原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

そして誰も民主党政権に興味がなくなった…

2011年12月12日 | 時事論評
 最近本エッセイ集において民主党政権を叩いていない原左都子であるが、まさか、断じて野田政権“支持派”に鞍替えしたという訳ではない。

 相変わらず、リーダーとしての資質の視点から考察して野田氏のようなタイプは私には受け入れ難い。
 2011年11月のバックナンバー 「野田さんの言う“国益”って何?」 に於いても既述したが、野田さんには一国の首相に相応しいようなポリシーや風格が見て取れず、政治家としての存在感が薄くカリスマ性が私にはまったく感じられない。
 それでは野田氏の何が悪いのかと尋ねられた回答として朝日新聞「声」欄の投書より言葉を拝借するなら、「どじょう内閣」の愛称の通り泥に潜って情勢を伺い時々浮上しては唐突な発信をする内閣ということだ。 国会や国民への説明責任を果たすよりも官僚に操られつつ国際会議の場で既成事実を作り上げて来て、まともな議論はせず国民の目くらませをたくらむリーダーである。

 姑息な手法しか使えない“小粒野郎”であるくせに、国民の目くらませが巧みとの妙な図太さがある嫌味な奴を、到底一国の首相として認める訳にはいかないよ!


 それにしても、一時のように血気盛んに“政権バッシング”をしなくなった私がここに存在することも事実だ。

 それは何故なのかと分析してみるに、おそらく世間の動向と共通点があるように思える。
 巷の政権支持率調査では、国民の野田政権の支持率は低下の一途を辿っているとのことである。 
 これが鳩山政権、菅政権の時代であれば、少しでも支持率が低下すると新聞のトップニュース扱いとなったものだが、野田政権の支持率低下を何故メディアが報道しないのか?と推測するに、やはり原左都子同様にメディアも政権を叩く気力が低迷している故ではないのだろうか?

 「新政権」として劇的に発足した民主党政権であるが、あれからまだ2年少しの月日しか流れていない。  にもかわらず、力なき政権の失策や幹部のカネ問題等で“短命政権”を余儀なくされトップがコロコロと入れ替わり野田政権が既に3代目となる。
 長期に政権が続いているのならばわずか2年少しにして国民はまだ「新政権」の感覚も持てることであろう。 だがこれ程短期でトップが次々と交代した挙句、どうも煮え切らない野田氏率いる現政権から受ける印象とは何らの“新しさ”もないのだ。
 これでは、支持派として応援するのも、不支持派としてバッシングするのも“ダレる”というものだ。

 そのように野田政権に対して“ダレて”しまったメディアや国民感情をうまく利用して、“ここはのさばれるだけのさばろう”との魂胆で単に図太くのさばっているのが、現在の民主党政権と表現できるのではあるまいか?


 ただ、この現状はやはりまずい。

 このまま野田政権をのさばらせてはならない。
 メディアが率先してもっと積極的に野田政権の支持率低迷を報道して国民に吹聴しない事には、元々政治になど関心がない国民がますます政治離れを起こし、野田政権の存在が正当化されてしまうではないか!

 山岡消費者相、一川防衛相、お二方の叔父さん閣僚の扱いに関しても参議院から問責決議が可決されている以上、もっと騒いでもよいのではなかろうか?  野田総理は両人の続投を表明しているが、これが鳩山、菅時代であれば事が重大であったはずだ。
 一川氏に関しては単なる失言の問題と捉える世論もあるが、防衛相として今沖縄が置かれている立場を考察した場合、枝野氏が指摘した通り国会答弁においてあるまじきの失言は許し難き失態であったと私は捉えている。
 山岡氏のマルチ商法企業よりの献金問題に関しても民主党の政権奪取の趣旨を鑑みた場合、野党から突かれて当然であろう。
 

 一川氏の失言に関連してであるが、米軍普天間基地の辺野古移転に関して環境影響評価書をめぐって発せられた防衛省沖縄局長の不適切発言も許し難いものがあった。
 これなど、まさに官僚の指示通りに動いている野田氏の施策を後押しする発言であったと私は捉えているが、要するに国としては沖縄県側が如何にあがこうが、米国に迎合して辺野古へ基地を移転するべく動いている事を暴露する結果となったものだ。
 ただ、甘いよ野田さん。  そのやり方は姑息過ぎるよ。
 何度も言うが、民主党鳩山政権が当初掲げた“米軍基地は少なくとも県外”公約を現政権も何が何でも実現するべきと考えて、原左都子はずっと沖縄を応援しているのだ。 そのためには官僚の言うなりになって米国に迎合してばかりいないで、本気で今後の我が国の新しい平和外交を模索するべきなのだ。 その努力を一切せずして米国のオバマ氏に“へらへら”しているあなたの姿は実にみっともないよ。


 100歳を間近に控えて今尚現役でご活躍中の医師であられる 聖路加国際病院理事長 日野原重明氏も、12月3日の朝日新聞紙面で訴えられている。
 「野田首相に望むこと」と題する日野原氏のエッセイの一部を以下に要約して紹介しよう。
 この欄でエッセイを書き始めて10年目となるが、今回参加の是非を巡って大論争が起きたTPPをめぐって野田首相が示した姿勢を見て、リーダーとしての資質について改めて考えさせられた。  関係国との協議内容に対する自党内や国民からの反発情勢の中、「もう一晩じっくり考えたい」と答えた野田氏が如何なる最後の切り札を出すのか、どう意思決定するのか、興味深く見守った。  しかし野田首相から出された言葉は「参加する」ではなく、「参加への協議に加わる」だった。 これは極めてあいまいな表現であり、足を引っ張られまいとする逃げ口上にも聞こえた。 この“あいまいさ”は松下政経塾で教えられたのだろうか? どんな困難に直面しても日本国家のあるべき道を守ろうとの発言ではない。 一国家の首相の発言として非常に遺憾である。 古代ギリシャのソクラテスも言っているが、トップに立つものとは明確な言葉を用い、ひるむことなくリーダーシップを発揮せねばならない。 


 一国の総理である野田さんは、100歳になられようとしている先人著名人のお言葉を真摯に受け止めるべきであろう。
 (どうせ、一庶民に過ぎない原左都子の存在すら知るすべもない現状においてはね…。

 そしてメディアや国民達もこの100歳の先輩の生き様を見習いつつ、いつまでも国政に目を光らせているべきである。
 我が身が助かるも滅びるも国政次第なのだ。 
 決して表題のごとく 「そして誰も民主党政権に興味がなくなった…」 の事態と成り下がらないよう、野田政権の今後の動向を国民皆がしっかりと注視していくべきなのである。