結婚以来、我が嫁ぎ先の義父母からの信頼が厚く厚遇を受け続けている私にとっては、別世界物語のようなアンビリーバブルなほどに不幸を背負い込んでいる主婦の相談を目にした。
早速、朝日新聞12月12日(土)別刷「be」“悩みのるつぼ”より、「財産を握る義父がひどすぎます」と題する40代主婦の相談を、以下に要約して紹介しよう。
20代前半で義父一代で築いた商家に嫁いだ主婦だが、独裁者ともいうべき義父母は男尊女卑の傾向が強い。血縁のみ大事、嫁は他人だという家の中でずっと苦しんでいる。 夫は肩書きのみ名ばかりの社長で、すべての実権は義父が握っている。子ども達も進学し家計が苦しいので、自分達が掛けている生命保険から借り入れをしたいが、その権利書を握っている義父に対して夫は「オヤジに渡してくれとは言えない」の一点張り。 義父は多額の財産を運用するため嫁や孫の実印を勝手に作ってまで株や預金をやりたい放題。 結婚してすぐ妊娠した時には「男を産め!」の連呼で、女の子を産んでノイローゼになりそうな私に「男を産むまで何人でも産んでちょうだい」、「女の子はいらないから始末しなさい」との義母の言葉で、難産になった。 その後も書ききれないほど辛いことばかりだ…
(以上、“悩みのるつぼ”の相談より要約引用)
早速、私論に入ろう。
厳しい見方をするが、この相談主婦の生き方はあまりにも「受身」的であると私は感じざるを得ない。
前近代的で“独裁者”である義父母を相手に、民主的な家庭を築き直すべく“意見交換”に挑もうとした歴史がこの主婦に結婚後一度でもあるのだろうか? それともDV(ドメスティック バイオレンス)の被害者のように既に独裁の恐怖心にがんじがらめになっていて、服従するより手立てが取れないまでに病的な心理状態に陥っているのであろうか?
それ以前の問題として、「夫」との関係や「夫」の考え方は如何なるものなのだろう? 相談から推測するに、親には楯突けない“軟弱者”の夫であることは明白なようだが、夫婦関係に関する主婦側からの不満はどうやらない様子である。 それにしても、義父母と嫁との関係においてその仲立ちとなって家庭をまとめるのは「夫」の役割であるのに、この主婦の夫はどうやらその役目を果たす力量が皆無のようだ。
何故にそんな軟弱者の夫と結婚する決断をしたのかの主婦の心理が不可解である一方で、相談内容からはとりあえずは主婦側に離婚願望はない様子でもある。 ということは、この相談主婦は“独裁義父母”の下での結婚生活続行を前提として、その独裁からの脱却の糸口を見出すべく新聞に相談を持ちかけているのであろう。
辛い思いをしている相談者に対しては酷で失礼かもしれないが、この種の理不尽なまでの“不幸”を好き好んで背負い込んでいる人種とは、元々そういう気質や素質を自ら内在させているからこそ、そういう結果がもたらされるのではないかとも思うのだ。
相談内容の冒頭に「20代前半で商家に嫁いだ主婦」とある。 あくまでも私の推測の域を超えていない話なのだが、この主婦は20代の若気の至りでの結婚に際して「私も将来は商家の社長夫人だわ~~ これは美味しい!」などと、自分勝手な夢物語を描いたのではあるまいか??
これが私のように世間を散々渡り歩いた海千山千の後の晩婚ともなると、身勝手で我が身息災な結婚後の事細かい計算まで出来てしまうものなのだ。 「商家? 経済情勢が厳しくなると必ずや経営難に落ち込むぞ。 それに義父母が牛耳っている商家の嫁なんて、単にただ働きさせられるだけじゃん… 勘弁して欲しいよねえ~」 (不謹慎でスミマセン…)
それにしてもこの主婦は結婚後早めに「夫」をコントロールしつつ、義父母の“独裁”に対して異議申し立てをするべきだった。 それを実行できる力量が夫同様にこの主婦にも元々備わっていないように見受けられる。
片や、義父母の立場からその目線で考察すると、我が家の嫁は実に“不甲斐ない存在”でしかなくイライラしているのかもしれない。頼りない息子を嫁が陰ながら支える事に期待していたのかもしれない。 にもかかわらず、自分から何らかの主義主張がある訳でもなく何を言っても反論もない割には、商家の嫁としての働きもイマいち…
だとすれば、この相談者の家族関係がギクシャクする要因は、この相談主婦もその「夫」も含めた全員にあることは明白な事実だ。
たとえ社会的には小さいコミュニティである一家庭であろうと、一集団内における人間関係の“相互の影響力”を心得られる家族の誰かがリーダーシップをとるべきである。 一家のわだかまりを払拭しつつ建設的にまとめる力量を有する人材が一人でも存在するならば、その家庭は永遠に安泰なのではなかろうか。 (国政と同じ論理なんだけどね~)
そのようなリーダーシップ力は発揮できずとも、いつ何時も如何なる時代においても他者を思いやる繊細なハート が、人間関係が円滑にゆく要素として欠かせないものである。(嘘くさい言葉だけの「友愛」じゃなくてね~)
この相談主婦も少し心に余裕を持って「独裁義父母」を観察してみると、以外や以外“いい人達”である部分も必ずや発見できるはずである。
他者を恨みつつ生きるよりも、他者から厚遇されながら生きた方が幸せであるに決まっている。 その他者が身近な存在である程、享受する幸せ感も間近なものと私は実感しつつ、いつもちょっとだけ「おりこうさん」を肝に銘じて、私は今日もこの世を渡り続けているのだけどね…
早速、朝日新聞12月12日(土)別刷「be」“悩みのるつぼ”より、「財産を握る義父がひどすぎます」と題する40代主婦の相談を、以下に要約して紹介しよう。
20代前半で義父一代で築いた商家に嫁いだ主婦だが、独裁者ともいうべき義父母は男尊女卑の傾向が強い。血縁のみ大事、嫁は他人だという家の中でずっと苦しんでいる。 夫は肩書きのみ名ばかりの社長で、すべての実権は義父が握っている。子ども達も進学し家計が苦しいので、自分達が掛けている生命保険から借り入れをしたいが、その権利書を握っている義父に対して夫は「オヤジに渡してくれとは言えない」の一点張り。 義父は多額の財産を運用するため嫁や孫の実印を勝手に作ってまで株や預金をやりたい放題。 結婚してすぐ妊娠した時には「男を産め!」の連呼で、女の子を産んでノイローゼになりそうな私に「男を産むまで何人でも産んでちょうだい」、「女の子はいらないから始末しなさい」との義母の言葉で、難産になった。 その後も書ききれないほど辛いことばかりだ…
(以上、“悩みのるつぼ”の相談より要約引用)
早速、私論に入ろう。
厳しい見方をするが、この相談主婦の生き方はあまりにも「受身」的であると私は感じざるを得ない。
前近代的で“独裁者”である義父母を相手に、民主的な家庭を築き直すべく“意見交換”に挑もうとした歴史がこの主婦に結婚後一度でもあるのだろうか? それともDV(ドメスティック バイオレンス)の被害者のように既に独裁の恐怖心にがんじがらめになっていて、服従するより手立てが取れないまでに病的な心理状態に陥っているのであろうか?
それ以前の問題として、「夫」との関係や「夫」の考え方は如何なるものなのだろう? 相談から推測するに、親には楯突けない“軟弱者”の夫であることは明白なようだが、夫婦関係に関する主婦側からの不満はどうやらない様子である。 それにしても、義父母と嫁との関係においてその仲立ちとなって家庭をまとめるのは「夫」の役割であるのに、この主婦の夫はどうやらその役目を果たす力量が皆無のようだ。
何故にそんな軟弱者の夫と結婚する決断をしたのかの主婦の心理が不可解である一方で、相談内容からはとりあえずは主婦側に離婚願望はない様子でもある。 ということは、この相談主婦は“独裁義父母”の下での結婚生活続行を前提として、その独裁からの脱却の糸口を見出すべく新聞に相談を持ちかけているのであろう。
辛い思いをしている相談者に対しては酷で失礼かもしれないが、この種の理不尽なまでの“不幸”を好き好んで背負い込んでいる人種とは、元々そういう気質や素質を自ら内在させているからこそ、そういう結果がもたらされるのではないかとも思うのだ。
相談内容の冒頭に「20代前半で商家に嫁いだ主婦」とある。 あくまでも私の推測の域を超えていない話なのだが、この主婦は20代の若気の至りでの結婚に際して「私も将来は商家の社長夫人だわ~~ これは美味しい!」などと、自分勝手な夢物語を描いたのではあるまいか??
これが私のように世間を散々渡り歩いた海千山千の後の晩婚ともなると、身勝手で我が身息災な結婚後の事細かい計算まで出来てしまうものなのだ。 「商家? 経済情勢が厳しくなると必ずや経営難に落ち込むぞ。 それに義父母が牛耳っている商家の嫁なんて、単にただ働きさせられるだけじゃん… 勘弁して欲しいよねえ~」 (不謹慎でスミマセン…)
それにしてもこの主婦は結婚後早めに「夫」をコントロールしつつ、義父母の“独裁”に対して異議申し立てをするべきだった。 それを実行できる力量が夫同様にこの主婦にも元々備わっていないように見受けられる。
片や、義父母の立場からその目線で考察すると、我が家の嫁は実に“不甲斐ない存在”でしかなくイライラしているのかもしれない。頼りない息子を嫁が陰ながら支える事に期待していたのかもしれない。 にもかかわらず、自分から何らかの主義主張がある訳でもなく何を言っても反論もない割には、商家の嫁としての働きもイマいち…
だとすれば、この相談者の家族関係がギクシャクする要因は、この相談主婦もその「夫」も含めた全員にあることは明白な事実だ。
たとえ社会的には小さいコミュニティである一家庭であろうと、一集団内における人間関係の“相互の影響力”を心得られる家族の誰かがリーダーシップをとるべきである。 一家のわだかまりを払拭しつつ建設的にまとめる力量を有する人材が一人でも存在するならば、その家庭は永遠に安泰なのではなかろうか。 (国政と同じ論理なんだけどね~)
そのようなリーダーシップ力は発揮できずとも、いつ何時も如何なる時代においても他者を思いやる繊細なハート が、人間関係が円滑にゆく要素として欠かせないものである。(嘘くさい言葉だけの「友愛」じゃなくてね~)
この相談主婦も少し心に余裕を持って「独裁義父母」を観察してみると、以外や以外“いい人達”である部分も必ずや発見できるはずである。
他者を恨みつつ生きるよりも、他者から厚遇されながら生きた方が幸せであるに決まっている。 その他者が身近な存在である程、享受する幸せ感も間近なものと私は実感しつつ、いつもちょっとだけ「おりこうさん」を肝に銘じて、私は今日もこの世を渡り続けているのだけどね…