原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

パンダの退屈 カバの純真

2011年06月05日 | 芸術
 (写真は上野動物園のパンダ メスのシンシン)

 先週、私は「ぐるっとパス」(東京都歴史文化財団より発行されている2ヵ月間有効の美術館・博物館等共通入場券)の期限切れ間際にして、それを駆け込み有効利用するため上野動物園と葛西臨海水族園を訪れた。


 我が子が幼少の頃上野動物園を訪れて以降、十何年かぶりの動物園訪問である。
 以前より本物のパンダが見たいと言っていた娘の学校が先週運良く平日代休だったため、おそらく空いているであろうとことを予想して上野まで出かけた。

 動物園入口を入ると、まずは上野動物園トップ人気のパンダ舎が待ち構えている。 予想通り空いていたのはよかったのだが、肝心のパンダは2頭とも寝ている…。
 この3月に5億円の大枚を叩いて中国より譲り受けたという雄雌2頭のパンダであるが、その直後に大震災に遭遇し上野動物園はしばらく閉鎖していた。 4月に入り再開園した時には、パンダ見たさに駆けつけた大勢の人々で大混雑だったようだ。
 パンダとは基本的に群れや家族を形成せず単独で行動する動物である。 繁殖期は春でありその頃に野生の雌雄は頻繁にコミュニケーションをとるようだ。 現在は既に繁殖期を過ぎたようで、上野動物園オスのリーリーとメスのシンシンも別の部屋での飼育展示であった。(参考のため、上野動物園においては今春のパンダの繁殖には失敗したとの報道である。 5億円の大金をかけて中国から譲り受けたパンダ次世代の繁殖、育成任務の重圧が、中国との友好外交の意味合いも含めて飼育現場に重くのしかかっていることであろうと察する。)
 パンダは確かに可愛い。 (上記写真をご参照下さい。シンシンが遠方の部屋の隅で寝ていたため見辛い点をお詫びしますが。)  平日のためか大人の入園者が多かったようだが、皆口々に寝ているパンダをみて「可愛い!」「可愛い!」の連呼である。 「ほんと、“たれパンダ”だね!」と横の入園者が言う通り、まさにうだ~~、と寝ている姿は一時流行った“たれパンダ”そっくりというより、それよりも数段可愛いのだ。 ただ外見や動作の可愛らしい特徴故にパンダとはそればかりが注目を集め、クマ科動物故の気性の荒い一面が忘れ去られてしまうのが、展示用パンダの宿命というものであろう。 
 

 ところで今回の記事を「芸術」カテゴリーとしたのには、原左都子なりの理由がある。 十何年かぶりに動物園を訪れそこに飼育されている動物を観賞した感想とは、まさに「芸術」なのである。
 本来ならば、同じ地球上に共に生を受けた生命体同士として様々な動物達と自然界でご対面を果すべきだったのであろう。 そして真の弱肉強食の原理の下、人間も対等に動物界を渡っていくべきであろう。 もしもその“対等”の結果がこれ程までに科学技術が進化して人工化した地球であるならば、今の世に存在する動物園の存在も自然摂理ということになろうか。 
 様々な思いが我が頭を巡りつつ、それでも動物園の狭い展示室内で「生きている」動物達が垣間見せる表情や動きが実に“芸術的”なのである。
 上記パンダに関してはその寝ている姿を表題では「退屈」と表現したが、それは生態学的には正確ではないであろう。おそらくパンダには長時間寝る習性があるものと想像する。 動物園のパンダの立場からすれば、寝て休んでいる姿を大勢の人間にじろじろ見られ可愛い!と解釈されることは大いなるストレスで迷惑には違いなく、むしろ「憂鬱」なことであろう。

 パンダ以外のどの動物も芸術的なのであるが、今回の上野動物園観賞において原左都子が一番お気に入りだったのは“カバ”である。(その写真をこの記事上で公開したいのだが、複数の写真をブログ記事に入れる手法を未だ心得ない私は左欄の「フォトチャンネル」で公開していますのでよろしければご覧下さい。)
 カバさんはどう見ても私の目には“純真”である。 その姿を長時間眺めているだけで心が洗われる気さえする。
 上野動物園のカバさんも、私がその飼育舎の前に現れた時には何トンもの巨体をそこに存在させているだけで、それだけで大いなる芸術であり“哲学者”であった。(なんでこんな大きな動物が他者と争わず、草だけ食べてゆったりと生き延びているのだろう。こんな存在体こそ私は尊敬したいし、私もこうありたいものだ。カバさん、この地球に存在していてくれてありがとう! 私はあなたが好きだよ。)と思わず言いそうになったものである。
 ゾウさんも同類であるが、ゾウさんの場合どういう訳か人間に使役され過ぎてしまった印象がある。 その点カバさんはその生態場所や動作が鈍すぎ使い物にならないせいか、人間にこき使われることがなく独自の世界を築いてこれたのは幸いだった。 このまま絶滅することなく頑張れ!、とカバさんの生き様を応援する私である。


 場所が変わって、葛西臨海水族園において私の一番のお気に入りだったのは“ナポレオンフィッシュ”である。(その写真も「フォトチャンネル」に載せていますので、よろしければご覧下さい。) 
 このナポレオンフィッシュにも、上記上野動物園のカバさんと同様の存在感があることを私は好むのだ。 その生態の程を心得ていないのだが、やはり巨体にかかわらず大人しい動きに“水中の哲学者”の貫禄を私は垣間見たのだ。


 動物園や水族園という閉ざされた空間に飼育されている動物達の中でも、原左都子がカバやナポレオンフィッシュを好むのは、おそらくその動きが緩慢であるからに他ならないのであろう。 
 例えば肉食系の王者であるトラやライオンも大いにインパクトはあった。 上野動物園のオオカミが檻の中に入ってきたスズメを狩猟しようと試みた風景に偶然直面した時には、度肝を抜かれたものだ。 それらの姿も十分に“芸術性”に帯びていた。 ただ、これら肉食系で動きの激しい動物達に関しては、檻に入れて人間の観賞対象にしようとの発想自体に無理があるのではなかろうか。
 かといってカバさんやナポレオンフィッシュを檻に入れていいと言いたい訳でもない。
 その芸術的かつ哲学的な存在は、自然を忘れ地球上の生態系の条理を知らない今日の人間と成り下がっている我々にとっては、たとえ動物園という不自然な形態であれ観賞する機会がある方がいいのかと思えたのである。

 カバさん、またあなたに逢いにいくから待っててね~~~ 
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