冒頭から、朝日新聞 “悩みのるつぼ” の相談内容を引用しよう。
12月10日の上記相談は、30歳女性による「母親に依存してしまいます」だった。 以下に要約して紹介する。
1児の母だが、この年齢になっても親に頼ってしまい精神的に自立できない。 昔から母親とは仲が良く、何でも話し、一緒に出かけたり旅行に行ったりする関係だ。
結婚し実家から出れば自然と自立できると思っていたが、実家から徒歩5分の場所に住んでいて母親と頻繁に会うため、相変わらず親に頼ってしまう状態だ。 娘の服を買ってもらう等物質的な依存もあるが、何より、母親の意見を聞いてからでないと物事が決められず、精神的な依存が大きい。
自分の家庭の問題でも主人より母親に相談し親の意見を尊重する事もあるため、主人も呆れていると思う。 自分の意見が無い訳ではないが、母と違った場合母親の意見に合わせてしまい後悔することもある。
自分自身も家庭を持ち母になったので、親に甘えてばかりでなくしっかり自分を持ち精神的に自立したい。 どうすればよいかアドバイスをお願いしたい。
(以上、朝日新聞“悩みのるつぼ”の相談内容を要約紹介したもの。)
ここで一旦、原左都子の私事及び私見に入ろう。
郷里で(一度目の専門)学業を終えた後すぐに単身上京し社会人となり、親から完全独立した私がその後歩んだ道程とは真逆の生活環境下に暮らしている相談女性の様子だ。
今時の若き母親とは、この相談事例のように結婚出産後も実家の近くに住み、親に依存する女性が多いのだろうか?
ただ、今思い起こすに私が親元から去った40年程前の郷里過疎地でも、この相談女性同様に親元かその近くに住み、親に依存しつつ子育てをする女性が大多数だった記憶がある。 現在は既に郷里の旧友達とは付き合いが希薄になっているため、彼女らが親元あるいは親の近くで如何なる心境で暮らして来たのかは私には未知の世界だ。
そうだとしても、おそらく相談女性の事例が今の時代も我が国に於いてはスタンダードであり、親子で仲良くしつつ子が親の恩恵に授かる事が出来るのは幸せな事なのではなかろうか、と思ったりもする。
本エッセイ集長期読者の皆様は既にご存知であろうが、私の場合極論を言えば「家を出て親を捨てたい!」との思いの下に、単身上京を決行したようなものだ。 (何故そういう行動をしたかの我が心情に関しても幾度となく綴り公開しているため、ここでは重複を避けるが)
そのような行動をとった私がまさか遠き過疎地に住む親の意見などわざわざ聞く訳も無く、上京後はすべて自己責任・判断の下、勝手気ままに自己の自由意思を貫く人生を歩んできている。
ただそんな私に郷里の母は、定期的に宅配便を送って寄越し続けた。 晩婚出産後は母のこの行動に更に拍車がかかった。 そんな形で我が子や孫に愛情表現するしか手立てが打てない母を、鬱陶しく感じる時も正直言ってあった。
それ程までにこの相談者と私が歩んだ道程は180度食い違っているため、私には当該相談に回答する権利も能力も無いだろう。
今回の“悩みのるつぼ”回答者は(過去に「原左都子エッセイ集」にコメントを頂戴した) 評論家 岡田斗司夫氏なのだが、そのご回答が素晴らしい。
以下に、回答の一部を要約引用しよう。
現状では何も問題は起きていませんよね。 夫に「自立しろよ」「お義母さんの言いなりになるな」と叱られている訳でもない。 単に貴方自身が「自立しなきゃ」と自分を追い詰めているように思える。
たとえばファッションを例に挙げると、一般人が求めるそのレベルとは自分で着るものをデザインできるレベルでは決してあり得ない。 自分で作るではなく「選ぶ」「組み合わせる」レベルが一般人に必要なファッションセンスとなろう。
同様に「自立」に関して考えると、果たして如何なるレベルの自立が望ましいのか? 母や他人に影響されない、自分だけで考えて得た結論だろうか?
ファッションと同じく、意見だって「選ぶ」でいいじゃないですか。人に意見を聞いて、自分で「選んでいる」という気持ちがあればそれで十分。 自分で「選んでいる」との自覚が出来ればそれが貴女の「自立」です。 以下略。
(以上、“悩みのるつぼ” 岡田斗司夫氏の回答よりその一部を引用したもの。)
表題に戻ろう。
原左都子にとっては、物心ついた幼き時代には確かに親(特に母親)は欠かせぬ存在だった。
ところが自分自身が成長を遂げるにつれ、両親共に共働きだったが故にいつも母に“放ったらかして育てられた”怨念が倍増していくのも必然的だっただろう。
特に我が母の子供に対する “放ったらかし” 様に対する反発が、40歳近くに我が娘を産んだ時点で再燃した。
(娘のサリバン先生として我が命を尽くし育てているとも言える私にとっては)子供を育てる事とはこれ程までに“過酷”な業(なりわい)なのに、何故我が母は過去にあれ程までに私(及び姉)を放ったらかしたのか?? (そんな姉も当の昔に米国に渡り、日本にはまったく未練は無いと言いつつ米国に骨を埋めるらしいが…)
まさに、「憎しみ」とも言えそうな感情を抱いている母が住む郷里へ行くことすら一時苦痛で、2年程母の孫である娘を連れて行かない行為を目論み実行した事もある。
最後に私事を記そう。
そんな過疎地郷里の母も、実際年老いてしまった……
今年6月、10月と実母を高齢者有料施設へ入居させるべく次女の私が積極的に動き、郷里へその活動のため通った。
その我が行動を、実母がどれ程喜んだことか……
実母の素晴らしさは、私と姉がそれぞれの地で頑張っている事実を全面的に評価し、自分の自慢材料にしていることだ。 ただの一度も郷里へ帰って来いと嘆願した事も無い。
結局実母は、次女である私の働きにより郷里地元の高齢者有料介護施設へこの11月に入居した。
その後、母が私に寄越す電話内容が実に可愛らしいのだ。
「〇子が施設入居を推薦し頑張ってくれたから入居したけど、食事は美味しいし、足腰のリハビリも頑張ってるよ。 何よりも職員皆様がきちんと対応して下さるのが嬉しい」
高齢域に達しこんなにまで素直な実母の態度に触れて、私は思い直すのだ。
若き時代には「親を捨てよう」などとの発想があった私に対し、年月を経た今、年老いた親とは実に素直に可愛くなるものだと。
ただ実母が更に年老いた暁には、一体何を言い出すのやら… 認知症状が日々深刻化する義母の現在の実情も周知している私は、恐怖心もあるのだが…
そうだとして30歳程の子育て中の若き女性にとっては、将来の親の介護など一切考慮に入れずに済む時期だろう。 今は近くに住んでいるお母様に精一杯甘えるのが一番の親孝行であり、自身にとっても得策ではなかろうか!??
12月10日の上記相談は、30歳女性による「母親に依存してしまいます」だった。 以下に要約して紹介する。
1児の母だが、この年齢になっても親に頼ってしまい精神的に自立できない。 昔から母親とは仲が良く、何でも話し、一緒に出かけたり旅行に行ったりする関係だ。
結婚し実家から出れば自然と自立できると思っていたが、実家から徒歩5分の場所に住んでいて母親と頻繁に会うため、相変わらず親に頼ってしまう状態だ。 娘の服を買ってもらう等物質的な依存もあるが、何より、母親の意見を聞いてからでないと物事が決められず、精神的な依存が大きい。
自分の家庭の問題でも主人より母親に相談し親の意見を尊重する事もあるため、主人も呆れていると思う。 自分の意見が無い訳ではないが、母と違った場合母親の意見に合わせてしまい後悔することもある。
自分自身も家庭を持ち母になったので、親に甘えてばかりでなくしっかり自分を持ち精神的に自立したい。 どうすればよいかアドバイスをお願いしたい。
(以上、朝日新聞“悩みのるつぼ”の相談内容を要約紹介したもの。)
ここで一旦、原左都子の私事及び私見に入ろう。
郷里で(一度目の専門)学業を終えた後すぐに単身上京し社会人となり、親から完全独立した私がその後歩んだ道程とは真逆の生活環境下に暮らしている相談女性の様子だ。
今時の若き母親とは、この相談事例のように結婚出産後も実家の近くに住み、親に依存する女性が多いのだろうか?
ただ、今思い起こすに私が親元から去った40年程前の郷里過疎地でも、この相談女性同様に親元かその近くに住み、親に依存しつつ子育てをする女性が大多数だった記憶がある。 現在は既に郷里の旧友達とは付き合いが希薄になっているため、彼女らが親元あるいは親の近くで如何なる心境で暮らして来たのかは私には未知の世界だ。
そうだとしても、おそらく相談女性の事例が今の時代も我が国に於いてはスタンダードであり、親子で仲良くしつつ子が親の恩恵に授かる事が出来るのは幸せな事なのではなかろうか、と思ったりもする。
本エッセイ集長期読者の皆様は既にご存知であろうが、私の場合極論を言えば「家を出て親を捨てたい!」との思いの下に、単身上京を決行したようなものだ。 (何故そういう行動をしたかの我が心情に関しても幾度となく綴り公開しているため、ここでは重複を避けるが)
そのような行動をとった私がまさか遠き過疎地に住む親の意見などわざわざ聞く訳も無く、上京後はすべて自己責任・判断の下、勝手気ままに自己の自由意思を貫く人生を歩んできている。
ただそんな私に郷里の母は、定期的に宅配便を送って寄越し続けた。 晩婚出産後は母のこの行動に更に拍車がかかった。 そんな形で我が子や孫に愛情表現するしか手立てが打てない母を、鬱陶しく感じる時も正直言ってあった。
それ程までにこの相談者と私が歩んだ道程は180度食い違っているため、私には当該相談に回答する権利も能力も無いだろう。
今回の“悩みのるつぼ”回答者は(過去に「原左都子エッセイ集」にコメントを頂戴した) 評論家 岡田斗司夫氏なのだが、そのご回答が素晴らしい。
以下に、回答の一部を要約引用しよう。
現状では何も問題は起きていませんよね。 夫に「自立しろよ」「お義母さんの言いなりになるな」と叱られている訳でもない。 単に貴方自身が「自立しなきゃ」と自分を追い詰めているように思える。
たとえばファッションを例に挙げると、一般人が求めるそのレベルとは自分で着るものをデザインできるレベルでは決してあり得ない。 自分で作るではなく「選ぶ」「組み合わせる」レベルが一般人に必要なファッションセンスとなろう。
同様に「自立」に関して考えると、果たして如何なるレベルの自立が望ましいのか? 母や他人に影響されない、自分だけで考えて得た結論だろうか?
ファッションと同じく、意見だって「選ぶ」でいいじゃないですか。人に意見を聞いて、自分で「選んでいる」という気持ちがあればそれで十分。 自分で「選んでいる」との自覚が出来ればそれが貴女の「自立」です。 以下略。
(以上、“悩みのるつぼ” 岡田斗司夫氏の回答よりその一部を引用したもの。)
表題に戻ろう。
原左都子にとっては、物心ついた幼き時代には確かに親(特に母親)は欠かせぬ存在だった。
ところが自分自身が成長を遂げるにつれ、両親共に共働きだったが故にいつも母に“放ったらかして育てられた”怨念が倍増していくのも必然的だっただろう。
特に我が母の子供に対する “放ったらかし” 様に対する反発が、40歳近くに我が娘を産んだ時点で再燃した。
(娘のサリバン先生として我が命を尽くし育てているとも言える私にとっては)子供を育てる事とはこれ程までに“過酷”な業(なりわい)なのに、何故我が母は過去にあれ程までに私(及び姉)を放ったらかしたのか?? (そんな姉も当の昔に米国に渡り、日本にはまったく未練は無いと言いつつ米国に骨を埋めるらしいが…)
まさに、「憎しみ」とも言えそうな感情を抱いている母が住む郷里へ行くことすら一時苦痛で、2年程母の孫である娘を連れて行かない行為を目論み実行した事もある。
最後に私事を記そう。
そんな過疎地郷里の母も、実際年老いてしまった……
今年6月、10月と実母を高齢者有料施設へ入居させるべく次女の私が積極的に動き、郷里へその活動のため通った。
その我が行動を、実母がどれ程喜んだことか……
実母の素晴らしさは、私と姉がそれぞれの地で頑張っている事実を全面的に評価し、自分の自慢材料にしていることだ。 ただの一度も郷里へ帰って来いと嘆願した事も無い。
結局実母は、次女である私の働きにより郷里地元の高齢者有料介護施設へこの11月に入居した。
その後、母が私に寄越す電話内容が実に可愛らしいのだ。
「〇子が施設入居を推薦し頑張ってくれたから入居したけど、食事は美味しいし、足腰のリハビリも頑張ってるよ。 何よりも職員皆様がきちんと対応して下さるのが嬉しい」
高齢域に達しこんなにまで素直な実母の態度に触れて、私は思い直すのだ。
若き時代には「親を捨てよう」などとの発想があった私に対し、年月を経た今、年老いた親とは実に素直に可愛くなるものだと。
ただ実母が更に年老いた暁には、一体何を言い出すのやら… 認知症状が日々深刻化する義母の現在の実情も周知している私は、恐怖心もあるのだが…
そうだとして30歳程の子育て中の若き女性にとっては、将来の親の介護など一切考慮に入れずに済む時期だろう。 今は近くに住んでいるお母様に精一杯甘えるのが一番の親孝行であり、自身にとっても得策ではなかろうか!??