「自民党総裁選」や「立憲民主党代表選出選挙」が行われようとしている。
そんな折に、2024.09.12付朝日新聞「科学季評」において、京都大学前総長・山極寿一氏による「サル型 ゴリラ型 群れを率いる資質 ヒトが選ぶべきリーダーとは」と題する記事が掲載されていた。
以下に、その一部を要約引用しよう。
そもそもリーダーとはいったいどのような存在を指すのか。 リーダーは人間だけでなく、群れを成す社会的な動物にも見られる。 たかが動物と見下げる事なかれ。 私(山極氏)がこれまでに研究してきた霊長類(サルや類人猿))の社会に探ってみようと思う。
まず、動物のリーダーは目立つ必要がある。 群れのメンバーに注意や関心を引き寄せるとともに、群れを守るため先頭に立ち外敵に立ち向かう必要があるからだ。 (中略)
哺乳類にはオスに飾りがある例が多いが、それはメスに妊娠・出産・子育てという負担が課せられているからだ。 メスは目立つオスを利用し自分と子どもの安全を図る。
だが、メスのリーダーがいないわけではない。チンパンジーの仲間のボノボの群れもメスが主導権を握っている。 リーダーになるメスは力だけでなく、ほかのメスたちの信頼を得て、暴力的なオスを集団の力で追い払うことが出来る。 また、オスのリーダーに対して不満が溜まればメスたちが協力して役にたたないオスを追い出し、新しいリーダーを迎える例もある。 (途中大幅略)
かつて、人間の世界でもマキャベリの「君主論」のように、国の首長になるためには人徳ではなく、ボスのようなパワーポリティクスの戦略論が必要とされたことがあった。 だから君主には権力を示す衣装や宮殿が必要だった。 しかし、それは着脱可能な飾りであり、国民主権と基本的人権がうたわれる現在では、外見ではなく、平和と安全、福祉に気を配るリーダーが求められる。その条件とは何だろうか。 それは、内憂外患を適切に処理できる能力だ。 (途中大幅略)
リーダーは有能な部下をいつも身近に置き、彼らが身を挺して働こうと言う気を起させるだけ魅力を備えていなければならない。 民主主義とは多数決により押し切る事ではなく、どんなにささいなことにも目を向けて熟議を怠らない仕組みだ。 民意を疎かにし、派閥や党の方ばかり向いているリーダーではこの時代を乗り切れない。
人間にはゴリラにはない能力がある。 それは言葉を駆使して「弱みを強みに変える」戦略だ。 たとえば、軍事力を増強しないことは戦争を抑止するための宣言として国際的な発言力を強める。 一神教の影響力が弱いことは多くの宗教に対して許容力がある事を示し、多様な国の人々が集まる場を提供できる。 だから政治のリーダーは国が進む道を未来のビジョンとしてはっきり示す必要があるのだ。
(以下略すが、以上朝日新聞「科学季評」より一部を引用したもの。)
原左都子の私見・雑文に入るが。
しかしまあ、今現在国内で実施されている「自民党の総裁選」や「立憲民主党の代表を決める選挙」は、今まで行われていたそれと様相がまるで異なっている。
特に「自民党総裁選」に関しては、随分と多数の候補者がそれに名乗り出たものだ。
この傾向に関しては、プラス評価したいものだが。
ところが世の予想によれば、既に真なる候補者は2名程に絞られているとの声も聞こえたりする。😖 😷
片や野党の「立憲民主党代表選挙」だが、こちらに関しては、これだけ(野党ごときを)マスメディアが取り上げ、テレビ放映したのはこれが初めての事では無かろうか??
それは、「自民党総裁選」が上記の如くの混沌とした現状である現在、野党である立憲民主党にも国民の期待の目が向けられている証拠ではあろう。
結果として、どなたが自民党総裁(あるいは立憲民主党党首)として選出されるにせよ。
選挙戦の報道に透明性があって欲しいと望む国民にとっては、私はこの現象を良き方向性であると捉えている。
上記引用文中に取り上げた山極氏の評論通り。
国民主権と基本的人権がうたわれる現代では、政治家としての知名度等々の外見的要因のみではなく、平和と安全、福祉に気を配る真のリーダーが求められるであろう。
まさに民意を疎かにして派閥や党の方ばかり向いているリーダーでは、この時代を乗り切れないことを。
候補者たちは、肝に銘じて欲しいものだ!!