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原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

なぜ、幼稚園バスは大津波に向かって走った?!

2011年08月13日 | 時事論評
 未曾有の大震災に於ける数々の被害に関して、これは「天災」だったのか、これは「人災」だったのかの白黒決着は今後も困難を極めることであろう。


 その中において、国民皆に一番分かり易いのは福島第一原発事故である。
 あれは誰の目から見ても「人災」以外の何物でもない。

 この国において原発が推進された当初より、その推進政策の背景には政治面のみならず科学技術面においても不安定材料が数多く存在していた。 にもかかわらず、国民に対して何らの情報公開もせずしていい加減な“原発は安全”アピールの国民目くらませの下、水面下で原発建設により暴利をむさぼろうとする巨大な権力が暴走したことは否めない事実であろう。
 その証拠に、福島第一原発事故早期に発生したメルトダウンによる水素爆発を止められる人物が誰一人としてこの国には存在しないことが、この3月以降証明された。
 しかもその後の原子力安全保安院等々、国の独立行政法人の原発事故担当者の数々の不祥事更迭事件勃発にもほとほと呆れる思いだ。


 表題の事案に移ろう。

 去る8月10日、宮城県石巻市の私立幼稚園の送迎バスが3月11日当日に大津波に巻き込まれ園児5名が死亡した事件に関して、4遺族が園側の対応に問題があったとして幼稚園に対して損害賠償を求める訴えを起こした。
 大震災発生後、学校や幼稚園等の場で犠牲になった子どもを抱える遺族から学校や幼稚園に対して責任を問う動きが広がっている中、訴訟に持ち込んだ事例は今回が初めてとのことだ。
 今回訴訟に持ち込まれた幼稚園に於ける3月11日当日の対応の様子をここで再現すると、大津波警報発令後の午後3時頃、園児を帰宅させるため高台にある幼稚園をバスが出発し、海辺の住宅地を回っている途中に津波と火災に見舞われて5名の園児が行方不明になったとのことである。(参考のため、高台に立地している幼稚園はその原型を保って存続している様子だ。)
 これに対し、遺族側は「園は警報で津波の危険性を予見できたのに被害を受ける可能性が高い海側へバスを走らせた。 地震時のマニュアルを周知せず避難訓練も実施しなかった」と主張しているようだ。
 この遺族側の主張に対し、園側代理人弁護士は「大津波が来るとは予想できず、園に責任はない」として原告側と争う構えであるとの報道である。


 ここで原左都子の私事に移らせていただくことにしよう。

 今から遡る事6年程前に私が住む関東地方においてかなり大きな地震があった。 その時東京は震度5弱を記録したのだが、これは私が上京してウン十年以来最大の震度だった。 (ただこの3月11日に東日本大震災の震度5強の大揺れを経験した身からすれば、今となっては大騒ぎするほどの揺れではなかったと振り返ることが出来る。)

 ところが当時大いに困惑させられる事象が発生したのだ。 震度5弱の揺れで首都圏の電車がすべて不通となり、これに当時塾に通っていた小学生の我が娘が巻き込まれてしまったのである。 娘の携帯からの電話によると、塾での授業中に大きな地震があったが、自分の授業が終わった時点で普段通り塾から帰されてしまったとのことである。 娘が駅に着いてみると電車が動いておらず人がごった返しているとの電話だ。それは午後4時半頃の事であった。  私は安易にも「おそらく電車はもうすぐ動くから駅で待機していなさい」と娘に伝えた。  
 この一言が親として大失策だった。 直ぐに何らかの手段で駅まで迎えに行ってやればよかったと思っても後の祭りである。 
 その後首都圏は大混乱状態に陥った。 電車は何時間経っても動かない。道路も大渋滞。 携帯も繋がらない。
 幸い時間が経過した後に、娘との携帯は再び繋がり始めた。 「まだ駅で待機している」との我が娘の気丈さに命拾いしつつ、電車が動き始めたのは午後11時過ぎの事だった。
 深夜に自宅の最寄駅まで迎えに行き、11歳という年齢にして7時間もの長時間、塾の最寄駅で一人で耐えたその果敢さを賞賛してやったものである。
 それにしても、年端もいかない子ども達を保護者から預かって暴利をむさぼっている塾が、何故に非常時の生徒の交通網の状態すら把握せずして安易に帰宅させたのか、との不信感を当時より抱き続けている私である。

 時が過ぎ、今年の3月11日の大震災発生時にも上記の過去の苦い経験から、学校は首都圏の交通網が不通で大混乱状態の中、子ども達を無謀にも帰宅させるのであろうか?との大いなる懸念を真っ先に抱いた私だ。
 やはり大震災の状況下において、我が子に持たせている携帯電話に繋がる訳はない。 それがパソコンメールにおいて繋がり始めた時には感激だった。 その後まもなく娘から「今夜は学校に留まることになる」とのメールをもらった時には、親として「これでとにかく我が子は帰宅難民になることだけは避けられ、命が繋がる!」との切実な安堵の思いだったものだ。


 8月3日の朝日新聞報道によると、首都圏の小学校では今までの防災マニュアルを見直して「大地震の時には学校待機」を表明したとのことである。
 どうしてこんな簡単な結論が今まで導けなかったのかと不思議でさえある。
 ただしこれは首都圏特有の改善策であり、大津波が押し寄せる地域にある教育機関においては、今後その立地の検証も鑑みつつ改善策が検討されるべきであろう。


 子どもを預かる学校や幼稚園とは、在校、在園中のその小さな“命”を当然ながら保障してくれると信じて保護者は我が子を教育機関に託しているのだ。

 確かに、まさか本当に未曾有の大津波が押し寄せるとは考えてもいなかったとの弁解が成り立つと信じる弱小組織が数多く存在する日本の貧しい教育事情なのでもあろうが……

 ただ歴史的大震災が勃発してしまった我が国の今後においては、もう既にその種の甘っちょろい弁解が成り立たなくなっている実情を、たとえ零細教育機関であれ肝に命じて欲しいものだ。

 その観点から、今回の幼稚園児死亡に対する保護者の訴訟の行く末を見守りたい私である。
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