカルの沢田研二氏であった。 ジュリーはその後も多くのヒット曲を残しているが原左都子がジュリーのヒット曲の中で一番好むのは、この大賞受賞曲よりも実は “ボーギー、ボーギー、あんたの時代はよかった♪” と劇場バージョンのごとく歌って演じた“カサブランカ・ダンディ”である。
9位 いつでも夢を (橋幸夫・吉永小百合)
この楽曲も今尚スタンダードとして歌い継がれている名曲ではなかろうか。
10位 DESIRE (中森明菜)
スミマセン。 これは原左都子のカラオケのバリバリ持ち歌です! 今でも踊りながら歌えるのですが、ここで歌ってさしあげましょうか??
皆さんは如何でしょう? どんな楽曲に思い入れがありますか??
ミーハー音楽好きな原左都子にとって、往年の名曲が聴ける年末は楽しいひと時でもありますよ。