原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

年齢のサバを読むことのメリットとデメリット

2014年02月01日 | 自己実現
 私は今までの人生において、一度だけ年齢のサバを読んだことがある。
 それは30歳にして大学に再入学した際の、アルバイト先への履歴書記載に於いてである。


 早速私論だが、今現在の30歳など“若気の至り”範疇であろう。
 現世においては30歳世代の女性が美しくあるのは当たり前、男性とてカッコよくこの世を渡っているバリバリの世代であろう。

 ところが、我が30歳頃(今から30年程前の)時代背景はまったく異なっていた。
 今となっては死語と化している「売れ残り」なる言葉が普通に発せられる歴史文化の下、それに適応せねばならない時代だった。


 それでは私が何故、当時“年齢サバ読み”を実行せねばならなかったのかに関して、2007.10.4 に「仕事・就職カテゴリー」に於いて公開している 「パーコン」 なるエッセイの一部を以下に要約して紹介しよう。 
 私は30歳を過ぎた頃、自らの意思で再び学生となった。 大学院修了までの6年間独り身で学業に励んだのだが、自力で生計を立てつつ学業に没頭するためには、短時間で手っ取り早く稼げる仕事を選択するのが一番の方策であった。
 今から30年程前、すなわちまさにバブル期の話であるが、その頃「パーコン(パーティコンパニオン)」なる職種は既に女子大生のアルバイトの一つとして大して珍しくもない存在だった。 ただ、国公立学生の間ではまだ一般的ではなかった時代背景だ。(ちなみに私は幼稚園から大学院まで私立には一度も通わず、ずっと国公立のお世話になってきている。)  私はごく一部の親しい友人以外には極秘で、この「パーコン」に挑む決断をした。  私も30歳代で学生を経験したお陰で、様々な仕事にチャレンジできいろいろな世界に足を突っ込めた訳であるが、楽で安易な仕事など何一つなかった。 その中でも「パーコン」とはとても厳しい仕事の一つと記憶している。
 当時の採用会社への“一応の礼儀”として、私はこの種のアルバイトを志望するには必ずや「年齢詐称」するべきと考えた。  当時既に30代に到達していた私だが、「27歳」と偽称して面談に及んだ方がバンケット会社も、派遣仕事先に紹介しやすいのではと配慮したのだ。 
 とにもかくにも「パーコン」経験は、私の人生に於ける貴重な試行錯誤の一ページである。
 (以上、「原左都子エッセイ集」開設当初に綴ったバックナンバーより、現在の私見も少し交えつつ要約引用。)


 ここで一旦私論を語ろう。
 
 我が若かりし時代(今から30年程以前の時代)背景に於いては、年齢を「若く」詐称する事など、特に“芸能界”や“夜の蝶界”に於いては常識の範疇だったのではあるまいか?
 それが証拠に、当時公開していた年齢と現在の年齢が不一致の“タレント”などごまんと存在するのが常識でもあるし、今となってはそんなたわいない事実などどうでもよい現在の年齢に関する世間の現実でもあろう。

 私自身の過去の「パーコン」経験を振り返ったとて、その時代に一時まみえた仲間たちや顧客の皆様とも既に人間関係が途絶えている現状だ。
 そうでなくとも、今更当時「3歳年齢を詐称していました」と謝罪したところで、あれから30年経過した現在に於いて、おそらくそんな事取るに足りないとの反応が返ってきそうな事を察する次第だ。


 今回のエッセイを綴るきっかけを得たのは、古くなるが朝日新聞昨年11月9日 別刷「be」“悩みのるつぼ”の相談内容による。
 相談者である40代の母親は、小学校3年生の娘に自分の年齢を(若く)サバを読んで以降、ずっと年齢詐称し続けているとの内容だ。

 この相談題名だけ見た私は、我が娘小学校低学年の頃に出席した授業参観が脳裏に蘇った。
 何でも、我が娘と同年男児のお母上が参観日当日に偶然「30歳」の誕生日を迎えられるとのことだ! それをその男児を通じて見聞していた担任先生の粋な計らいで、皆で男児母親の誕生日を祝おうとの運びとなった。

 当時の私は(四捨五入すれば50の年代に達する頃だったが)、高齢出産で娘を産んだ我が身と周囲の母親達との年齢差が歴然である事など重々承知の上だった。
 それでも、参観日当日に自分の母親が30歳の誕生日を迎えることを担任に暴露した男子児童の可愛らしさや健気さ、更にはそれを皆で祝おうと企画した担任先生の力量に惜しみない拍手を贈ったものだ!

 あれから十数年の年月が経過した現在、親(特に母親)の年齢が若い事実を誇る児童など、皆無となったも同然のこの世の出産高齢化現象ではなかろうか。

 昨日のNHKドラマ紹介番組に於いて、女優の夏木マリ氏が 「60歳」に関する提案をされていた。
 それによれば、「還暦」との表現とは昔ながらの年齢を重ねた祝いの表現にしか過ぎないであろう。 ところが現在の60歳代とは皆活気に溢れていて、「老後」なる言葉とは程遠い。  だからこそ、「60(ろくまる)」との新語を提案したい、なる夏木マリ氏の発言だった。


 最後に、原左都子の私論で締めくくろう。

 上に記した夏木マリ氏とは、女優(及びタレント)としてこの世を今後も渡っていかねばなならない立場でおられるから故に、敢えて「60歳」なる年齢を定義し直さねばならない運命だったのだろう。

 (外見のみに関して言うならば)夏木マリ氏よりもずっと若い自信がある原左都子自身が来年「還暦」を迎える立場だが、それが「カンレキ」であろうが「ロクマル」であろうが呼び名などどうでもよい、と言うのが正直な感想だ。
 外見を繕おうが内面を如何に演出ようが、人間とは年相応に年齢を重ねてこそ価値が輝くものと私は信じている。

 今現在の社会を見渡すと、「年齢を(若く)サバ読む」ことの“デメリット”こそが浮き彫りの現実に直面することが多い現状ではなかろうか。
 特に高齢者など、「(この年齢で)私は未だ自立して楽しく生きています!」と自信を持って発信できることこそが、若い世代に迷惑が掛からない最高の美学である事など歴然だ。

 そんな現実を慮りつつ、高齢者こそが年齢詐称などせず自分の年齢に誇りを持ち、この世を自分の思うがままに快適に生きて行く事を志すべきと心得る。