原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

2017.9.24放送 NHK障害者特集番組を論評する

2017年09月26日 | 医学・医療・介護
 一昨日(9月24日)の夜、NHK総合テレビにて立て続けに障害者特集番組が2本放送された。

 21時からの 「NHKスペシャル 妹・亜由未は障害者▽殺傷事件に衝撃を受け兄が介助に挑戦・撮影・苦労・悩み・笑顔喜び」  及び、
 23時からの 「深夜の保護者会・発達障害・親の悩み▽普通って? 他と違う? ……」 の2本だ。

 このうち、私は上記21時から放送されたNHKスペシャルを視聴した。


 いきなり私事に入るが、このNHKスペシャルの記憶が未だ鮮明な昨昼の事だ。

 昼食を一緒に食べていた亭主が、「昨夜のNHKの障害者番組見た?」と私に尋ねる。
 「うん。21時からのNHKスペシャルを見たよ」と答えると、亭主から「自分は23時からの発達障害の方を見た」と来た。
 この亭主の返答に、少なからず驚かされた私だ。 
 今や娘が社会人2年目にまで(あくまでも娘なりに)立派に成長し、我がサリバン業が終焉を迎えようとしている現在に於いて、サリバン母の私はもはや「発達障害」を“他人事”のごとく距離を置いて捉えられるまでに変貌している。 
 (今回初めて「原左都子エッセイ集」をお読み下さった方には分かりにくい話題であろうが、要するに我が娘は若干の不具合を抱えこの世に誕生している。)

 そんな私に対し亭主が現役時代には、娘の指導教育のほぼ100%を私に一任・依存していた。
 特に娘の子ども時代には、「娘は普通のいい子だよ。 〇子(私の事)がそんなに一生懸命支援せずとて、十分に成長出来る子供だよ」ナンタラカンタラと、私の日々の苦労を露知らずして、まるで私のサリバン対応が“過保護”とでも言いたげな発言をする事もあった。 (ただ、そもそも私に対する信頼は厚く特段私を責め立てる亭主ではないため、その発言を無視して我がサリバン道を貫く事に何ら支障も問題も無かったのが幸いしたのだが。)

 昨昼、その亭主が私に言うには。
 「発達障害児を持った(特に)母親とは、周囲の誤解や無理解に日々苦しめられ子供と共に壮絶な日々を送っているんだね。 昨夜のNHK番組でよく理解出来た。」と今更ながら私に告げる。
 (それを20年前に言ってくれたなら、サリバンの私もどれ程癒され張り合いになったか…)と内心思いつつ……。 それでも、今頃になって我がサリバン業24年の歴史の過酷さを亭主が遅ればせながら認識してくれたと、NHKの特番に感謝の思いだ。


 話題を、私が21時から見た障害者番組に移そう。

 「NHKスペシャル」公式サイトにて、当該番組に関する以下の情報を得たため紹介しよう。

 19人の命が奪われた相模原市の障害者殺傷事件を起こした植松被告が語った言葉「障害者は不幸を作ることしかできない」。 僕・NHK青森のディレクター坂川裕野(26)は、この言葉が心に突き刺さっていた。 3歳年下の妹、亜由未(23)は、事件の犠牲者と同じ重度の障害者。 20年以上亜由未と暮らしてきて、僕は不幸だと感じたことはなかった。 しかし、小さい頃から介助や世話は親任せ。 そんな自分が、障害者の家族は幸せだと胸を張って言えるのか。 両親に相談し、介助をしながら亜由未を1か月にわたり撮影することにした。 ところが、亜由未は、両親やヘルパーさんには幸せそうに笑顔を見せるのに、僕には不機嫌な顔で警戒心を解いてくれない。 介助の大変さばかり感じ焦る毎日が続いた。そんなある日、両親から「結果的に笑顔だったのと、笑顔を求めるのは違う。 障害者は幸せじゃないと生きる価値がないと言っている植松被告と同じ考えになってしまう」と戒められた。 番組は、ほとんど言葉を発することができない妹を理解しようともがく兄のディレクターの姿を通じて、障害者を育てる家族の本音、大変なのと不幸は違うということ、そして共に生きる幸せとは何かを伝える。
 (以上、「NHKスペシャル」公式サイトより番組に関する記載の全文を引用したもの。)


 この番組内で私にとって一番印象深かったのは、重度障害者の亜由未さんと双子としてこの世に生まれ出た双子姉妹が存在している事実だった。
 お名前も忘れてしまい恐縮だが、その姉妹の方は現在群馬大学医学部生であられるようだ。
 番組によれば、(仮にその双子の人物をAさんと名付けよう) Aさんは双子として生まれた姉妹が重度身障者であったことがきっかけで、医師なる職業を目指した事には間違いないようだ。
 その夢を実現し、(年齢から勘案すると)既に医学部5,6年生になられているのであろうか? 

 その姉妹のAさんに、母親が亜由未さんの介護の激務を訴える場面があった。
 「もう限界だ。 貴女も姉妹ならばもう少し家に帰って来て私を支えて欲しい」 なる切実な映像が番組内で放映された。
 それに対する双子の姉妹医学部生Aさんの回答は、「私にも医師を目さずとの夢がある。それは亜由未のためでもある。 母の苦悩は十分把握しているが、私の夢実現も理解して欲しい」


 「原左都子エッセイ集」1ヶ月程前のバックナンバーに於いて、同種のエッセイを公開している。
 以下に、2017.8.28 バックナンバー 「自分が産んだ障害児の後見を別の子に委ねるなど言語道断!」 と題するエッセイの一部を以下に紹介しよう。

 8月26日付朝日新聞“悩みのるつぼ”の相談は、22歳女性による「家族と生きていく自信がない」だった。 以下に要約して紹介しよう。
 22歳の女性だが、私の家族は、父、母、知的障害をもつ二つ年上の兄、私の4人家族だ。  兄と母は依存し合っており、兄を置いて死にたくないという母の思いは伝わっている。
 私は、もしも母が兄より先に死んだら兄にどう説明するか、「施設にだけは入れないで欲しい」と母に懇願されているので、私は兄と2人きりで過ごさねばならないのか… などと不安に襲われ、いつも「私以外の家族は今すぐ死んで欲しい」と思ってしまう。
 中学から寮生活をしており、家族と離れて暮らすことでほどよい距離を保てていたので、介護や兄のことで家族と近くなるのが怖い。 兄と生きていく自信がない。   かと言って家族が嫌いな訳ではなく、人一倍思い入れがあるため、約束を破ったり面倒を人任せにしたりは出来ない。 そんな将来への不安と嫌悪感を抱くたびに、「私が死ぬか、家族を殺す」という安直で非現実的な考えにしか辿り着けず、危機感すら覚える。 新しいものの見方や考え方があれば教えて欲しい。
 (以上、朝日新聞 “悩みのるつぼ” 相談内容を要約引用したもの。)
 原左都子の私論だが、一旦家庭内に障害者を抱えると、おそらく一般の方々が想像している以上にそれはそれは壮絶な日々だ。  相談者の母親がその日常に思い余った挙句、未だ社会経験すらない下の娘さんに対し「自分が死んだ後も障害者の兄を決して施設へ入れないで!  要するに、「私の死後は兄を妹の貴方にお願いしたい!」と一言伝えることにより、早くも娘に依存したかったのだろう。
 ただ、それはやはり親としては大いなる失言である事実には間違いない。  おそらく未だ学生の身分の可愛いはずの娘さんに今現在その言葉を発しては、娘さんを傷つけ不安に陥れるばかりだ。 それを考える余裕もない程に、母親にとって兄である障害者の日々の世話は重労働かつ重荷であることは想像が付くが…。  
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を引用したもの。)


 最後に、私論でまとめよう。

 実は昨昼、私が見た21時からの「NHKスペシャル」に関しても亭主と議論した。
 その結果、(ご家族にとっては無常である事は重々承知の上で)、重度障害者を抱えた家庭に於いては、対象障害児を「施設に入居させる」との方策を取るしか選択肢が無いのではあるまいか? なる結論に至った。
 障害者の後見や世話を兄弟に委ねる事実こそが他の兄弟虐待に近いし、兄弟の人生選択肢を大幅に縮小する結末ともなりかねないのが事実、と同意した。
 
 ただ困難なのは、NHK特集の亜由未さんの場合、23歳の現在まで自宅にてご両親がずっと介護を続けている事実だ。
 そんな亜由未さんが、今後施設へ移行した場合の適性の程を大いに懸念する。

 安倍首相及び小池都知事に訴えたい!
 貴方達が自分らの利権を優先し解散総選挙・新党設立と右往左往している間にも、社会保障の大いなる欠落の下、如何に命を繋ぐか!? との命題に翻弄される切実な国民が存在する事実を。