原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

来年こそ、マラソン大会に出るぞ!!

2012年02月27日 | 自己実現
 世は空前のランニングブームだそうだ。

 元々“天邪鬼気質”で世間に同調・迎合することを好まない原左都子の場合、決してそれが世のブームだからそうしている訳ではあり得ないのだが、現在の私の趣味の一つとして“ランニング”に励んでいる事は事実だ!


 私の場合、それはひょんなきっかけからであった。

 3年程前から健康維持目的でスポーツジムへ通い始めたのだが、その頃よりランニングマシンに乗る習慣がついた。
 元々“運動音痴”の私の場合、そもそも社会に出て以降自主的にランニングをしようなどと思う場面に出くわす機会がまったくなかったものだ。  そんな私はまずウォーキングから開始したのだが、ランニングマシンに乗っている周囲の皆さんが汗をかきつつせっせと走っておられる。 これに競争心をかきたてられた私は、のんびりとウォーキングなどしている場合ではなくこれを模倣するべき!と思い立ったのがランニングに挑む最初のきっかけだった。
 長年“走った”事がない人間にとって、これが実に辛い事を実感である。 当初時速6km程の歩行速度でジョギングを始めたのだが、歩行とは異なり一時両足を宙に浮かせる“ジャンプ動作”がこれ程までに体力を消耗するものかと実感させられたものだ。
 その後も私なりに努力をしつつ、ランニングマシンでやっとこさジョギングペースの時速7kmで30分程走れるまでに上達した後に、個人的事情があってそのスポーツジムは退会した。

 どうしても自らが欲する“個人ダンスレッスン”を中心としたエクササイズを実行する事により今後も健康維持を計りたい意向の私は、公営体育館のジムにそのレッスンの場を移した。 ところがそのジムにおいてもスタジオスケジュールの変更により、ダンスレッスンの時間を短縮せざるを得ない事態となった。
 そうなったならば、このジムにおいては私が以前より欲していた“ランニング”の充実にこそ頭を切り替えようと即決したのである。  幸いな事にその場が総合体育館であり、館内に「ランニング走路」が整備されていた!
 
 そして私は今年1月よりこの体育館の「ランニング走路」で週1回ランニング力の充実を図ることと相成るのだ。  この体育館の「ランニング走路」の場合、一周全長が172mと短い事も“運動音痴”の原左都子にはさしあたり幸いした。

 走路を走ってみると、これがものすごく“快感”なのだ! 
 と言うのも、それまでランニングマシン感覚に慣れていた私にとっては、実際に自分の足で地面を“蹴って前進する”という動作が、機械の上に乗るのとはまったく別物である事に初めて気付かされた事態だったのだ。  自分の二本足で走路を踏みつつ体を前に出し進んでいくこととは、人間としてこの世に生まれ出たから故の快感であることに私は初めて気付いたとのいきさつである。


 話が変わるが、「原左都子エッセイ集」2009年5月のバックナンバーにおいて 「逆上がりの屈辱」 と題する記事を綴り公開している。
 ここでその記事の一部を紹介しつつ、子ども時代に私が置かれてた現状を少し振り返らせていただく事にしよう。

 例えば「持久走」であるが、これは原左都子が子どもの頃は大の苦手だった種目である。 ところが現在(10年程前)小学生の我が子と一緒に公園を走ると“ゆっくりペース”でいいならば以外や以外いつまでも走れるのだ。先に音(ね)を上げた子どもを休憩させて、一人で連日一体どれ位の距離を走ったことだろう。   それから「縄跳び」である。体力には自信がないもののリズム感には大いなる自信のある原左都子にとって「縄跳び」は子どもの頃から得意種目だったのだが、何十年かのブランクを物ともせずやはり我が子よりも数段上手い。子どもの指導も放ったらかして公園で一人で没頭して跳びまくった。 「ボール投げ」もやった。折れそうな細腕だった小学生の頃の私は9m投げるのがせいぜいだったのに、現在も相変わらずの折れそうな腕で投げると20m程飛ばせるから不思議だ。
 何年か前にテレビの対談番組で女優の桃井かおり氏も同様のことを話しておられた。
 昔子どもの頃できなかった「逆上がり」等のスポーツ種目が、50歳を過ぎて体が老化の一途を辿っている今、不思議と何でも出来てしまうのだと。 それは単に体力や技術的な問題のみならず人間的成長がものを言っている、云々…  そのような趣旨の話をされていたと記憶している。
 まさに原左都子も同感だ。 人生経験を積み重ねていく中で自然と体力面・技術面の力が向上し、体の各部位の効率的な使い方というものを誰に教わる訳でもなく心得てくるように感じる。 子どもの頃には指導者に「これをやれ!」と強制されるがままに訳が分からずただただやみくもに頑張っていたことが、今では力加減を心得るようになっている。
 それに加えて人間としての“成功感”が一番大きくものを言っているように原左都子は感じている。 人生における様々な分野での成功体験を通じて自信が芽生え、チャレンジする対象事象の如何にかかわらず「自分は絶対出来る!」のごとくのエネルギーが内面から湧き出てくるのだ。 このような精神力こそが力強い後ろ盾となって、我が体を突き動かしてくれるように感じる。
 この話の極めつけとは、昔の学校においては“出来の悪い子を責める”教育がまかり通っていた所に行き着くのではあるまいか?  その一例が「逆上がり」であったが、当時の私は周囲の皆のように簡単には出来ず、指導者から「何であんたは出来ないの!」と責められ続けた。(責めるより、ちゃんと教えろよ!と内心反発しつつ)その後小学生のうちに「逆上がり」が出来るようになった原左都子であるが、残念ながら“ひねくれ者”の私ににとっては何らの達成感もなかった。 豆だらけで血が滲み鉛筆を持つにも痛む手を見つつ、歪んだ教育により根拠のない“劣等感”を抱かされた屈辱的な「逆上がり」を、もう金輪際しなくて済むという開放感のみが我が幼な心に残り清々したものだ。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより要約引用)


 その後年月を経た現在尚“天邪鬼気質”を保ち続けている私であるが、近い将来是非共市民マラソン大会に出場したいとの健気な希望を抱いている。

 そんな折に目にしたのが、昨日(2月26日)実施された「東京マラソン」の話題であった。
 朝日新聞2月23日夕刊の記事によると、マラソン大会は今や市民からの人気が過熱していて何処の市民マラソン大会も出場するための競争率が高倍率であるとのことだ!
 いや~~~、知らなかった
 申し込めば直ぐに出場可能と捉えていた原左都子の考えは甘過ぎたようだね~~


 そんな私宛に知人から届いたメールが素晴らしい。
 原さん(私のことだが)の現在の5kmのタイムが30分ですか。 東京マラソン十分に走れます。 本年8月1日から応募受付開始です。 2013年2月24日、一緒に走りましょう。 是非応募して下さい。
 ありがとうございます! 
 自分の現在のタイムが世間では如何程の位置付けかも認識しないまま、負けず嫌いの私はただひたすらトレーニング走路で走り続けてそのタイムを記録しているだけの事だったのだが、この知人からのお誘いは今後の我が市民マラソン大会出場に向けて大いなるエネルギー源となった。

 市民マラソンに出場するためには高い競争率を超えねばならないようだが、それまでまだ1年程の月日があるようだ。
 原左都子なりにもっと距離とタイムを上げる事に精進しつつ、来年の市民マラソン大会に挑もうじゃないか!!