原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

夢の続きを見た経験ありますか?

2014年01月27日 | 恋愛・男女関係
 (冒頭からお詫び申し上げますが、昨日編集画面上の操作ミスにより本エッセイの未完成原稿(草稿)が一時公開されてしまったようです。 その“未完成版”に早くもアクセスを皆様より頂戴していたことを今朝発見し、驚いている始末です。 不手際をお詫びすると同時に、以下に“完成版”を改めて公開致しますので、何卒お読み直し下さいますようお願い申し上げます。) 


 こんな奇跡が起きるのだろうか!?

 なる出来事を一昨日の夜から早朝にかけて、私は実際に経験した。
 (最初にお断りしておくが、今回の物語はあくまでも私が寝ている間に“夢の中”で見た架空のストーリーを再現するに過ぎない。)

 それにしても、私は起きた時に明確に覚えている夢をよく見る。 
 そのほとんどが、その分野に限らずろくでもない悪夢ばかりだ。


 ところが一昨日見た夢は「恋愛もの」だったのだが、今までに経験しないストーリー展開だった。

 と言うのが、夢の途中で一旦私は目覚め現実に戻ったのだ。 (これも日常的に経験しているが、再び寝入った後に夢の続きを見るという経験は今まで皆無だった。)
 

 それでは、一旦目覚めるまでの我が夢の前半部分の内容を振り返ろう。

 夢内に登場した主人公男性が現存する人物なのか否かは特定不能である。 もしかしたら遠い昔に一時付き合った男性の残影だったのかもしれないが、その主人公が童顔の可愛い系男性だったことには間違いない。
 なんせ、私は昔から童顔可愛い系男性を好んでいた事を認める。 (例えば伊丹幸雄や原田真二、はたまた若かりし頃のポール・マッカートニーのファンだった。)

 あるいは、ひょっとすると夢内の男性は俳優の“向井理氏”であったのかもしれない。
 何故に向井理氏に我が夢にご登場頂かねばならないのかに関して説明するなら、私は当「原左都子エッセイ集」に於いて向井理氏に関するエッセイを2本ほど綴り公開しているからに他ならない。 これらバックナンバーに少なからずのPV(閲覧)をコンスタントに頂いている。  夢から離れた現実世界では、決して私は向井氏のファンではないと自覚しているのだが、その検索元を辿ると、どうやら俳優の向井理氏とは「童顔」俳優として名高いらしい事を最近発見した。 その記憶が我が脳裏の片隅に刻まれていたのであろう。
 このように考察すると、童顔で誉れ高い向井理氏が我が夢に登場しても不思議ではないとの結論に達するのかもしれない。


 ここでいよいよ、我が一昨日夜中に見た夢の内容を思い出せる範囲で再現しよう。

 どうやら、私は大学生のようだ。
 そして私はその大学内で過去に付き合っていた男性がいたようだが、その彼氏とは既に別れているとの夢内設定である。 その後元カレの友達関係を通して私は今回の主人公である童顔男性と出会い、大いに気になる存在の様子だ。
 大学内の何某かの集団会合(おそらく“合コン”だったと思う)で私は再び童顔男性と対面するのだが、その会合が“集団”であるばかりに、他の登場人物に邪魔をされ私は彼に近づけない。 そうこうしているうちに夜になり、大学に程近い「童顔男性」の下宿先で酒を飲んで夜を明かすと皆が言い始める。
 ところが、その日はちょうど前期最終日前日だった。 電車を乗継ぎ大学に通っている私は、「最終日には必ず朝早く起きて大学へ行かねばならない」との判断を下し、仲間と別れて自宅に帰る決断をする。 
 要するに彼の下宿で皆と一緒に酒を飲んで夜を明かす事より、明日の大学授業優先との私の判断であるが、これで私は童顔男性に接近する機会を完全に失った。  彼の方も私を引き止めることはなく、「童顔男性」との関係が終焉する……  との夢内ドラマ展開だ。

 落胆の下、涙ながらに私は一旦夢から目覚めた。
 布団の中で朦朧としつつ、私の脳裏に我が堅物で杓子定規な思想・行動規範が反復される。 これだから、私っていつもいつも大事な人を失って来ているんだよなあ…  自業自得だよねえ…  たとえ夢の中と言ったって、失いたくない対象物(人も含め)に突進するより理性を優先する自分がとことん嫌になるってもんだよなあ…

 という訳で、途中で目覚めるまでは、いつもの通り「悪夢」の範疇に入る夢物語だった。
 寝とぼけながら(また、悪夢か……)と嫌気がさしつつ…。 
 それでも一昨日の場合は、(この年齢になって男に心ときめく夢を見れただけでもよかったと思うべきだろう…  ああ、でもやっぱり好みの男とははかなくも我が身を通り過ぎていくものだよなあ…) と布団の中でボヤけた我が脳裏に、少しばかり“現実” がよぎった。


 その後布団の中でどれ程の時間が過ぎたのだろうか…  長かったような短かったような感覚だが、とにかく私は再び眠りについたようだ。

 そうしたところ、私の夢の続きが再開するではないか!

 夢の映像場面とは、あくる日の大学構内である。
 私は女子友人と共に、前期最終日のゼミ講義に出席している。 ゼミ生は少数であるはずなのに、何故か座席が階段状態の大講義室の中程の席に着席していて、周囲は空席だらけだ。
 ゼミが終わりに近づいた頃だろうか、後部座席に人が座る気配がした。 その後部座席をそっと振り返ったみたところ、なんとその人物とは私が密かに思いを寄せていた「童顔男性」だったのだ! 

 この瞬間で、私は再度夢から目覚めた。  おそらく本当に目覚めたのだと思うが、またもや我が意識が朦朧としている。
 朦朧としつつも私は布団内で考察した。 この会場は我がゼミの授業会場であり決して「童顔男性」のゼミ会場ではない。 加えて“合コン”の飲み会を自宅下宿内で行って疲れているであろうにもかかわらず、後部座席に来てくれた! これって今後に繋がる話ではないかと! (と言うのも、大学の休み期間とは2,3か月の長きに渡るのが常だ。) 前期終了日直前に会合を持てたのが何かの縁かもしれない。 (メールなどない時代背景に於いて)若き二人がその縁を繋ぎ止めるためには、前期最終日に勝負を賭けるしか手立てがないのだ。 「童顔男性」がその勝負を賭けに来てくれた!と私は我が身息災に解釈するとの結論に至った。

 その判断を下した時点で、我が脳内に心身を安定させる神経伝達物質が分泌されたようだ。
 後に朝になり目覚めた私は、いつになく爽やかな気分だった。


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 どうせ見るなら、いい夢をみたいものだ。 その観点に立った場合、“いい夢”を見る秘訣が何だか少し分かったような気もする。 
 今回の我が夢が続編“いい夢”を誘ったのは、一旦目覚めた時点で、「この年にして“恋愛もの”の夢を見て心ときめいただけでも幸せなのかもしれない」と脳裏によぎった事実こそが、その後の続編に繋がったのであろうと分析する。

 正直に話すと、今尚恋愛ものの夢をよくみる私だ。 そのバリエーションは豊富であるが、たとえ夢内と言えども恋が叶った夢を見た暁には、その日から数日間は何だか心ウキウキと現実世界を生き延びられそうな活力をもらえる感覚だ。

 NHK連続ドラマ「ごちそうさん」の主人公の夫役である「ゆうたろう」さんも言っていた。 夢の中でうわごとに叫んだ女性に対する正直な思いを、現実世界で責められる事には我慢ならないと!

 私の場合は決して夢内物語を「寝言」で公開したりはしないが、まさか夢に見た男性との関係を法的に責められることはないと信じて、今後もよき夢を見続けたいものだ。