(写真は、2011.12.24「原左都子エッセイ集」バックナンバーにて公開した我が家のクリスマスイルミネーションを、再掲載したもの。 これを最後に、我が家にてクリスマスの飾りつけを実行していない。)
クリスマスねえ。
ここのところ私が住む東京地方は温かい晴天続きだし、そういう気分に一切なれないこの3連休なのだが…。 (記録的豪雪が続いているらしき北海道の皆様には、申し訳ない話題である事をお詫びするが。)
そう言えば近頃、大都会都心のクリスマスイルミネーションもすっかり地味になった。
クリスマス商戦も以前程に派手さはなく沈静化し、「クリスマス」なる言葉を発する事も気が引けるような世の光景だ。
クリスマスと聞いて私が思い出すのは、遠い昔の私の幼少時代(1960年代頃)、決まって親がクリスマスケーキを買って来たことだ。
(我が郷里過疎地特有の現象だったのかもしれないが)、そのケーキが何年経ってもまったく同じ味と形態。 スポンジの周囲にバタークリームをたっぷり塗りたくった上にイチゴとサンタクロースろうそくがトッピングされている簡易クリスマスケーキだ。
まだまだ天邪鬼気質が芽生えていなかった幼少の私にとって、それを親が買って来てくれた事自体は嬉しかった…
「早く食べたい!」とせがむものの元々さほどの甘党ではなかった私は、親が切って与えてくれたそのケーキの一片を食べている途中でいつも頭が痛くなるのだ。(後に考察するに、急激に血糖値が上昇したか!?!) 結果としていつもケーキの一片すら食べ切れない私は、泣きながら「もう要らない」との発言を毎年繰り返したものだ。
ただ、姉は違った。 どうやら私よりも血糖値上昇に関してDNA抵抗力があったのか??、そのクリスマスケーキを何片も食べていた事を思い出す。 その後、姉が大人になった暁にも「現在のケーキ屋は何故生クリームにこだわり続けているのか?! バタークリームの方がよほど美味しいのに!!」と本気で怒っていた事も印象的だ。 (そんな姉は今尚、私に増してスリム体型を維持しているのだが… )
さて、表題に移ろう。
私自身は幼少の頃より長き独身時代を経過し晩婚に至った後も、「クリスマス」に関してはずっと関心が薄い人生を歩んで来るべく価値観を育成した人種と言えよう。
そんな私も娘を出産し(その後サリバン先生となる以前より)、この世に生まれ出た娘が喜びそうな行事を家庭内で率先して取り入れて来ている。
その最たるものが、「クリスマスイルミネーション」だった。
娘0歳時よりその飾りつけを開始し、世の「クリスマス商戦活性化」に合わせるがごとく娘の成長と共に我が家のクリスマスイルミネーションも規模が大きく移ろっていった。
一番派手な演出をした時など、玄関先から廊下、そして各部屋、ベランダ…。 リビングルームは当然の事、当時未だ高額だったLED電源イルミネーションも買い入れて飾り付けたものだ。
その原動力とは、もちろんの事、娘がそのイルミネーションに喜び活性化してくれる事実だ。
娘が喜んでくれるうちは、その家庭内イルミネーションを拡大していった。
時が過ぎ、娘も大人へと成長した。
上記に掲げた写真は、娘が高校3年時のクリスマスに飾った我が家最後の“地味め”のクリスマスツリーだ。
その後5年が経過した現在、娘からクリスマスイルミネーションを飾って欲しいとの要望は出ない。
ただ、もしかしたらこの子、未だに自宅にクリスマスイルミネーションを母親のサリバンが装飾してくれる事を願っているのかと思うふしもある。
そうだとして、それを私に告げなくなった事実こそが我が娘の真の成長と考え、今年も我が家のクリスマス装飾を敢えて実行しなかった。
クリスマスねえ。
ここのところ私が住む東京地方は温かい晴天続きだし、そういう気分に一切なれないこの3連休なのだが…。 (記録的豪雪が続いているらしき北海道の皆様には、申し訳ない話題である事をお詫びするが。)
そう言えば近頃、大都会都心のクリスマスイルミネーションもすっかり地味になった。
クリスマス商戦も以前程に派手さはなく沈静化し、「クリスマス」なる言葉を発する事も気が引けるような世の光景だ。
クリスマスと聞いて私が思い出すのは、遠い昔の私の幼少時代(1960年代頃)、決まって親がクリスマスケーキを買って来たことだ。
(我が郷里過疎地特有の現象だったのかもしれないが)、そのケーキが何年経ってもまったく同じ味と形態。 スポンジの周囲にバタークリームをたっぷり塗りたくった上にイチゴとサンタクロースろうそくがトッピングされている簡易クリスマスケーキだ。
まだまだ天邪鬼気質が芽生えていなかった幼少の私にとって、それを親が買って来てくれた事自体は嬉しかった…
「早く食べたい!」とせがむものの元々さほどの甘党ではなかった私は、親が切って与えてくれたそのケーキの一片を食べている途中でいつも頭が痛くなるのだ。(後に考察するに、急激に血糖値が上昇したか!?!) 結果としていつもケーキの一片すら食べ切れない私は、泣きながら「もう要らない」との発言を毎年繰り返したものだ。
ただ、姉は違った。 どうやら私よりも血糖値上昇に関してDNA抵抗力があったのか??、そのクリスマスケーキを何片も食べていた事を思い出す。 その後、姉が大人になった暁にも「現在のケーキ屋は何故生クリームにこだわり続けているのか?! バタークリームの方がよほど美味しいのに!!」と本気で怒っていた事も印象的だ。 (そんな姉は今尚、私に増してスリム体型を維持しているのだが… )
さて、表題に移ろう。
私自身は幼少の頃より長き独身時代を経過し晩婚に至った後も、「クリスマス」に関してはずっと関心が薄い人生を歩んで来るべく価値観を育成した人種と言えよう。
そんな私も娘を出産し(その後サリバン先生となる以前より)、この世に生まれ出た娘が喜びそうな行事を家庭内で率先して取り入れて来ている。
その最たるものが、「クリスマスイルミネーション」だった。
娘0歳時よりその飾りつけを開始し、世の「クリスマス商戦活性化」に合わせるがごとく娘の成長と共に我が家のクリスマスイルミネーションも規模が大きく移ろっていった。
一番派手な演出をした時など、玄関先から廊下、そして各部屋、ベランダ…。 リビングルームは当然の事、当時未だ高額だったLED電源イルミネーションも買い入れて飾り付けたものだ。
その原動力とは、もちろんの事、娘がそのイルミネーションに喜び活性化してくれる事実だ。
娘が喜んでくれるうちは、その家庭内イルミネーションを拡大していった。
時が過ぎ、娘も大人へと成長した。
上記に掲げた写真は、娘が高校3年時のクリスマスに飾った我が家最後の“地味め”のクリスマスツリーだ。
その後5年が経過した現在、娘からクリスマスイルミネーションを飾って欲しいとの要望は出ない。
ただ、もしかしたらこの子、未だに自宅にクリスマスイルミネーションを母親のサリバンが装飾してくれる事を願っているのかと思うふしもある。
そうだとして、それを私に告げなくなった事実こそが我が娘の真の成長と考え、今年も我が家のクリスマス装飾を敢えて実行しなかった。