(冒頭写真は、我が2度目の大学に於ける「科学哲学」講義ノートより一ページを撮影したもの。)
どうやらW先生による「科学哲学」授業は、更にローティを語っておられるようだ。
「科学哲学」一番最初の授業で、世界中の哲学者の中で特に偉大なのは“ウィトゲンシュタイン” と “プラトン” であることに関してW先生は熱弁された。
それに加えて、米哲学者ローティにも相当のご興味があられたのだろう。
上記写真内の一部を反復しよう。
① 言語が異なると、会話は困難 ーーー 難しい問題が根底にある。
辞書を使用しても、厳密な翻訳は困難、支障の無い程度の翻訳しか出来ない。 この点が、ローティの論文では話題になっていない。
(ここで一旦原左都子の余談だが、確かに特に学術書の英文和訳をしていると、専門用語以外の翻訳の難しさを実感させられる。 まさに支障の無い翻訳しかできない、というよりも、いっそ思い切って自分の想像力で筆者はこういうことが言いたいのではなかろか?!と推論して訳すことも多々ある。 後に教官に見て貰って、それが的を射ていると嬉しいものだ。 その点、自然科学分野の論文等に於いては、ともかく専門用語をマスターしておいて、後の文章は肯定か否定かを取り違えなければ、大筋ではとんでもない失敗訳にはならないようにも我が経験から感じたりもする。)
② 推論の様式の推移
統計的推論 ex. こういう相関があるから、こう推論できる。
19世紀半ばから使われ始めた。
A,B であるから X である。 Xでない。 価値観のばらつき
本質的な意味において、対話の可能性が閉ざされている。
以上のような場合に、ローティの“対話しかない” という意見は疑問。
ethnocentrism 自分の属している輪の中へ入れていく運動
この状況下で、浮かび上がってくるのが、 「実在」 reality 本当
と言うことでW先生の授業は、いよいよ次なるテーマである 「実在」 に突入する。
次回の小講座では、私が「プラトン哲学」と共にすっかりはまった「量子力学的実在論」をいよいよ語れそうだ! 😃