(写真は、昨年12月上旬に東京都内で開催された きもの博覧会会場にて買い求めた「江戸紅型」の訪問着反物及び帯が12月末仕立て上がり、我が家に到着したもの。)
新年 明けまして おめでとうございます。
本年も何卒よろしくお願い申し上げます。
2014年東京地方の元旦は、好天に恵まれ何とも穏やかな日和である。
午前中は高層住宅上階に位置する我が家は多少南風が強かったものの、午後に入ってからは風もおさまり最高気温16℃の予報通り気温が上昇し、真冬とは思えないような暖かい日差しが今現在も室内に降り注いでいる。
混雑を嫌う我が家の場合、まかり間違っても年末年始のこの時期に旅に出たり行楽を楽しんだりはしない。 ひたすら一家皆で家に籠り、昼になるとやっとこさ家族に我が下手な手作り雑煮と出来合いのおせちを出すのが関の山である。
初詣にぐらい外出しても罰が当たらない事は承知だが、(何のご利益があるかは未だ不明なものの)我が家に程近い神社が毎年ゲロ混み状態なのだ! その混み様とは、(冗談抜きで)新しいゲームマシンが新発売される都心の家電量販店店頭のごとく何百メートルと続く長蛇の列である!
娘の七五三7歳のお祝い時にはこの神社でご祈祷までしてもらったものの、とにかく混雑を嫌う我が家の場合、その長蛇に耐えてまで初詣をしたいとの希望はさらさらない。 そこで正月三が日が明けた頃にやっとこの神社を訪れるのが例年の習慣だが、それでもまだ順番待ちの列に少し耐えねばならない程の人気の神社である。 (実際問題何らかのご利益がある訳などないと我が論理思考より判断しているのに加え、我が亭主など数年前にこの神社に「凶」のおみくじを引かされて以降、この地に足を運ぶことすらない…)
さて、「原左都子エッセイ集」今年最初のエッセイは本日元旦のこの穏やかでよき日柄に便乗し、きものの話題で美しくまとめることにしよう。
皆さんは、「紅型(びんがた)」なる着物素材をご存知であろうか?
実は私の場合、「琉球紅型」に関してはそういうものが存在する程度の認識はあったのだが、それが如何なるものかを沖縄を訪れた時にさえ探索せずに終わっている。
ここでウィキペディア情報を参照しつつ、まずは「紅型」に関して説明しよう。
「紅型(びんがた)」とは、沖縄を代表する伝統的な染色技法の一つ。14世紀の紅型の裂が現存しており、技術確立の時間を考慮するとその起源は13世紀頃と推定されている。 「紅」は色全般を指し、「型」は様々な模様を指していると言われる。この定義をしたのは鎌倉芳太郎と伊波普猷とする説がある。 「紅型」の漢字表記が広く普及され始めたのは昭和期に入ってから。 沖縄県は「びんがた」と平仮名表記する場合が多い。 古文書に現れる文字は「形付」、「形附」で「紅型」表記はない。
歴史的背景としては、琉球王国の時代、主に王族や士族の衣装として染められていた。王府は染屋を首里城の周りに置き庇護した。 薩摩の琉球侵攻の後は、日本本土との交易などに重点が置かれ、殖産の増進政策によって技術が飛躍的に向上した。しかし、明治時代の王府廃止に因って庇護を失った染屋は廃業を余儀なくされ、多く職人が首里を後にし、宮廷のために生まれた紅型は衰退していく。
現在、古紅型と呼ばれるものは江戸時代頃の作品が多い。本土の影響からか友禅とモチーフが共通したものが多いともされているが、ほとんどは中国の吉祥文様を図案とし、当時の王族・士族階級の女性および成人前の男子の衣装として作成され、文様に衣装を身に着ける者への加護の意味が込められる。 江戸時代は袋物などの小物用生地、明治からは着物などにも使われていた。
紅型の技法には、一般的な型染め、筒描き、藍染め(漬染め)がある。 型染めで特徴的なのは型の上から色を挿すのではなく、防染糊を置くことだが、フクギを用いて染めると黄色となる。 ほか、赤地や白地のものが生産されている。 柄色は顔料を色止めのために豆汁で溶いたものを使用する。 赤い色はコチニールから取るほか、緑などは顔料化した藍などの混色で作る。そこに隈取りをする。これによって柄が引き締まるのが、紅型の大きな特徴である。
引き続きネット情報から、「琉球紅型」と「江戸紅型」の違いに関して論説した情報を引用する。
紅型は元禄時代に交易により琉球から江戸へともたらされた。 当時江戸では友禅が大流行していた時代背景だ。 そのため紅型は友禅の影響を受けて南国では見ることの出来ない草木・鳥の文様が描かれるようになる。 (ここで参考だが上記写真の通り、私が買い求めた「紅型」も草木や鳥の文様が巧みに描かれている。) こうして紅型は柔軟に成長していった。
紅型の魅力の1つは美しい色使いである。 題材本来の色に縛られることない豊かな色合いで表現していくのが特徴だ。 江戸紅型も琉球紅型に倣って 鳥や草花の大きさも実際の大きさに縛られずに構図を取り全体の雰囲気を大切にする。
色合いに関してははそれぞれの特徴があり、琉球紅型は植物染料を使うため顔料を使う江戸紅型に比べて原色の強い色が出る。 片や、 江戸紅型ははんなりとした優しい色合いになる。 江戸紅型は、金線・型箔・刺繍などで仕上げをする場合もある。
(以上、「紅型」に関するネット情報を要約引用。)
昨年12月にきもの博覧会会場にても上記同様の説明を担当者から見聞した私だが、今回ネット情報を得たことにより我が「紅型」認識が更に深まった思いである。 と同時に、これが無駄な浪費でなかった感覚も自分なりに紡げたというものだ。
とにかく、実際に仕立て上がって到着した「江戸紅型」一式を自宅で広げて観賞した瞬間の感動とは、実に素晴らしいものがあった。 今回は娘と共用目的で仕立て発注した江戸紅型一式だが、美術経験がある娘も江戸紅型の構図や色彩力に唸ったものだ。
さてさて皆さんが一番ご興味を抱くのは、上記写真の「江戸紅型」が如何程の値段なのかとの観点ではあるまいか?
その回答を申し上げるために、先ほど同金額の販売物をネット上で検索してみた。 そこでたまたま検索できたのが少し以前の一般大衆車(マツダプリウス等)や、オメガの時計(ピンキリだろうが同じ価格の商品が検索できた)の定価であった。
ただし私の経験則によると、物品価格が高価な商品程に折衝による価格設定が可能との事でもあるまいか。
まあそれにしても現在経済力のない原左都子にして、上記写真「江戸紅型」に“大盤振る舞い”してしまった事態に、新年を迎えた本日も多少の反省の念を抱かされる…。
少し自己弁護するならば、私は現在車にはまったく興味がないのに加えて今後一生に渡って車を運転する嗜好など描けそうもないため、その出費を他の趣味に回しても許されるとの事ではなかろうか。
とにもかくにも、過去に芸術系を志向した娘も賞賛する「江戸紅型」の歴史的に培われた芸術力に感動できる事こそが、今年の我が母娘に幸運をもたらすであろうと信じよう。
新年 明けまして おめでとうございます。
本年も何卒よろしくお願い申し上げます。
2014年東京地方の元旦は、好天に恵まれ何とも穏やかな日和である。
午前中は高層住宅上階に位置する我が家は多少南風が強かったものの、午後に入ってからは風もおさまり最高気温16℃の予報通り気温が上昇し、真冬とは思えないような暖かい日差しが今現在も室内に降り注いでいる。
混雑を嫌う我が家の場合、まかり間違っても年末年始のこの時期に旅に出たり行楽を楽しんだりはしない。 ひたすら一家皆で家に籠り、昼になるとやっとこさ家族に我が下手な手作り雑煮と出来合いのおせちを出すのが関の山である。
初詣にぐらい外出しても罰が当たらない事は承知だが、(何のご利益があるかは未だ不明なものの)我が家に程近い神社が毎年ゲロ混み状態なのだ! その混み様とは、(冗談抜きで)新しいゲームマシンが新発売される都心の家電量販店店頭のごとく何百メートルと続く長蛇の列である!
娘の七五三7歳のお祝い時にはこの神社でご祈祷までしてもらったものの、とにかく混雑を嫌う我が家の場合、その長蛇に耐えてまで初詣をしたいとの希望はさらさらない。 そこで正月三が日が明けた頃にやっとこの神社を訪れるのが例年の習慣だが、それでもまだ順番待ちの列に少し耐えねばならない程の人気の神社である。 (実際問題何らかのご利益がある訳などないと我が論理思考より判断しているのに加え、我が亭主など数年前にこの神社に「凶」のおみくじを引かされて以降、この地に足を運ぶことすらない…)
さて、「原左都子エッセイ集」今年最初のエッセイは本日元旦のこの穏やかでよき日柄に便乗し、きものの話題で美しくまとめることにしよう。
皆さんは、「紅型(びんがた)」なる着物素材をご存知であろうか?
実は私の場合、「琉球紅型」に関してはそういうものが存在する程度の認識はあったのだが、それが如何なるものかを沖縄を訪れた時にさえ探索せずに終わっている。
ここでウィキペディア情報を参照しつつ、まずは「紅型」に関して説明しよう。
「紅型(びんがた)」とは、沖縄を代表する伝統的な染色技法の一つ。14世紀の紅型の裂が現存しており、技術確立の時間を考慮するとその起源は13世紀頃と推定されている。 「紅」は色全般を指し、「型」は様々な模様を指していると言われる。この定義をしたのは鎌倉芳太郎と伊波普猷とする説がある。 「紅型」の漢字表記が広く普及され始めたのは昭和期に入ってから。 沖縄県は「びんがた」と平仮名表記する場合が多い。 古文書に現れる文字は「形付」、「形附」で「紅型」表記はない。
歴史的背景としては、琉球王国の時代、主に王族や士族の衣装として染められていた。王府は染屋を首里城の周りに置き庇護した。 薩摩の琉球侵攻の後は、日本本土との交易などに重点が置かれ、殖産の増進政策によって技術が飛躍的に向上した。しかし、明治時代の王府廃止に因って庇護を失った染屋は廃業を余儀なくされ、多く職人が首里を後にし、宮廷のために生まれた紅型は衰退していく。
現在、古紅型と呼ばれるものは江戸時代頃の作品が多い。本土の影響からか友禅とモチーフが共通したものが多いともされているが、ほとんどは中国の吉祥文様を図案とし、当時の王族・士族階級の女性および成人前の男子の衣装として作成され、文様に衣装を身に着ける者への加護の意味が込められる。 江戸時代は袋物などの小物用生地、明治からは着物などにも使われていた。
紅型の技法には、一般的な型染め、筒描き、藍染め(漬染め)がある。 型染めで特徴的なのは型の上から色を挿すのではなく、防染糊を置くことだが、フクギを用いて染めると黄色となる。 ほか、赤地や白地のものが生産されている。 柄色は顔料を色止めのために豆汁で溶いたものを使用する。 赤い色はコチニールから取るほか、緑などは顔料化した藍などの混色で作る。そこに隈取りをする。これによって柄が引き締まるのが、紅型の大きな特徴である。
引き続きネット情報から、「琉球紅型」と「江戸紅型」の違いに関して論説した情報を引用する。
紅型は元禄時代に交易により琉球から江戸へともたらされた。 当時江戸では友禅が大流行していた時代背景だ。 そのため紅型は友禅の影響を受けて南国では見ることの出来ない草木・鳥の文様が描かれるようになる。 (ここで参考だが上記写真の通り、私が買い求めた「紅型」も草木や鳥の文様が巧みに描かれている。) こうして紅型は柔軟に成長していった。
紅型の魅力の1つは美しい色使いである。 題材本来の色に縛られることない豊かな色合いで表現していくのが特徴だ。 江戸紅型も琉球紅型に倣って 鳥や草花の大きさも実際の大きさに縛られずに構図を取り全体の雰囲気を大切にする。
色合いに関してははそれぞれの特徴があり、琉球紅型は植物染料を使うため顔料を使う江戸紅型に比べて原色の強い色が出る。 片や、 江戸紅型ははんなりとした優しい色合いになる。 江戸紅型は、金線・型箔・刺繍などで仕上げをする場合もある。
(以上、「紅型」に関するネット情報を要約引用。)
昨年12月にきもの博覧会会場にても上記同様の説明を担当者から見聞した私だが、今回ネット情報を得たことにより我が「紅型」認識が更に深まった思いである。 と同時に、これが無駄な浪費でなかった感覚も自分なりに紡げたというものだ。
とにかく、実際に仕立て上がって到着した「江戸紅型」一式を自宅で広げて観賞した瞬間の感動とは、実に素晴らしいものがあった。 今回は娘と共用目的で仕立て発注した江戸紅型一式だが、美術経験がある娘も江戸紅型の構図や色彩力に唸ったものだ。
さてさて皆さんが一番ご興味を抱くのは、上記写真の「江戸紅型」が如何程の値段なのかとの観点ではあるまいか?
その回答を申し上げるために、先ほど同金額の販売物をネット上で検索してみた。 そこでたまたま検索できたのが少し以前の一般大衆車(マツダプリウス等)や、オメガの時計(ピンキリだろうが同じ価格の商品が検索できた)の定価であった。
ただし私の経験則によると、物品価格が高価な商品程に折衝による価格設定が可能との事でもあるまいか。
まあそれにしても現在経済力のない原左都子にして、上記写真「江戸紅型」に“大盤振る舞い”してしまった事態に、新年を迎えた本日も多少の反省の念を抱かされる…。
少し自己弁護するならば、私は現在車にはまったく興味がないのに加えて今後一生に渡って車を運転する嗜好など描けそうもないため、その出費を他の趣味に回しても許されるとの事ではなかろうか。
とにもかくにも、過去に芸術系を志向した娘も賞賛する「江戸紅型」の歴史的に培われた芸術力に感動できる事こそが、今年の我が母娘に幸運をもたらすであろうと信じよう。