年賀状に関するエッセイを少し前に公開した。
2023.12.01公開の、「師走に入り 今年も戸惑いながら『年賀状』の作成に着手しました…」と題するエッセイがそれだが。
以下に、一部を再掲載させていただこう。
実はこの私も、年賀状改革よりもいっそ思い切って「全面廃止」に持ち込みたい思いもあるにはある。
と言うのも 現在年賀状交換をしている方々を思い浮かべてみるに、現実の日常生活上、特段かかわらずとも何らの支障が無い方々が大多数なのだ!
これ、すなわち、この私と毎年年賀状交換をして下さっている方々とは、おそらく性格面で“律儀”でおられるのだろう。 その“律儀者同士”で、いつまでも「年賀状交換ごっこ」に励めていると結論づけられそうに思う。
その分析が出来たならば、尚更「年賀状廃止」は簡単であるような気もするのだが。
ところが、その「律儀者同士の“年賀状交換ごっこ”」が果たす意義とは。
単に「年賀状交換」との儀式を超越して、人としてのコミュニケーションの続行であるような気分をもたらしてくれるのだ!
年に一度のみ、そんな人間同士の素晴らしいコミュニケーションを満喫したいがために、「年賀状交換」との儀式がずっと成立し得るのかとも思えてくる。
そうなると、やっぱり 年賀状は出すべきだね!!
と言うのも 現在年賀状交換をしている方々を思い浮かべてみるに、現実の日常生活上、特段かかわらずとも何らの支障が無い方々が大多数なのだ!
これ、すなわち、この私と毎年年賀状交換をして下さっている方々とは、おそらく性格面で“律儀”でおられるのだろう。 その“律儀者同士”で、いつまでも「年賀状交換ごっこ」に励めていると結論づけられそうに思う。
その分析が出来たならば、尚更「年賀状廃止」は簡単であるような気もするのだが。
ところが、その「律儀者同士の“年賀状交換ごっこ”」が果たす意義とは。
単に「年賀状交換」との儀式を超越して、人としてのコミュニケーションの続行であるような気分をもたらしてくれるのだ!
年に一度のみ、そんな人間同士の素晴らしいコミュニケーションを満喫したいがために、「年賀状交換」との儀式がずっと成立し得るのかとも思えてくる。
そうなると、やっぱり 年賀状は出すべきだね!!
(以上、本エッセイ集最近のバックナンバーより一部を引用したもの。)
来年の我が年賀状に関して説明すると。
決してその制作を外部委託によりラクして投函するのではなく。
例年通り、自分の写真を入れることを主軸として。😜 とにかく、自身の手作りにこだわる事とした。
参考だが、2年前まで使用していたノートパソコンには、年賀状制作が簡単に出来るソフトが機内に内蔵されていて、いとも簡単に制作が叶ったものだ。(ただし、我が記憶によれば機内に内蔵されている“干支”が2年分程しか無かった記憶がある。😫 しかも、そのノートパソコンは我がタイピングが強烈過ぎて、1年少しでタイピング不能な事態と相成った。
その修理費が高額だったため、私は現在使用中のディスクトップパソコンに買い替えたのだが、その中には年賀状ソフトは内臓されていなかった…
こうなるとやむを得ない。
昨年の年賀状作成時にも、私なりに努力・苦労しつつ何とか制作完了して投函したものだ。
年賀状作成作業が大変なのは、年に一度の作業であるためその手技等々をすっかり忘れ去っていることだ。
今回の年賀状制作作業も、難義を極めている。😨
それでも とにかく自力で制作完了に持ち込みたい私は、自己流で来年の年賀状制作に取り組んでいるのだが。
宛名面も通信面もコピー貼り付け方式を採用して、その通信面コピー作業を本日午前中に執り行った。
この作業がこれ程までに、我が持病である腰痛を招くとは思いもしなかったのに…
残念ながら、我が老化した腰がその作業に適さなくなっていたようだ。
午前中2時間程のデスク作業だったが、まんまと腰痛が発生してしまった…
その身にして来年の年賀状作業はまだまだ完成ではなく、本日コピーした通信面の貼り付け作業を残している。
ただしまだ投函までに日数があるため、しばらく腰を休めて後に再度作成を頑張ろうと考えている。
こんなに苦労して制作・投函したところで。
我が年賀状を見て喜んでくれる人がいるのかどうか???
いや、そうじゃなくて。
年賀状(特に私のように苦労して制作するものは)その制作過程にこそ価値があると自己満足で捉えて、引き続き頑張ろう!!