クリスマス連休のこの時期に相も変わらず「高齢者介護」の話題で恐縮だが、私にとっては義母に関し現在抱えている課題を片付けねば、気持ちよくこの年を越せない状況だ。
と言う訳で、3本立て続けに認知症状がある義母の世話・介護に関するエッセイを綴らせて頂く事をお詫びする。
さて、義母の施設より持ち帰った「生命保険(個人年金)」封書に関し、昨日その保険会社コールセンターに義母に替わって私が手続きを代行可能かどうか問い合わせた。
そうしたところ案の定、その解答はきっぱり “No!" だ。 どうしても本人が記入して提出せねば受付けない、との回答だ。 過去にこれに困り果てた他保険会社の前例もあり、恐らくそうであろうと予測していたものの…。
それにしても何故、これ程までに保険会社等金融機関が「本人確認」に関して意固地なのか!? 個々の事例に応じて柔軟対応が出来ぬものか!?! 高齢認知症者を身内に抱える身としては、まるで“弱者いじめ”に遭っているような気分になり、とことん嫌気がさす。
それでも今回救われたのは、個人年金保険の場合、年金加入者一人ひとりに担当者が付いている事だ。 (私自身が個人年金保険に加入し現在年金受取り中故に、我が家にも定期的に担当者が訪問してくるためそれを心得ていたのだが。)
コールセンターより連絡を受けたらしき義母の担当者氏が、その後我が家へ電話をくれた。 そして、その対応策をいろいろと伝授して下さる。
例えば「家族登録制度」の利用。 ただ、これを利用する場合も、結局その手続きをするために保険会社と義母が直接関わらねばならないため、その処理にこれまた保証人が同席せねば立ち行かないし、さほどのメリットもなさそうだ。
あれやこれやと対策を話し合った後、担当者氏が最後に提案したのが、「成年後見制度」の利用だ。 ところが、これに関しても既に他保険会社よりその提案がなされた経験がある。
保証人(特に私)の考えとしては、この制度を利用する場合、義母の法的権利能力が制限される懸念があるためその利用は出来得る限り避けたい、と考えている。 その思いを伝えたところ、担当者氏にご理解頂けた。
結果としては、義母の保険会社登録住所を保証人の我が家に変更するとの案が採用された。 ところがこれを実施するにも、まず義母から保険会社へ「変更願い書」を郵送して欲しい旨電話で伝えねばならない。 義母一人でこの種の案件を電話でこなすのは既に不能なため、保証人が一度施設へ行ってその電話の補佐をせねばならない。 そして、住所変更届書が届いた後に再び施設へ行って、それに義母自らが記入する補佐をするとの二重の負担となる。
それでも現在結論を出すならばこれを実行するしかないと判断した私は、この案を採用する旨を担当者氏に伝え、今後の義母に関する保険会社とのやり取りの決着を得た。
さてその「成年後見制度」だが、私自身が過去に於いて2度目の学業を志し「経営法学修士」を36歳時に取得している関係で、民法に規定されているその制度に関しても集中的に学習した経験がある。
あれから20数年の年月が経過した間に民法改正が実施され、当該制度も時代の変遷と共に移り変わっていることだろう。
今後も義母(及び実母)の保証人として介護最終責任を取るであろう我が身として将来展望をした場合、改正民法の下に実施されている「成年後見制度」を今一度学習し直す必要があろう。
その学習の一環として、以下にウィキペディア情報より「成年後見制度」に関する記述のごく一部を引用する。
(あくまでも原左都子自身の再学習目的のため、ご興味がない方々は一切無視して下されば幸いです。)
成年後見制度(せいねんこうけんせいど)とは、広義にはその意思能力にある継続的な衰えが認められる場合に、その衰えを補い、その者を法律的に支援する(成年後見)ための制度をいう。 1999年の民法改正で従来の禁治産制度に代わって制定され、翌2000年4月1日に施行された。 民法に基づく法定後見と、任意後見契約に関する法律に基づく任意後見とがある(広義の成年後見制度には任意後見を含む)。
狭義には法定後見のみを指す。 法定後見は民法の規定に従い、意思能力が十分でない者の行為能力を制限し(代理権の付与のみが行われている補助の場合を除く)、その者を保護するとともに取引の円滑を図る制度をいう。
最狭義には法定後見(後見、保佐、補助)の3類型のうち民法親族編第5章「後見」に規定される類型のみを指す。
本制度はドイツの世話法、イギリスの持続的代理権授与法を参考にして2000年4月、旧来の禁治産・準禁治産制度にかわって設けられた。 従来の禁治産・準禁治産制度には、差別的であるなどの批判が多かった。 こうした中で1995年に法務省内に成年後見問題研究会が発足して以来、成年後見制度導入の検討が重ねられてきたが従来の制度への批判とともに、制度導入時期決定の契機となったのが介護保険制度の発足である。 高齢者の介護サービスについては2000年から介護保険制度の下で利用者とサービス提供事業者の間の契約によるものとされることとなったが、認知症高齢者は契約当事者としての能力が欠如していることから契約という法律行為を支援する方策の制定が急務であった。
そこで、厚生労働省における介護保険法の制定準備と並行して法務省は1999年法案を提出。 その後、政省令の制定を経て2000年4月1日、介護保険法と同時に施行されることとなった。 こうした経緯から、介護保険制度と成年後見制度はしばしば「車の両輪」といわれる。
禁治産・準禁治産制度への批判に関して。 制度が作られたのは明治(大日本帝国憲法)時代であり、本人の保護・家財産の保護は強調されても本人の自己決定権の尊重や身上配慮など、本人の基本的人権は、必ずしも重視されていなかった。 家制度が廃止された日本国憲法下での民法(親族・相続法)に合致しない。 また、国家権力により私有財産の処分を禁ぜられ、無能力者とされること、 また禁治産・準禁治産が戸籍に記載されることが、人格的な否定等の差別的な印象を与えがちであった。これらにより、禁治産制度の利用に抵抗が示されやすかった。 そういった経緯があり、本人の保護と自己決定権の尊重との調和をより重視し、禁治産という用語を廃止し、代わりに後見登記制度が新設された。
成年後見人の義務。 成年後見人は、成年被後見人の生活・療養看護・財産管理事務を行うにあたり、成年被後見人の意思を尊重し、かつ、その心身の状態及び生活の状況に配慮しなければならない(858条)。
以上のように民法改正により、後見人の担い手は広がりつつある。 が、一方で家族が後見人となり財産管理をする傍らで本人の財産を侵奪したり悪徳リフォーム業者が認知症高齢者の任意後見人になり高額の契約を結んだりする等の事例があるのも事実である。
(以上、ウィキペディア情報よりごく一部を引用したもの。)
最後に、原左都子の私論でまとめよう。
私が過去に民法を学んだ時代から、社会的弱者に関する権利能力に対する規定が大幅に改善されている事実には一応安堵する。
ただその裏側で、弱者を支えねばならない立場の後見人も弱者である事実が悲しい。 そんな世の中の現実下に於いて、この制度を悪用せんとするのも必然的であろう感も抱かされる。
民法を改正したところで社会保障システムがその改正についていけない現状に於いて、制度を悪用する事例が発生するのも必然だろう。
このように歪み切った時代背景に於いて「成年後見制度」活用により認知症高齢者等々社会的弱者に真の未来が訪れる事を、国家政権は本気で保障出来るのであろうか??
と言う訳で、3本立て続けに認知症状がある義母の世話・介護に関するエッセイを綴らせて頂く事をお詫びする。
さて、義母の施設より持ち帰った「生命保険(個人年金)」封書に関し、昨日その保険会社コールセンターに義母に替わって私が手続きを代行可能かどうか問い合わせた。
そうしたところ案の定、その解答はきっぱり “No!" だ。 どうしても本人が記入して提出せねば受付けない、との回答だ。 過去にこれに困り果てた他保険会社の前例もあり、恐らくそうであろうと予測していたものの…。
それにしても何故、これ程までに保険会社等金融機関が「本人確認」に関して意固地なのか!? 個々の事例に応じて柔軟対応が出来ぬものか!?! 高齢認知症者を身内に抱える身としては、まるで“弱者いじめ”に遭っているような気分になり、とことん嫌気がさす。
それでも今回救われたのは、個人年金保険の場合、年金加入者一人ひとりに担当者が付いている事だ。 (私自身が個人年金保険に加入し現在年金受取り中故に、我が家にも定期的に担当者が訪問してくるためそれを心得ていたのだが。)
コールセンターより連絡を受けたらしき義母の担当者氏が、その後我が家へ電話をくれた。 そして、その対応策をいろいろと伝授して下さる。
例えば「家族登録制度」の利用。 ただ、これを利用する場合も、結局その手続きをするために保険会社と義母が直接関わらねばならないため、その処理にこれまた保証人が同席せねば立ち行かないし、さほどのメリットもなさそうだ。
あれやこれやと対策を話し合った後、担当者氏が最後に提案したのが、「成年後見制度」の利用だ。 ところが、これに関しても既に他保険会社よりその提案がなされた経験がある。
保証人(特に私)の考えとしては、この制度を利用する場合、義母の法的権利能力が制限される懸念があるためその利用は出来得る限り避けたい、と考えている。 その思いを伝えたところ、担当者氏にご理解頂けた。
結果としては、義母の保険会社登録住所を保証人の我が家に変更するとの案が採用された。 ところがこれを実施するにも、まず義母から保険会社へ「変更願い書」を郵送して欲しい旨電話で伝えねばならない。 義母一人でこの種の案件を電話でこなすのは既に不能なため、保証人が一度施設へ行ってその電話の補佐をせねばならない。 そして、住所変更届書が届いた後に再び施設へ行って、それに義母自らが記入する補佐をするとの二重の負担となる。
それでも現在結論を出すならばこれを実行するしかないと判断した私は、この案を採用する旨を担当者氏に伝え、今後の義母に関する保険会社とのやり取りの決着を得た。
さてその「成年後見制度」だが、私自身が過去に於いて2度目の学業を志し「経営法学修士」を36歳時に取得している関係で、民法に規定されているその制度に関しても集中的に学習した経験がある。
あれから20数年の年月が経過した間に民法改正が実施され、当該制度も時代の変遷と共に移り変わっていることだろう。
今後も義母(及び実母)の保証人として介護最終責任を取るであろう我が身として将来展望をした場合、改正民法の下に実施されている「成年後見制度」を今一度学習し直す必要があろう。
その学習の一環として、以下にウィキペディア情報より「成年後見制度」に関する記述のごく一部を引用する。
(あくまでも原左都子自身の再学習目的のため、ご興味がない方々は一切無視して下されば幸いです。)
成年後見制度(せいねんこうけんせいど)とは、広義にはその意思能力にある継続的な衰えが認められる場合に、その衰えを補い、その者を法律的に支援する(成年後見)ための制度をいう。 1999年の民法改正で従来の禁治産制度に代わって制定され、翌2000年4月1日に施行された。 民法に基づく法定後見と、任意後見契約に関する法律に基づく任意後見とがある(広義の成年後見制度には任意後見を含む)。
狭義には法定後見のみを指す。 法定後見は民法の規定に従い、意思能力が十分でない者の行為能力を制限し(代理権の付与のみが行われている補助の場合を除く)、その者を保護するとともに取引の円滑を図る制度をいう。
最狭義には法定後見(後見、保佐、補助)の3類型のうち民法親族編第5章「後見」に規定される類型のみを指す。
本制度はドイツの世話法、イギリスの持続的代理権授与法を参考にして2000年4月、旧来の禁治産・準禁治産制度にかわって設けられた。 従来の禁治産・準禁治産制度には、差別的であるなどの批判が多かった。 こうした中で1995年に法務省内に成年後見問題研究会が発足して以来、成年後見制度導入の検討が重ねられてきたが従来の制度への批判とともに、制度導入時期決定の契機となったのが介護保険制度の発足である。 高齢者の介護サービスについては2000年から介護保険制度の下で利用者とサービス提供事業者の間の契約によるものとされることとなったが、認知症高齢者は契約当事者としての能力が欠如していることから契約という法律行為を支援する方策の制定が急務であった。
そこで、厚生労働省における介護保険法の制定準備と並行して法務省は1999年法案を提出。 その後、政省令の制定を経て2000年4月1日、介護保険法と同時に施行されることとなった。 こうした経緯から、介護保険制度と成年後見制度はしばしば「車の両輪」といわれる。
禁治産・準禁治産制度への批判に関して。 制度が作られたのは明治(大日本帝国憲法)時代であり、本人の保護・家財産の保護は強調されても本人の自己決定権の尊重や身上配慮など、本人の基本的人権は、必ずしも重視されていなかった。 家制度が廃止された日本国憲法下での民法(親族・相続法)に合致しない。 また、国家権力により私有財産の処分を禁ぜられ、無能力者とされること、 また禁治産・準禁治産が戸籍に記載されることが、人格的な否定等の差別的な印象を与えがちであった。これらにより、禁治産制度の利用に抵抗が示されやすかった。 そういった経緯があり、本人の保護と自己決定権の尊重との調和をより重視し、禁治産という用語を廃止し、代わりに後見登記制度が新設された。
成年後見人の義務。 成年後見人は、成年被後見人の生活・療養看護・財産管理事務を行うにあたり、成年被後見人の意思を尊重し、かつ、その心身の状態及び生活の状況に配慮しなければならない(858条)。
以上のように民法改正により、後見人の担い手は広がりつつある。 が、一方で家族が後見人となり財産管理をする傍らで本人の財産を侵奪したり悪徳リフォーム業者が認知症高齢者の任意後見人になり高額の契約を結んだりする等の事例があるのも事実である。
(以上、ウィキペディア情報よりごく一部を引用したもの。)
最後に、原左都子の私論でまとめよう。
私が過去に民法を学んだ時代から、社会的弱者に関する権利能力に対する規定が大幅に改善されている事実には一応安堵する。
ただその裏側で、弱者を支えねばならない立場の後見人も弱者である事実が悲しい。 そんな世の中の現実下に於いて、この制度を悪用せんとするのも必然的であろう感も抱かされる。
民法を改正したところで社会保障システムがその改正についていけない現状に於いて、制度を悪用する事例が発生するのも必然だろう。
このように歪み切った時代背景に於いて「成年後見制度」活用により認知症高齢者等々社会的弱者に真の未来が訪れる事を、国家政権は本気で保障出来るのであろうか??