原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

今日も激災、明日も激災害の日本列島

2012年07月14日 | 時事論評
 ここ数年、日本列島全土を襲う 大地震、暴風雨・竜巻、大雪等々 自然災害の猛威は衰えを知らない。


 とりあえずは今現在九州を襲っている豪雨により、20名を超える死者・行方不明者、及び20何万名かに及ぶ多数の避難者を出している被災現地の皆様に心よりお見舞い申し上げます。

 ここ数日は、私が住む都心でも大風大雨に見舞われる日々である。
 昨夜の豪雨も凄かった。 夜中から明け方まで大音量で降り続く雨音を枕元に、眠れない一夜を過ごした私である。  ベランダの雨どいをゴーゴーとけたたましく流れ落ちる水流音を耳にしつつ、我が家の近くを流れている川も氾濫したのではないかと気をもんだものだ。
 本日(7月14日)都心では一気に豪雨は過ぎ去り朝から晴れて真夏の暑さの一日となっているが、九州地方で現在尚続く豪雨被害に目を向ければ他人事では済まされるはずもない。


 ところで今回の九州地方豪雨に際して、気象庁は初めて 「“今まで経験したことのない”程の豪雨の恐れ」 云々なる表現をメディア上で使用したようだ。
 まさにその表現通りの激災害が日本中を襲い続ける昨今である。

 今回気象庁においてこのような表現が使用されたのは、現在まで使われてきた気象用語ではもやは実災害の深刻さに即応できない事や、かと言って長文表現では迅速性が要求される災害自治体現地で混乱を来たす恐れがあったためのようだ。
 今後気象用語は、特に避難等緊急を要する事態を招く激災害に関しては早急に大幅見直しが必要となるであろう。  それにしても今回使用された 「今まで経験したことのない…」 との表現は、人々の緊急対応感を呼び起こす用語としてとりあえず的を射ていたのではないかと私は評価する。


 ここで今回のエッセイの視点を大幅に変えて、科学的側面から現在我が国や世界各国を襲っている激災害を捉えてみることにしよう。

 「地球温暖化」なる用語は皆さん当然ご存知で、それを生活用語の一部とされていることであろう。
 今から遡る事約20年程前に原左都子が高校教員をしていた頃、この言葉が“流行語”のごとく世を風靡し始めていた。 元科学者の端くれたるトピックス好きの私がさほどの分析も考察もせずしてこの“流行語”に飛びつき、早速我が「現代社会」の授業に於いてこれを取り入れたのが懐かしい思い出である。
 生徒相手に一応の温暖化現象に関する説明をした後、我々がそれを防ぐためには、現在スプレーなどで使用している“フロン”はオゾン層を破壊するため使用を避ける方がよい等々の授業を、単にメディア情報の受け売りで(今思えば無責任に)行った記憶がある。  実際、その後1995年にフロンは生産・消費が行政指導により禁止されるに至った。

 「地球温暖化現象」を説明するに当たり当時の私の授業内容を語ってもよいのだが、ここは一応現在公開されている ウィキペディア情報 を引用しつつ以下に解説することにする。
 地球温暖化とは、地球表面の大気や海洋の平均温度が長期的に見て上昇する現象である。
 また近年では、比較的生優しいイメージがある「地球温暖化」から、地球規模での危機感をより強調・認識する「地球高温化」という言葉に言い換える自治体などが現れ始めている。  
 地球の歴史上では、気候が温暖になったり寒冷になったりということが幾度となく繰り返されてきたと考えられており、「温暖化」は単に地球全体の気候が温暖に変わる現象を指すこともある。 しかし普通は、近年観測され将来的にも続くと予想される「20世紀後半からの温暖化」について指すことが多い。 過去の気候における温暖化であることを特に明記していなければ「温暖化」という言葉は後者を指す。 ウィキペディア記事では後者の温暖化について説明するが、大気や海洋の平均温度の上昇だけではなく、生物圏内の生態系の変化や海水面上昇による海岸線の浸食といった気温上昇に伴う二次的な諸問題まで含めて「地球温暖化問題」と言われることもある。  
 地球の気候に関しては、時間的・空間的にさまざまなスケールで温暖化と寒冷化が起こってきた。 この「人為的・自然起源に関わらないすべての気候の時間的変動」を気候変動(climate change)という。 UNFCCCでは“温暖化現象”を「人為的なものに起因する気候の変動」という意味で用い、非人為的なものは気候変化 (climate variability) と呼んで区別している。 
 「人為的・自然起源に関わらないすべての気候の時間的変動」を気候変化と呼ぶ向きもある。地球温暖化問題は「人為的なものに起因する気候の変動」という意味での「気候変動問題」と呼ばれることもある。
 (以上、ウィキペディア情報より「温暖化現象」に関する事項を引用)


 原左都子の私論に入ろう。

 「地球温暖化」現象に関してその意味が大きく分けて二通りある事を理解した上で、この地球は本当に「温暖化現象」の真っ只中にあるのだろうか? との疑問が我が脳裏に漂っているのだ…
 そんな事今さら言うなよ!と高校時代の教え子にボコボコ叩かれそうだが、現在の原左都子はどちらかと言うと「地球温暖化現象」に異論を唱えたい立場であるのだ。
 実は地球は現在“氷河期”に向かっているとの学説もある。 あるいは、太陽の黒点と地球との関連も指摘されている。 
 それらを総合的に考察した場合(あくまでもいい加減な分析に過ぎないが)、20年程前当時に 「地球温暖化現象」 を唱えた学者とは狭い意味での「温暖化」を分析した結果なのだろう。 が、一体どこまでグローバルな規模で地球を考察して当時メディア上で国民皆を巻き込むべく発言したのかと指摘したくもなる。 

 それに関しては、上記のウィキペディア内でも指摘されている。
 近年では、比較的生優しいイメージがある「地球温暖化」から、地球規模での危機感をより強調・認識する「地球高温化」という言葉に言い換えられたり、地球の歴史上では、気候が温暖になったり寒冷になったりということが幾度となく繰り返されてきたと考えられており「温暖化」は単に地球全体の気候が温暖に変わる現象を指すこともある。
 (再度、上記ウィキペディアより引用)
 要するに「地球温暖化」と一言で言ってみても、その学問科学研究対象分野は元より、宇宙規模での期間設定、あるいは産業界や市民社会等実世界の受け入れ方により解釈が異なるのは必然的であるということだ。


 横道に逸れた事により、今回の我がエッセイのテーマの結論が導き難くなった気もする…

 気を取り直すと、国民の命を守る最後の砦は行政であることには間違いない。
 「地球温暖化」議論があらゆる分野、方面からのアプローチにより進んでいようがそうでなかろうが、国家、地方の如何にかかわらず国民、市民を行政が自然災害から守らねばならないのは確固たる事実であろう。

 上記の通り、気象庁からの“今まで経験した事がないような”災害が襲ってくる云々の表現のごとくの激災害に直面した市民の皆さん個々が「我が命だけは守り抜こう!」と志し、とりあえず自らが生き延びる方向で行動する事に期待申し上げたいものだ。