原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

高齢者介護に於ける “スクラップ・アンド・ビルド”

2016年12月19日 | 医学・医療・介護
 最初に、今回エッセイの表題は12月17日に放映されたNHKドラマ 羽田圭介原作「スクラップ・アンド・ビルド」ドラマ化  ~「青年と祖父の奇妙な攻防・彼は未来を見いだせるか」 より引用した事をお断りしておく。

 更に、“スクラップ・アンド・ビルド” の意味をネット コトバンクより以下に引用紹介するとー。

 もともとは石炭産業の合理化(1955年以降)に際していわれた言葉で,能率の悪い設備(機械や建屋)を廃棄し(スクラップscrap),これを高能率の設備に置き換える(ビルドbuild)こと。 個々の企業で起こりうるが,一般に,業界全体の規模で統一的な意識のもとに,旧設備の廃棄と新鋭設備の導入が行われる場合に,この言葉が使われる。 たとえば,日本の繊維産業が発展途上国の追上げ(途上国のほうが賃金がかなり低いため,同じような設備では日本より安価な製品を生産できる)によって苦境に陥ったとき,繊維業界がまとまって政府の支援を得て,旧設備を廃棄するとともに自動化の進んだ労働生産性の高い新鋭設備を導入して,競争力の回復をはかったことがある。


 冒頭より私事を記させていただこう。

 今朝方、高齢者有料介護施設に暮らす義母より電話が入った。 (  )内は私の内心の思いを綴ったもの。
 義母曰く、「あのね、急な用があるから今日か明日、施設まで来てくれない?」 
 (えっ、3日前に義母から電話があって、明日火曜日に眼科の付き添いを頼まれ、私が施設へ迎えに行くことは承知しているはずなのに、もうすっかり忘れているのかなあ…)
 私応えて曰く、「明日眼科の付き添いのため施設へ行きますから、その時にその急用も一緒にすませましょう。」
 驚いて義母曰く、「えっ? 私、明日眼科へ行かなきゃいけないの!??」
 (ああ、やっぱりすっかり忘れてたのね…。 認知症状の悪化に加えて耳も悪く電話では状況説明が困難。 ここは義母から3日前に付き添いを頼まれた事は伏せて、とにかく明日施設へ迎えに行く事だけを強調しておこう。) 「ええそうなんです。お義母さんは明日眼科受診ですので、午後お迎えに行きます。 で、急な用って何ですか?」 
 きつねにつままれつつ義母応えて曰く、「あらそう、どうしても眼科へ行かなきゃいけないのね。 用件だけど、私ねえ、施設で水の事故を起こしたのよ。 (知ってるし、それで周囲の皆が大迷惑したよ。 それにしても、漏水事故の件を覚えていたのね!) そのお詫びを貴方達夫婦保証人にお願いしたはずのに、まだお詫びに来てくれなくて肩身が狭いのよ。 明日、菓子折を持って来てくれる?」
 (あちゃー!!😵  漏水事故の事は覚えていたけど、それに関して施設長が仲介に入ってくれ一件落着した後日談はすっかり忘れたのね。 施設長氏から認知能力が低下している加害者・被害者共々事件をぶり返さぬためにも我々保証人は来ないで欲しい、と注意された事実は義母の記憶からすっ飛んだ、って訳か… いやはや困ったなあ。) 
 と考えつつも、その詳細を電話で義母に伝えるのは困難な業だ。 とりあえず明日午後施設へ行って話そう、と考えた私は、「それでは、明日午後菓子折を持って施設へ行きます。 その時にまたお話しましょう。」とだけ告げて電話を切ろうとすると、
 義母曰く、「あのねえ、住友生命(正確には三井生命)から来ている封筒の内容が分からなくて困っているの。 これも見て欲しいのよ。」
 (この話題は既に数回目だ。 個人年金受取のために住民票が必要でそれを既に保証人である私が取得していて、明日その封書を義母から受け取り保証人の私が必要事項を記載して提出する段取りになっている、と話は進展しているはずなのに、いつも母の頭は原点に戻ってしまう。 それでも、認知症状が悪化している義母にその事実を告げる訳にもいかない。 義母の脳内認知力に合わせ、こちらも原点に戻って演技をするしかない。)
 「分かりました。 住友生命(敢えて義母の会話に合わせる)の件も、明日施設へ伺った時に私がその内容を確認しますので、安心して下さい。」
 分かったようで分からない、聞こえたようで聞こえていない風の義母の心細さは電話から重々伝わるが、これ以上電話会話を続けたところで増々埒が明かないし、こちらの生活もある。
 せいぜい明日施設で母と直接会った時点で、正確な情報を出来る限り伝える事としよう。 (電話よりも直接会う方が義母も安心するし、笑顔に加えてアイコンタクトや身振り手振りにて会話すると、義母もずっと理解し易く合意が得られ易いのはいつもの事だ。) 


 さて、この辺で冒頭に紹介したNHKドラマ 「スクラップ・アンド・ビルド」に話題を移そう。

 と言っても、実はこのドラマを夕餉の酒の余韻を残しつつ視聴した私は、失礼ながらその詳細部分は承知していない。
 ただ、介護を要する高齢者を自宅にて抱えているドラマ家族(特に高齢者本人と孫)の心情の程は、(義母と実母を高齢者施設に入れつつもその保証人の立場として日々接している身にして)痛い程通じたつもりだ。 (原作を読んでいないし、読む気も無い立場で評論する事は控えるべきだろうが…)

 何と言っても、俳優 柄本佑氏と山谷初男氏の演技力の程が素晴らしかった。

 ドラマ内では、柄本佑氏演ずる高齢者の孫が、祖父の介護に際し、“スクラップ・アンド・ビルト”思想を取り入れ、あえて祖父に対し“これ見よか!”的な大袈裟な介護を施し、早期に祖父をこの世から抹殺せんと志す。
 それに気付いていた被介護者である山谷初男氏演ずる祖父も、可愛い孫の行為に合わせて敢えて老化現象を増長するかの演技を孫の前で見せる。
 ところが実際は、祖父の老いぼれぶりは孫が想像したよりもずっと軽度だったのだ。 
 最後の場面では、祖父・孫のご両人が実はお互いに愛し合っていた家族として描かれた。


 最後に、原左都子の私論に移ろう。

 結局、今回のNHKドラマ「スクラップ・アンド・ビルド」は ハッピーエンドで結末を迎えている。
 実際の身内介護に於いては、それほど甘い対応で済まされないことは歴然だ。
 そんな厳しい家庭内(あるいは身内間)介護環境に於いて、介護者は如何なる対応を高齢被介護者に施せば良いのだろうか?

 芥川賞受賞作家氏が、高齢者問題を「スクラップ・アンド・ビルド」に照らした事が評価され賞を受賞したらしい。??
 繰り返すが、「スクラップ・アンド・ビルド」とは、効率の悪い設備(機械や建屋)を廃棄し(スクラップscrap),これを高能率の設備に置き換える(ビルドbuild)こと。 個々の企業で起こりうるが,一般に,業界全体の規模で統一的な意識のもとに,旧設備の廃棄と新鋭設備の導入が行われる場合に,この言葉が使われる。 との事。
 それを利用して自分の著作に結び付け、この言語フレーズで高齢者介護の実態を如何に捉えたのかは(この著書を読もうとも思わない)私の知ったところではない。

 それよりも、明日義母に会わねばならぬ我が保証人としてのノルマこそが、実際重圧の私だなあ…