(写真左は、私が1975年夏に米国UC⦅州立カリフォルニア大学⦆バークレー本校に短期留学した際に発行された身分証明証。 右は、当時私が撮影した UCバークレーのシンボルタワー Sather Tower。)
前回のエッセイにて、5冊目のパスポートを取得した話題を公開した。
そもそも今夏米国西海岸旅行を企画する元となったエッセイを、昨年の7月に綴り公開している。
2017.07.10公開のバックナンバー 「留学前鬱症候群、私も経験あるなあ」と題するエッセイの一部を以下に今一度紹介しよう。
我が43年前の米国UC(州立カリフォルニア大学)バークレー本校 Univercity summer extension1ヶ月間短期留学に戻そう。
そうこうして、当時未だ19歳の私は重いトランクを引きずり単身で過疎地郷里を出発し(いや、空港までは親が送ってくれたか?)、まずは羽田空港を目指した。 これすら初体験の私にとっては、とてつもなく大仕事だった。 単身で上京するのも初めて(修学旅行で東京観光をした事はあるが)ならば、大混雑の羽田空港で留学ツアー軍団の集合場所を探すのも一仕事だ。
ごった返している羽田空港内ロビーでその集合場所を見つけた時に、ひとまず命が繋がったと安堵した。 学生達の貧乏短期留学ツアーは、ノースウエスト航空でシアトル空港まで行った後、米国内線のウエスタン航空に乗り換えサンフランシスコ空港に到着するフライトスケジュールだった。
その後シアトルにての数時間の乗換え待ち時間内に、話が弾む留学生達と巡り合えた。 これぞラッキー! 私以外は全員男子だったが、意気投合した数名のグループでその後、留学生活を迎える事となった。(冒頭の写真は、そのグループ内の男子と一緒に撮影したもの。)
ただ大学到着後直ぐに、英語力ランクによるクラス分けの試験(何故かすべて筆記試験)が実施され、会話力は無いものの読み書き力に長けていた私は高得点を上げ、上位クラスへの配置となった。 この措置により、“シアトルグループ”と疎遠となってしまったものの、クラス内で友人が出来るのは早かった。 これまた男子ばかりなのだが(というのも、元々男子学生の参加者が圧倒的に多かった故だが。)楽しい留学生活が送れた。
この短期留学ツアーがUCバークレーの寮に寝泊まりするツアーだったことが、私にとって楽しさ倍増だったと言えよう。 食事は寮にて3度用意してくれるし、夜な夜な寮内ホールで“ディスコダンスパーティ”が開催されるのだ!! 元々ダンス好きの私にとってはこれ以上望めない程の恵まれた環境下で、その寮生活を堪能した。 寮の近くには本物の「ディスコ」もあり、寮内ダンスパーティ参加仲間に誘われてそこにも数回行ったりした。 そんなこんなで日々就寝時間が遅い私は、翌朝1時間目の授業出席のため早起きするのがとてつもなく辛かった思い出がある。
それでも月から金までは毎日、大学のエクステンション授業に真面目に出席した。 何故ならば、短期留学とは言えども「留学ビザ」で米国に渡っている以上、規定の出席率をクリアしない事には帰国が叶わない故だ。
(以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を再紹介したもの。)
ところで、上に記載している私の宿舎だったUCバークレーの寮は、歴史的建造物だとの情報は当時から得ていた。
これに関するウィキペディア情報をつい先ほど入手したため、以下に紹介しよう。
ボウレス寮(Bowles Hallと呼ばれていた)は、フットボールなどに使用されるカリフォルニア記念スタジアム (California memorial Stadium) のすぐ北側に位置する。 州が所有している寮として最も古く、アメリカ合衆国国家歴史登録財に登録されている。 1928年にマリー・マックニアー・ボウレス (Mary McNear Bowles) から贈与されている。 この施設は大学によって運営されている。
本日午前中に、冒頭の写真を撮影するため「カリフォルニアの青い空」と自らタイトルを付けた“UCバークレー留学写真集”を何十年かぶりに紐解いたところ、上記身分証明書の他に、「Bowles Hall conferense meal ticket」も貼り付けてあるのを発見した。
まさにこの歴史的建造物寮の食堂で、滞在中土日以外は朝昼夕のすべての食事をお世話になったし、おそらく大学へ通っている留守中に清掃等もお世話いただいたのだろう。
そんな風に19歳時に1ヶ月程を過ごした懐かしいUCバークレーを、私は独身最終時期の37歳時に再び訪れている。 「是非UCバークレーを再び訪れたい!」との私の嘆願に当時交際していた国際恋愛相手米国男性が快く応じてくれ、2人で学内を散策したのだ。
確かに、Bowles Hall も未だ燦然と存在していた! 私が1ヶ月間暮らした部屋は、ちょうど外の道から覗ける位置にあったのだが、当時窓ガラスを叩いて私を誘い出す留学生仲間が多発したものだ。 その部屋も当時のまま、我が思い出そのままにそこにあった事実が何とも感慨深かった。
そして年月が流れ37歳時よりさらに25年が経過した今現在尚、私が米国の中で一番行きたい場所は、やはりU.C.バークレーだ。
今夏8月に渡米したならば、今度は19歳当時はまったく興味が無かった大学内の科学館や美術館等々も娘と共に訪れてみたいものだ。
話題を変えて、次なる対象は「シリコンバレー」だが。
これは、単純かつ純粋に私が行きたい(見たい)場所だ。
再び以下に、ウィキペディア情報より「シリコンバレー」の一部を引用しよう。
シリコンバレー (Silicon Valley) は、アメリカ合衆国カリフォルニア州北部のサンフランシスコ・ベイエリアの南部に位置しているサンタクララバレーおよびその周辺地域の名称。 特定の一箇所を公的に指す地名ではなく、ある程度広い地域一帯の通称として使用される。
名称は、多数の半導体メーカー(半導体の主原料はケイ素、英: Silicon)が集まっていたこと、および地形(渓谷、英: Valley)に由来する。 この地域からはアップル、インテル、ナショナル・セミコンダクター、Google、Facebook、Yahoo、アドビシステムズ、シスコシステムズなどに代表されるソフトウェアやインターネット関連企業が多数生まれ、IT企業の一大拠点となっている。
テレビ映像等々で、それら世界的巨大企業群がシリコンバレーに集結している映像を見た事がある。
是非とも、我が目で見てみたいものだ。
今回の夏米国西海岸旅行の宿泊地と定めたサンフランシスコからシリコンバレーまでは200km程の距離があるようだが、これからその交通手段等を検索する作業に入る予定でいる。
いやはや、 “旅行とは3度楽しめる” というのが我が「旅の鉄則」でもあるのだが。
今回の娘を引き連れての米国西海岸個人旅行の場合、手配が早かったことが幸いして、この先2ヶ月間もその第一段階である “旅下調べ作業” が楽しめそうなのが嬉しくもある。

前回のエッセイにて、5冊目のパスポートを取得した話題を公開した。
そもそも今夏米国西海岸旅行を企画する元となったエッセイを、昨年の7月に綴り公開している。
2017.07.10公開のバックナンバー 「留学前鬱症候群、私も経験あるなあ」と題するエッセイの一部を以下に今一度紹介しよう。
我が43年前の米国UC(州立カリフォルニア大学)バークレー本校 Univercity summer extension1ヶ月間短期留学に戻そう。
そうこうして、当時未だ19歳の私は重いトランクを引きずり単身で過疎地郷里を出発し(いや、空港までは親が送ってくれたか?)、まずは羽田空港を目指した。 これすら初体験の私にとっては、とてつもなく大仕事だった。 単身で上京するのも初めて(修学旅行で東京観光をした事はあるが)ならば、大混雑の羽田空港で留学ツアー軍団の集合場所を探すのも一仕事だ。
ごった返している羽田空港内ロビーでその集合場所を見つけた時に、ひとまず命が繋がったと安堵した。 学生達の貧乏短期留学ツアーは、ノースウエスト航空でシアトル空港まで行った後、米国内線のウエスタン航空に乗り換えサンフランシスコ空港に到着するフライトスケジュールだった。
その後シアトルにての数時間の乗換え待ち時間内に、話が弾む留学生達と巡り合えた。 これぞラッキー! 私以外は全員男子だったが、意気投合した数名のグループでその後、留学生活を迎える事となった。(冒頭の写真は、そのグループ内の男子と一緒に撮影したもの。)
ただ大学到着後直ぐに、英語力ランクによるクラス分けの試験(何故かすべて筆記試験)が実施され、会話力は無いものの読み書き力に長けていた私は高得点を上げ、上位クラスへの配置となった。 この措置により、“シアトルグループ”と疎遠となってしまったものの、クラス内で友人が出来るのは早かった。 これまた男子ばかりなのだが(というのも、元々男子学生の参加者が圧倒的に多かった故だが。)楽しい留学生活が送れた。
この短期留学ツアーがUCバークレーの寮に寝泊まりするツアーだったことが、私にとって楽しさ倍増だったと言えよう。 食事は寮にて3度用意してくれるし、夜な夜な寮内ホールで“ディスコダンスパーティ”が開催されるのだ!! 元々ダンス好きの私にとってはこれ以上望めない程の恵まれた環境下で、その寮生活を堪能した。 寮の近くには本物の「ディスコ」もあり、寮内ダンスパーティ参加仲間に誘われてそこにも数回行ったりした。 そんなこんなで日々就寝時間が遅い私は、翌朝1時間目の授業出席のため早起きするのがとてつもなく辛かった思い出がある。
それでも月から金までは毎日、大学のエクステンション授業に真面目に出席した。 何故ならば、短期留学とは言えども「留学ビザ」で米国に渡っている以上、規定の出席率をクリアしない事には帰国が叶わない故だ。
(以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を再紹介したもの。)
ところで、上に記載している私の宿舎だったUCバークレーの寮は、歴史的建造物だとの情報は当時から得ていた。
これに関するウィキペディア情報をつい先ほど入手したため、以下に紹介しよう。
ボウレス寮(Bowles Hallと呼ばれていた)は、フットボールなどに使用されるカリフォルニア記念スタジアム (California memorial Stadium) のすぐ北側に位置する。 州が所有している寮として最も古く、アメリカ合衆国国家歴史登録財に登録されている。 1928年にマリー・マックニアー・ボウレス (Mary McNear Bowles) から贈与されている。 この施設は大学によって運営されている。
本日午前中に、冒頭の写真を撮影するため「カリフォルニアの青い空」と自らタイトルを付けた“UCバークレー留学写真集”を何十年かぶりに紐解いたところ、上記身分証明書の他に、「Bowles Hall conferense meal ticket」も貼り付けてあるのを発見した。
まさにこの歴史的建造物寮の食堂で、滞在中土日以外は朝昼夕のすべての食事をお世話になったし、おそらく大学へ通っている留守中に清掃等もお世話いただいたのだろう。
そんな風に19歳時に1ヶ月程を過ごした懐かしいUCバークレーを、私は独身最終時期の37歳時に再び訪れている。 「是非UCバークレーを再び訪れたい!」との私の嘆願に当時交際していた国際恋愛相手米国男性が快く応じてくれ、2人で学内を散策したのだ。
確かに、Bowles Hall も未だ燦然と存在していた! 私が1ヶ月間暮らした部屋は、ちょうど外の道から覗ける位置にあったのだが、当時窓ガラスを叩いて私を誘い出す留学生仲間が多発したものだ。 その部屋も当時のまま、我が思い出そのままにそこにあった事実が何とも感慨深かった。

そして年月が流れ37歳時よりさらに25年が経過した今現在尚、私が米国の中で一番行きたい場所は、やはりU.C.バークレーだ。
今夏8月に渡米したならば、今度は19歳当時はまったく興味が無かった大学内の科学館や美術館等々も娘と共に訪れてみたいものだ。
話題を変えて、次なる対象は「シリコンバレー」だが。
これは、単純かつ純粋に私が行きたい(見たい)場所だ。
再び以下に、ウィキペディア情報より「シリコンバレー」の一部を引用しよう。
シリコンバレー (Silicon Valley) は、アメリカ合衆国カリフォルニア州北部のサンフランシスコ・ベイエリアの南部に位置しているサンタクララバレーおよびその周辺地域の名称。 特定の一箇所を公的に指す地名ではなく、ある程度広い地域一帯の通称として使用される。
名称は、多数の半導体メーカー(半導体の主原料はケイ素、英: Silicon)が集まっていたこと、および地形(渓谷、英: Valley)に由来する。 この地域からはアップル、インテル、ナショナル・セミコンダクター、Google、Facebook、Yahoo、アドビシステムズ、シスコシステムズなどに代表されるソフトウェアやインターネット関連企業が多数生まれ、IT企業の一大拠点となっている。
テレビ映像等々で、それら世界的巨大企業群がシリコンバレーに集結している映像を見た事がある。
是非とも、我が目で見てみたいものだ。

今回の夏米国西海岸旅行の宿泊地と定めたサンフランシスコからシリコンバレーまでは200km程の距離があるようだが、これからその交通手段等を検索する作業に入る予定でいる。
いやはや、 “旅行とは3度楽しめる” というのが我が「旅の鉄則」でもあるのだが。
今回の娘を引き連れての米国西海岸個人旅行の場合、手配が早かったことが幸いして、この先2ヶ月間もその第一段階である “旅下調べ作業” が楽しめそうなのが嬉しくもある。

